コンテンツにスキップ

加藤辨三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かとう べんざぶろう

加藤 辨三郎
生誕 1899年8月10日
日本の旗 日本島根県簸川郡荒茅村
(現:出雲市
死没 (1983-08-15) 1983年8月15日(84歳没)
出身校 京都帝国大学工学部
職業 実業家
子供 長男・加藤幹夫(協和醱酵工業社長)
テンプレートを表示

加藤 辨(弁)三郎(かとう べんざぶろう、1899年明治32年)8月10日 - 1983年昭和58年)8月15日)は、日本実業家。協和醱酵工業(現:協和キリン)会長。従三位勲一等工学博士

経歴

[編集]

島根県簸川郡荒茅村(現:出雲市荒茅町)に加藤伊三郎の長男として生まれた。生家は代々清酒醸造業を営んでいたが祖父の代に没落。父は村役場の書記をしていた。1923年京都帝国大学工学部卒業。四方合名会社(現:宝ホールディングス)に入社。1949年協和醱酵工業株式会社が発足。代表取締役社長に就任。1968年同社取締役会長に就任。

1952年在家仏教協会を設立。1961年東レ科学技術賞受賞。

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]