呉定彩

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呉 定彩(ご ていさい、Wú Dìngcǎi、? - 1861年)は、太平天国の指導者の一人。

1858年の江北大営攻略、1860年杭州攻略・第二次江南大営攻略などで戦果をあげ、平西主将に任じられた。その後、前軍主将呉如孝とともに捻軍張楽行の救援に鳳陽に赴き、帰還後は六合の守備についた。1861年湘軍に包囲されていた安慶の形勢が悪化すると、英王陳玉成の要請で援軍に赴いた。呉定彩は部下千人を引き連れて安慶城内に入り、守将の葉芸来の補佐にあたった。しかし9月に安慶は陥落し、呉定彩は兵とともに戦死した。

参考文献[編集]

  • 羅爾綱『太平天国史』、中華書局