ノート:赤穂事件
この記事は2004年5月3日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、削除となりました。詳細はノート:元禄赤穂事件/削除をご覧ください。 |
「喧嘩両成敗」について
[編集]最後の
- >だが、この事件に関しては、そもそも「喧嘩両成敗」というのは大きな間違いである。本件に関する幕府の裁定は、浅野の殿中抜刀に対する処罰だけで、これは相手の生死や傷害の程度、抜刀の理由に関係なく、無条件に死罪となる。これに対して吉良は抜刀はしていないので、理由の如何を問わず無罪である。
というのはここまでの話の腰を折っているので 「という説も有る」ぐらいにしたほうがいいのではないでしょうか? --2007年7月15日 (日) 05:14 Namayanagiさんの書き込み。--ととりん 2007年10月12日 (金) 23:50 (UTC)追記。
- これは結論と言うよりも議論の前提条件とした方が文意が通ると思うので、修正してみました。--ととりん 2007年10月12日 (金) 23:50 (UTC)
「吉良義央の装束」について
[編集]「事件を題材とした作品」の項に「なお、作品には松之大廊下での刃傷事件時の吉良義央の装束が大紋となっているのが見受けられるが正確には吉良は高家であったため狩衣である」という一節があり、2011年1月3日 (月) 04:33版の注記には「江戸時代の官位・官職に関する書物で判明した」とありますが、実はこの件については別説があります。ここや、神坂次郎著『おかしな大名たち』に引用されている幕末の高家大沢基寿の談話では、「自分が参内するときの着服は直垂」と明記されているのです。元禄と幕末で高家の装束が違うとも思えませんので、要検討でしょう。なお、「四位少将や四位・五位の侍従」の礼服は直垂、狩衣を着るのは「侍従成していない四位」(四品)とする書物もあることを付記します。--TETSU28(会話) 2012年8月24日 (金) 13:09 (UTC)
追記:ここにも、殿中の装束について記してありました。「毎年正月の元日、二日に将軍家のお流れを賜わる式」では、「将軍家は御直垂、侍従以上も直垂ですが、四品以上は狩衣、その他は大紋素袍布衣、或いは長上下などを用います」とありました。--TETSU28(会話) 2012年8月25日 (土) 06:40 (UTC)
分割提案
[編集]本記事「元禄赤穂事件」は、小説・映画・ドラマ等の創作作品でも扱われることの多いテーマである一方、史実を考証・記述した部分も充実しており、記事サイズも10万バイトに達しようとしています。史実部分のさらなる発展が求められる半面、創作においても、どこに焦点をあてるかによって多様な作品が生まれているのも事実であり、その部分の加筆もおおいに期待されるところです。そこで、元禄赤穂事件#事件を題材とした作品節の分割を提案します。
議題は、
- 分割の是非
- (分割を是とした場合)分割後の新記事=フィクションを扱った項目の記事名
です。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。--Chokorin 2010年8月20日 (金) 22:54 (UTC)
- 関連する議論
- Wikipedia:井戸端/subj/「~に関する作品」「~の登場する作品」への掲載基準について
- Portal‐ノート:歴史#フィクション作品の情報を原則として人物記事に載せない旨の合意について提案
- Wikipedia:井戸端#歴史記事に「作品一覧」「俳優一覧」「ゲーム一覧」などは必須なのか。
- ノート:本能寺の変/過去ログ1#分割提案
コメント欄
[編集]コメント受付期間
[編集]- 2010年8月21日(土)00:00 (UTC) - 2010年8月27日(金)23:59 (UTC)
分割の是非
[編集]賛成 :提案者票--Chokorin 2010年8月21日 (土) 00:58 (UTC)
記事名等
[編集]- 名称は、「本能寺の変を題材とした作品」「関ヶ原の戦いを題材とした作品」にそろえて「元禄赤穂事件を題材とした作品」とする。ただし、この事件は演劇や脚本を通じて著名になった事件でもあるので、「忠臣蔵」にかかわる説明は簡潔にであれ本文中にのこす必要があると考えます。--Chokorin 2010年8月21日 (土) 00:58 (UTC)
分割作業の実施
[編集]特に異論がないようですので、「元禄赤穂事件」の一部を「元禄赤穂事件を題材とした作品」に分割します。--Chokorin 2010年8月29日 (日) 01:44 (UTC)
- 分割作業を終了しました。--Chokorin 2010年8月29日 (日) 02:21 (UTC)
「グレゴリオ暦」を「西暦」に修正の提案
[編集]冒頭の「お知らせ」に次の一文があります。
- 18世紀には「西暦」は必ずしもグレゴリオ暦ではありませんので、「西暦」は避けてください。
この一文は事実誤認です。そして、表記ガイドには、「西暦は原則として1582年10月15日以降はグレゴリオ暦、それ以前はユリウス暦を使用します。グレゴリオ暦とユリウス暦にまたがるような場合には、グレゴリオ暦かユリウス暦かを明記することが望まれます。」とあります(Wikipedia:表記ガイド#西暦・和暦)。赤穂事件を記述する場合、両方の暦に跨がることはありません。したがって、上記の一文を削除するとともに、本文中の「グレゴリオ暦」を「西暦」に修正することを提案します。--Awaniko(会話) 2017年4月29日 (土) 10:39 (UTC)
他に意見がありませんので、冒頭の一文を削除します。併せて、本文中の「グレゴリオ暦」を「西暦」に修正します。--Awaniko(会話) 2017年5月19日 (金) 10:21 (UTC)
「出典のない記述を追加しない」「出典のある記述を議論せずに削らない」「一次資料を直接根拠としない」をルール化したい
[編集]いつの間にか独自研究が大量に増えていたので、草取り作業をしたのですが、見ての通り、燦々たる状況です。
独自研究が増える前の利用者:Munch2015氏によるこの版を参考に草取りをしたのですが、この版と比べ、
- 出典のない記述・独自研究と思しき記述が大量に増えた。
- 私が編集する前の版を上述のMunch2015氏の版と比較するとわかるように、出典つきの記述をノートでの議論なしに大量に削ったり、記述だけ残して出典を削ったりしたものが数多くあった
- 一次資料を直接記述の根拠として出典にあげている所が散見される。しかし一次資料は偏見を伴なうものであり、少なくともそれが主張する内容をそのまま受け取ることはできず、(内容にもよるが草取りで見つけたものはどれも)Wikipediaでは推奨されない行為である。
そこで
- 出典のない記述を追加しない
- 出典のある記述を議論せずに削らない
- 一次資料を直接根拠としない
を本項のルール化とする事にしたいと考えています。
理由は以下の通り:
- 「忠臣蔵」として人気のある事件なので、物語の内容をと史実と誤解した記述が入り込みかねず、他の記事よりも厳格に対処する必要がある。上述のMunch2015氏の版でも冒頭で指摘されています。確認した所、それ以前の版がその手の独自研究だらけだったので、おそらくそのせい。
- 一次資料である『多門伝八郎覚書』には誇張や創作が含まれている事が他の史料との照合により判明しており[1]、この点でも他の記事より厳格に対処する必要がある。
- そもそも上述のMunch2015氏の版は網羅性の点でもほぼすべての記述に出典がある点でも記事としてかなり完成度が高く、不確かな記述を追記する必然性がない。
なお、草取りするのに本日1日を潰しましたので、もうやりたくありません。どなたかが私のかわりに定期的に草取りを繰り返してくださるのなら、このようなルールは必要ないのですが。ルールを不要とする場合は建設的な代替案を提示いただけると幸いです。--Idutsu(会話) 2024年2月2日 (金) 17:25 (UTC)
反映しました。---Idutsu(会話) 2024年2月16日 (金) 09:16 (UTC)
Revertの提案
[編集]どなたかが出典を壊滅的に破壊したようです。具体的にはどなたかが
- 本項で引用頻度が最も高いと思われる山本(2012a) 、山本(2012b)、山本(2013)のrefをsfnに変更した
- 対応する文中の引用の一部だけsfnに変更して投げ出した
- 山本(2012b)の引用には『第二章3節「旧藩士の身の振り方」』などとサブセクション名が書いてあったのを消して『第二章3節』にしてしまったので、『第二章3節』のどのサブセクションに対応するのか分からなくなった。
こうして正しい引用との対応関係がわからなくなってしまいました。 半日かけて修正を試みたのですが、修正箇所が数十か所に及ぶため、複雑すぎて直せません。
そこでMunch2015氏の版までRevertする事を考えていますが、いかがでしょうか。
この版以降の#分割提案により分割されたところはもちろん削ります。
こちらの話題でも述べたようにこの版以降の編集で(一次出典以外の)出典があるものはほとんどなく、Revertしても大きな影響はないとの判断です。
もちろんどなたかが出典の破壊を修正していただけるのであればそれでもかまいません。 そうでない場合は、どうすればよいか込みでご提案いただけると幸いです。--Idutsu(会話) 2024年2月7日 (水) 08:09 (UTC)
単純にRevertするのではなく現行の版とマージする事で対応しました。--Idutsu(会話) 2024年2月16日 (金) 09:17 (UTC)
- ^ 宮澤誠一『赤穂浪士―紡ぎ出される「忠臣蔵」 (歴史と個性)』三省堂、1999年(平成11年)。ISBN 978-4385359137 p36-38