ハワード・ウォーレス・ポロック
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ハワード・ウォーレス・ポロック Howard Wallace Pollock | |
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生年月日 | 1920年4月11日 |
出生地 |
アメリカ合衆国 イリノイ州 シカゴ |
没年月日 | 2011年1月9日 (90歳没) |
死没地 |
アメリカ合衆国 カリフォルニア州、コロナド |
出身校 |
パーキンストン短期大学 サンタクララ大学 ヒューストン大学 (JD) マサチューセッツ工科大学 (MS) ウィーン国際大学 (PhD) |
所属政党 | 共和党 |
選挙区 | アラスカ州全州選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1967年1月3日 - 1971年1月3日 |
ハワード・ウォーレス・ポロック(英語: Howard Wallace Pollock, 1920年4月11日 – 2011年1月9日)は、アメリカ合衆国の政治家、アラスカ州選出のアメリカ合衆国下院議員(通算2期)。所属政党は共和党。
経歴・人物
[編集]1920年、イリノイ州シカゴで生まれたポロックは、ルイジアナ州ニューオーリンズで幼少期を過ごし、ミシシッピ州の高校に通った。1941年、パーキンストン短期大学を卒業後、アメリカ海軍に入隊[1]。第二次世界大戦中の1944年、訓練中の手榴弾事故で右前腕を失い[2]、1946年に退役した。最終階級は少佐。退役後、ヒューストン大学で法務博士 (専門職)、マサチューセッツ工科大学で博士号 (理学)をそれぞれ取得した[1]。
ヒューストン大学在学中にアラスカ準州議会議員を1期(1953年 - 1955年)務めていた。1960年選挙でアラスカ州上院議員に当選。1962年選挙でアラスカ州知事選挙に鞍替え出馬したが、共和党予備選の段階で落選した。1964年、再び州上院議員選挙に出馬。無事当選を果たし、州上院では少数党院内幹事(Whip)を務めた[1][3]。
1966年、アメリカ下院議員選挙に共和党から出馬し、初当選を果たし、2期連続で下院議員を務めた。
政界引退後は、ニクソン大統領によってアメリカ海洋大気庁の副所長に任命され、その後1971年からの12年間、国際連合海洋法会議のアメリカ代表団を務めた[1][3]。
1983年、公務員を引退したポロックは全米ライフル協会の会長に就任。2年間会長を務めた後、経営コンサルタントやロビイストなどとして活動した[3]。
参考文献
[編集]- ^ a b c d “POLLOCK, Howard Wallace (1920-2011)”. Biographical Directory of the United States Congress
- ^ “Howard Pollock, congressman who loved adventure; at 90”. (January 18, 2011)
- ^ a b c d “Archived copy”. 2011年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月2日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- United States Congress. "ハワード・ウォーレス・ポロック (id: P000415)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
- ハワード・ウォーレス・ポロック - Find a Grave
- Howard Pollock at 100 Years of Alaska's Legislature
アメリカ合衆国下院 | ||
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先代 ラルフ・リバーズ |
アラスカ州全州選挙区 選出議員 第2代: 1967年1月3日 - 1971年1月3日 |
次代 ニック・ベギーチ |