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フライベルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
紋章 地図
Wappen der Stadt Freiberg Deutschlandkarte, Lage der Stadt Freiberg
基本情報
連邦州: ザクセン州
郡: ミッテルザクセン郡ドイツ語版
緯度経度: 北緯 50度54分43秒
東経 13度20分34秒
標高: 海抜 400 m
面積: 48.05 km²
人口:

39,721人(2021年12月31日現在) [1]

人口密度: 827 人/km²
郵便番号: 09599 (旧: 9200)
市外局番: 03731
ナンバープレート: FG, BED, DL, FLÖ, HC, MW, RL
自治体コード: 14 5 22 180
市の構成: 12 市街区
市庁舎の住所: Obermarkt 24
09599 Freiberg
ウェブサイト: www.freiberg.de
上級市長: スヴェン・クリューガー(Sven Krüger)(SPD
郡内の位置
地図
地図
フライベルクの町並み

フライベルクドイツ語: Freiberg)は、ドイツザクセン州ミッテルザクセン郡ドイツ語版の都市である。なお2008年まで同郡はケムニッツ行政管区の下に置かれていた。人口は約40,000人である。

フライベルクはテューリンゲン・オーバーザクセン語内の境界をなしている。東側ではマイセン南東方言が、西側ではマイセン南方言が話されている。

歴史

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12世紀に、エルツ山脈の北の麓[2]の当地に銀鉱山が発見されたことにより歴史が始まり、何世紀も鉱山・鉱業の中心地として栄えてきた。

街のシンボルとして、また、鉱山業近代化・組織化を目的として、ハイニッツドイツ語版[注 1]らの提案により1765年に鉱山学校が設立された。この種の学校としてはザクセンでは最初のもので、当時のヨーロッパ全体においても先進的な科学研究施設・技術教育機関で、設立の初期には水成説[注 2]の主唱者で、鉱山学校の校長も務めたヴェルナー教授が研究・教育に力を入れ、有能な鉱山技師を養成した。世界中から学生たちがやってきた。欧州、南北アメリカに及び、フンボルトフライエスレーベン、フランスのドービュイソンフランス語版[注 3]、ブラジルのアンドラダ[注 4]、スペインのエルヤル兄弟[注 5]等がいた。鉱物学、鉱山技術の学校としてはヨーロッパ有数の歴史を誇ったこのフライベルク鉱山学校から発展したフライベルク工科大学 (Technische Universität Bergakademie Freiberg) がある。

教育機関

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姉妹都市

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出身者

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脚注

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注釈

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  1. ^ プロイセンの大臣、男爵
  2. ^ 地球の岩石が水に由来するという仮説で、当時の地質学上の岩石成因論を代表していた。
  3. ^ ドウビソンとも[3][4]
  4. ^ Amaral (2000)を参照[5]
  5. ^ ファン・ホセ・デ・エルヤルファウスト・デ・エルヤル
  6. ^ ただし異論もある。詳細はフライベルク工科大学#概要を参照。

出典

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参考文献

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  • 今井功片田正人『地球科学の歩み』共立出版、1978年。ISBN 4320045610 
  • Amaral, Ricardo C. (2000-04-25) (英語). Jose Bonifacio De Andrada E Silva: The Greatest Man in Brazilian Histoy. Xlibris Corporation. ISBN 1477181970. https://books.google.co.jp/books?id=z1HkAgAAQBAJ&dq=Andrada+freiberg&hl=ja&source=gbs_navlinks_s 
  • 中西哲也九州大学総合研究博物館ニュース」第11号、九州大学総合研究博物館、2008年。 

外部リンク

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