ヘルベルト・オイレンベルク
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ヘルベルト・オイレンベルク Herbert Eulenberg | |
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誕生 |
ヘルベルト・オイレンベルク 1876年1月25日 ドイツ帝国 ケルン=ミュールハイム |
死没 |
1949年9月4日 (73歳没) 西ドイツ デュッセルドルフ |
職業 | 劇作家、小説家、エッセイスト |
活動期間 | 1896–1949 |
ジャンル | 戯曲, 歴史小説 |
代表作 | Belinde, Schattenbilder |
主な受賞歴 |
Nationalpreis der DDR 1949年 |
署名 | |
ウィキポータル 文学 |
ヘルベルト・オイレンベルク(ドイツ語: Herbert Eulenberg, 1876年1月25日 - 1949年9月4日)は、ドイツの小説家、劇作家、エッセイスト、詩人。
略歴
[編集]数多くの本を出版した出版人としても知られる。1909年に書いたフリードリヒ・フォン・シラーに関する批評は、当時の文壇に熱い議論をもたらした。
1920年代には、彼はドイツを代表する劇作家のひとりとなっていた。文学、音楽、演劇、芸術など多岐にわたる題材を扱った彼の評論は、ドイツ・オーストリアで発行される数多くの新聞や雑誌に掲載された。
1919年、オイレンベルクは画家のアーサー・カウフマン、アドルフ・ウザルスキーらと “Das Junge Rheinland”(ラインラント若年者会)を結成。また、1923年にはアメリカ「アインシュタイン以降ドイツ人としては初めて」コロンビア大学で講演を行った。
1920年代ドイツを代表する劇作家であるが、日本では知名度が低く、唯一「女の決闘」(原題:Ein Frauenzweikampf)が、森鷗外の翻訳と、それを題材にした太宰治の作品(作者オイレンベルクの無名さも含めてネタにした、ある種のパロディー)によって知られるのみである。