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久世広寛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

久世 広寛(くぜ ひろのり/ひろとお、宝永元年(1704年) - 明和7年1月24日1770年2月19日))は、江戸時代中期の旗本久世広隆の子。幼名は長吉。官位は従五位下、長門守。室は大村純長の娘。継室は内藤正友の娘。子に織田信倉室、久世広景

享保2年(1717年)11月2日に家督を継ぎ、14歳の時に将軍徳川吉宗に拝謁する。定火消になり、寛保元年(1741年)9月21日、百人組組頭となり、延享2年(1745年)9月小姓組番頭に昇進し、同年10月18日に従五位下、長門守に叙任された。その後は御書院番頭宝暦9年(1759年)10月21日駿府城代( - 明和元年(1764年)6月24日)となるなどし、明和7年(1770年)1月24日に67歳で没する。