マリア・アンナ・チャルトリスカ

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マリア・アンナ・チャルトリスカ
Maria Anna Czartoryska

出生 (1768-03-15) 1768年3月15日
ポーランド・リトアニア共和国ワルシャワ
死去 (1854-10-21) 1854年10月21日(86歳没)
フランスの旗 フランス帝国パリ、ランベール館
配偶者 ルートヴィヒ・フォン・ヴュルテンベルク
子女 アダム
家名 チャルトリスキ家
父親 アダム・カジミェシュ・チャルトリスキ
母親 イザベラ・フレミング
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マリア・アンナ・チャルトリスカポーランド語:Maria Anna Czartoryska, 1768年3月15日 - 1854年10月21日)は、ポーランド・リトアニア共和国の貴族女性、作家。マリア・ヴィルテンベルスカ(Maria Wirtemberska)とも呼ばれる。

生涯[編集]

アダム・カジミェシュ・チャルトリスキ公とその妻イザベラ・フレミング伯爵夫人の間に次女として生まれた。弟にアダム・イェジ・チャルトリスキ公がいる。1784年にヴュルテンベルク公フリードリヒ2世の次男で、ロシア皇太子妃マリア・フョードロヴナの兄にあたるルートヴィヒと結婚した。夫はリトアニア軍の将軍であったが、1792年にロシア・ポーランド戦争が始まると、ロシアとの交戦を拒否して戦線を離脱した。マリア・アンナは夫のポーランドへの裏切りを知って離婚を決意し、1793年正式に離別した。夫妻にはその前年、長男アダムが生まれていたが、父方に引き取られた。

1818年、マリア・アンナはポーランド語の感傷的な小説『マルヴィナ(Malwina)』を発表し、話題を呼んだ。