中家村
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なかやむら 中家村 | |
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茨城県新治郡中家村大字上高津字小橋(現・土浦市上高津)にあった中家村役場 | |
廃止日 | 1937年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 中家村 → 土浦町 |
現在の自治体 | 土浦市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 茨城県 |
郡 | 新治郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,500人 (国勢調査[1]、1935年) |
隣接自治体 | 都和村、土浦町、東村、九重村、栄村、藤沢村 |
中家村役場 | |
所在地 | 茨城県新治郡中家村大字上高津字小橋[2] |
座標 | 北緯36度04分19秒 東経140度11分46秒 / 北緯36.07186度 東経140.19606度座標: 北緯36度04分19秒 東経140度11分46秒 / 北緯36.07186度 東経140.19606度 |
ウィキプロジェクト |
中家村(なかやむら)は茨城県新治郡にかつて存在した村である。現在の茨城県土浦市の南部に位置し、一中地区および四中地区のそれぞれ一部に相当する。
歴史
[編集]沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、信太郡宍塚村・佐野子村・飯田村・矢作村・下高津村・中高津村・上高津村・小松村および新治郡粕毛村が合併して信太郡中家村が発足。宍塚・佐野子・飯田・矢作・下高津・中高津・上高津・小松・粕毛がそれぞれ中家村の大字となる。村役場は下高津に設置された[1]。
- 1896年(明治29年)3月29日 - 信太郡消滅、新治郡中家村。
- 1937年(昭和12年)4月1日 - 新治郡土浦町に編入。同日中家村廃止。9大字は土浦町に継承[1]。
- 1940年(昭和15年)11月3日 - 新治郡土浦町と同真鍋町が合併し、土浦市が発足。
大字
[編集]現在はすべて土浦市の大字として継承されている。
上記のうち下高津・中高津・上高津・小松は現在の土浦市の四中地区、矢作・飯田・佐野子・宍塚・粕毛は一中地区である。
地域
[編集]村役場
[編集]現在の土浦市下高津2丁目、銭亀橋脇の旧水戸街道沿い(現況は民有地)。中家村役場が置かれる前は戸長役場があった[2]。役場庁舎は1892年(明治25年)に335円をかけて建設された[2]。
教育
[編集]人口・世帯
[編集]人口
[編集]総数 [単位: 人]
1891年(明治24年) | 2,809 |
1920年(大正9年) | 3,422 |
1935年(昭和10年) | 4,500 |
世帯(戸数)
[編集]総数 [単位: 世帯]
1891年(明治24年) | 535 |
1920年(大正9年) | 704 |
1935年(昭和10年) | 876 |