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ボリス・パトン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ボリス・パトン
Borys Yevhenovych Paton
2010年のパトン
生誕 (1918-11-27) 1918年11月27日
キエフ
死没 2020年8月19日(2020-08-19)(101歳没)
キエフ
市民権 ウクライナ
国籍 ウクライナ人
研究分野 金属工学
研究機関 Paton Electrical-Welding Institute, International Association of Science Academies, ウクライナ国立学士院
出身校 キエフ工科大学
主な業績 電気溶接の研究、ウクライナ国立学士院会長
影響を
受けた人物
エフゲニー・パトン
主な受賞歴
配偶者 Olha Paton
子供 Yevhenia
プロジェクト:人物伝
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ボリス・エヴゲーノヴィチ・パトンウクライナ語: Борис Євгенович Патон1918年11月27日 - 2020年8月19日)は、ウクライナ金属工学者。ウクライナ国立学士院の会長を1962年以来、長年務めた。

生涯

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キエフで生まれた。父親は、ウクライナ・E.O.パトン電気溶接研究所(E.O. Paton Electric Welding Institute)の創業者、母は主婦であった。父親のエフゲニー・パトンも有名な電気溶接の研究者で、キエフで初めて溶接により作られた橋を監督し、彼の名前が付けられている。

1941年にキエフ工科大学を卒業すると、1958年11月18日にウクライナ社会主義共和国学士院に加わった。ウクライナ英雄の最初の受賞者である。工学の博士号を持ち、電気溶接の研究で知られる。1970年代初めから1980年代には、パトンはソビエト連邦政府に対し、チェルノブイリ原子力発電所を建設しないようにアドバイスした[1][2]

パトンは2020年8月19日に101歳で亡くなった。彼は3日後にバイコヴェ墓地に埋葬された。

受賞等

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出典

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  1. ^ Controlling Technology:Ethics and the Responsible Engineer by Stephen H. Unger, Wiley-Interscience, 1994, ISBN 978-0-471-59181-8 (page 90)
  2. ^ The Ukrainian Resurgence by Bohdan Nahaylo, C. Hurst & Co, 1999, ISBN 1-85065-168-X (page 48)
  3. ^ (ルーマニア語) Paton Boris