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冷泉為章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
冷泉為章
冷泉為章肖像(土佐光孚画)
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦2年4月27日1752年6月9日
死没 文政5年3月19日1822年5月10日
官位 正二位権大納言
主君 後桜町天皇後桃園天皇
氏族 上冷泉家
父母 父:冷泉為泰、母:今城定種の娘
正室:吉田良延の娘
為則三室戸緝光、初子、阿野公倫室、町尻量聡室、舟橋師賢室、かめ
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冷泉 為章(れいぜい ためふみ)は、江戸時代中期から後期にかけての公卿歌人上冷泉家17代当主。

経歴

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宝暦2年(1752年)、冷泉為泰の子として誕生。

安永2年(1773年)1月5日に従三位享和3年8月25日(1803年10月10日)民部卿に任じられる。後に正二位権大納言

文政5年(1822年)、薨去。家督は子・為則が継いだ。

系譜

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