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ハンゲの海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハンゲの海戦(ガングート海戦)

戦争大北方戦争
年月日1714年8月7日ユリウス暦7月27日
場所バルト海ハンコ半島
結果:ロシアの勝利
交戦勢力
ロシア・ツァーリ国モスクワ大公国  スウェーデンバルト帝国
指導者・指揮官
フョードル・アプラクシン ニールス・エーレンスケルド
戦力
ガレー船 プラムガレー船、小型艦
損害
死傷者466人 死傷者950人

ハンゲの海戦ロシア語: Гангутское сражениеスウェーデン語: Slaget vid Hangö)は、1714年8月7日ユリウス暦7月27日)にバルト海ハンゲ半島(ハンコ半島)沖でスウェーデン海軍ロシア・ツァーリ国海軍との間で行われた海上決戦。この海戦ロシア海軍の最初の勝利で終わることとなり、ロシアがバルト海で勢力を誇るようになる原因となった。

概要

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ロシア海軍は二つの島の間に防衛線を張り、スウェーデンの艦隊を攻撃した。スウェーデン海軍のガレー船は一隻が転覆し、士官も多くが負傷した。司令官以下艦隊は降伏し、海戦は幕を閉じた。

この海戦の敗北により、スウェーデンはバルト海での活動を大きく制限され、フィンランドの支配が困難になった。そのため、大北方戦争終結の一因となったのである。この海戦は、ポルタヴァの戦いと並ぶ、大北方戦争における一大決戦であった。

ハンゲ (Hangö) は、フィンランド湾北岸のフィンランドの都市の名で、現在ではフィン語でハンコと呼ぶ。ハンゲ半島 (Hangö udd ハンゲ・ウト) はロシアでは訛ってガングート (Гангут) と呼ばれ、長らくロシア海軍ではこの海戦の勝利を祝い、軍艦に「ガングート」の名をつける伝統があった。また、勝利の日が聖パンテレイモン聖名日であったことから、「パンテレイモン」の名も軍艦の名前に多用されることになった。