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マルリー=ル=ロワ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Marly-le-Roi

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) イル・ド・フランス地域圏
(département) イヴリーヌ県
(arrondissement) サン=ジェルマン=アン=レー郡
小郡 (canton) マルリー=ル=ロワ小郡
INSEEコード 78372
郵便番号 78160
市長任期 ジャン=イヴ=ペロー
2008年-2014年
人口動態
人口 16 873人
2008年
人口密度 2580人/km2
住民の呼称 Marlichois
地理
座標 北緯48度52分03秒 東経2度05分41秒 / 北緯48.8675度 東経2.09472222222度 / 48.8675; 2.09472222222座標: 北緯48度52分03秒 東経2度05分41秒 / 北緯48.8675度 東経2.09472222222度 / 48.8675; 2.09472222222
標高 平均:m
最低:48 m
最高:179 m
面積 6.54km2
Marly-le-Roiの位置(フランス内)
Marly-le-Roi
Marly-le-Roi
公式サイト Site officiel de la mairie
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マルリー=ル=ロワ (Marly-le-Roi)は、フランスイル=ド=フランス地域圏イヴリーヌ県コミューン

地理

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マルリー=ル=ロワはパリの西約15kmにあり、ヴェルサイユの北約10kmにある。サン=ジェルマン=アン=レーの南約5マイルである。まちは突端の上にあり、北のクール=ヴォラン高原の横には、今はないマルリー宮殿がそびえていた。突端の標高は150mあり、さらに北のセーヌ川谷を見下ろしている。コミューンの約北半分に都市化が集中しており、南半分は主としてマルリーの森で覆われている。

由来

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街の名はMairilacusに由来している。最初に名前が記されたのは697年、キルデベルト3世の時代であった。

歴史

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1724年に描かれたマルリー宮殿

テウデリク3世時代から、土地の存在が知られていた。

ジュール・アルドゥアン=マンサールがマルリー宮殿を建てた1676年にルイ14世がマルリーを買い上げるまで、モンモランシー家が代々マルリーの領主だった。ヴェルサイユ宮殿よりも親しみが感じられ、個人的な楽しみを追求できる場所がマルリー宮殿であった。宮殿はクール=ヴォラン高原に位置しており、水はマルリーの機械やルーヴシエンヌ水道橋、北の池から供給されていた。池には、ルイ15世によって、ギヨーム・クストゥーの彫刻作品である『マルリーの馬』が対で飾られていた。

1789年、宮殿は革命家によって略奪され、荒らされた。1794年、王制を否定する革命政府はまちの名をマルリー=ラ=マシーヌ(Marly-la-Machine)に改名させた(実際のマルリーの機械はブージヴァルにあった)。『マルリーの馬』は盗まれてパリのコンコルド広場に設置された。その後1795年にシャンゼリゼ通りの入口に置かれた。今日の『マルリーの馬』は、ルーヴル美術館のリシュリュー翼に置かれ、風雨から守られている。

1799年、実業家アレクサンドル・サニールは放棄されていた宮殿を購入し、コミューンで紡績業の工房をスタートさせた。工房が破産すると、荒廃した宮殿の売却先を見つけることは難しく、解体して建設資材として石が売られた[1]。1806年、不動産は林業管理局の手に渡った。

印象派の時代、ブージヴァル、ルーヴシエンヌ、クロワシーのようなまちは注目された。シスレーピサロのような画家、詩人、作家、彫刻家たちがアトリエをかまえた。

人口統計

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20世紀半ばまでのマルリーは、人口およそ6000人の小さな村落だった。2度の住宅地造成で目覚しく人口が増加した。

  • 1958年より着工した集合住宅群グランド=テール。1964年にはコミューン人口が12000人を超える要因となった。
  • 1968年から1974年まで建設されたドメーヌ・モンヴァル。さらに人口が5000人増加した。

これ以降、人口は17000人前後で安定しており、住宅地はコミューンの土地の166ヘクタールを占めている。

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
10923 11925 16103 17257 16741 16787 16655

参照元:1962年まではCassiniとEHESS。1968年以降INSEE [2][3] · [4]

姉妹都市

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マルリーは以下の自治体と姉妹都市協定を結んでいる[5]

脚注

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  1. ^ Avenue des Combattants on peut voir des moellons de marbre rose dans un mur de clôture.
  2. ^ "Des villages de Cassini aux communes d'aujourd'hui". site de l'École des hautes études en sciences sociales. 2011年5月3日閲覧
  3. ^ "Évolution et structure de la population (de 1968 à 2007)" (PDF). Insee. 2011年5月3日閲覧
  4. ^ "Recensement de la population au 1er janvier 2008". Insee. 2011年5月3日閲覧
  5. ^ Jumelage