古賀秀正

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古賀 秀正
生誕 1919年2月22日
日本の旗 日本 佐賀県
死没 1945年8月15日
日本の旗 日本 東京府東京市麹町区
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1939年 - 1945年
最終階級 陸軍少佐
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古賀 秀正(こが ひでまさ、1919年大正8年)2月22日 - 1945年昭和20年)8月15日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐東條英機は義父にあたる。

経歴[編集]

佐賀県出身。1939年(昭和14年)9月に陸軍士官学校52期)を64番/508名で卒業、同年11月に砲兵少尉に任官し、野戦砲兵第四連隊留守隊附となる。その後は陸軍砲工学校普通科、防空学校教導連隊を経て、1944年(昭和19年)7月に陸軍大学校(58期)を卒業した。卒業と同時に近衛第一師団参謀に補され、同年12月には陸軍少佐に進級した。

また、陸大在学中の1943年(昭和18年)に、東條英機首相(当時)の次女・満喜枝と結婚し、1男をもうけた。

終戦時に宮城事件に状況上やむを得ず関与することとなったが、クーデターは未遂となり、1945年8月15日正午過ぎの玉音放送の終了直前に、近衛第一師団司令部2階に安置された森赳師団長の遺骸の前で、拳銃と軍刀を用い自決した。26歳没。

関連項目[編集]

参考文献[編集]