ロベール・レモアン
表示
この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。 (2009年10月) |
ロベール・レモアン(1918年 -)はフランスのレジスタンスの活動家。チリにうまれ、1936年スペイン内戦に共和国派の国際旅団の一員として参加し、フランシスコ・フランコの軍隊と戦う。
フランスに戻り、ノルマンディーのル・アーブル海軍士官学校に通い、技術士官となるべく勉強する。1940年7月のフランス降伏後、ヴィシー政権に反対したため、フランスの警察に逮捕され、トゥーロンの刑務所に入れられるも、海軍の関係者の手引きで脱走してイギリスに渡った。イギリスでは、ドゴール系の組織であるBCRAの一員としてレジスタンスの教育を受け、再びフランスに潜入した。その後、イギリス軍の要請を受けて、4人の仲間と情報を集めロンドンに送り続けた。
パリが解放される2ヶ月前、1944年6月10日、ゲシュタポに逮捕され、拷問される。パリの南にあるフレーヌ刑務所に収監されてすぐ、ドイツ軍による裁判で他のレジスタンスのメンバーと共に死刑の判決をうけ、レモアンをのぞく全てのメンバーは銃殺された。
1944年8月15日、ドイツのブッヘンワルト収容所に連行され、その後、ドラ収容所に移され、脱獄を図るも失敗する。絞首刑に成るも、生き延び、1945年4月15日、カナダ兵に救出される。
関連項目
[編集]出典
[編集]- 『祖国フランスを救え〜レジスタンスに賭けた青春』