ナラ・チャンドラバブ・ナイドゥ
ナラ・チャンドラバブ・ナイドゥ Nara Chandrababu Naidu | |
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生年月日 | 1950年4月20日(74歳) |
出生地 |
インド マドラス州 ナラバリパッレ |
所属政党 | テルグ・デサム党 |
在任期間 |
1995年9月1日 - 2004年5月13日 2014年6月8日 - 2019年5月29日 |
アーンドラ・プラデーシュ州議会議員 | |
在任期間 |
1978年 - 1983年 1989年 - |
テルグ・デサム党党首 | |
在任期間 | 1995年9月1日 - |
ナラ・チャンドラバブ・ナイドゥ(英語: Nara Chandrababu Naidu、1950年4月20日 - )は、インドの政治家。テルグ・デサム党党首。1995年から2004年までと2014年から2019年までアーンドラ・プラデーシュ州首相を務めた。
経歴
[編集]生い立ち
[編集]マドラス州ティルパティ地区のナラバリパッレ(現アーンドラ・プラデーシュ州)の農家の家庭に生まれた。スリ・ベンカテスワラ大学で経済学の修士号を取得している[1]。
政治家として
[編集]1978年のアーンドラ・プラデーシュ州議会選挙に、チャンドラギリ選挙区からインド国民会議の候補者として立候補し、初当選をした[2]。国民会議派の州政府では、映画撮影や技術教育などの担当大臣を務めた。州政府で映画関係を担当していたため、テルグ語映画で有名な俳優であったN・T・ラーマ・ラオ(NTR)とも親交ができ、1981年には娘のBhuvaneswariと結婚している。
1982年3月29日、義父のNTRがテルグ・デサム党(TDP)を結成。翌1983年の州議会選挙ではTDPが過半数の議席を獲得し、NTRは州首相に就任した。しかし、ナイドゥは同選挙に国民会議の候補者として立候補しており、TDPの候補者に敗れ議席を逃していた。落選した直後に、ナイドゥはTDPに加わっている[3][4]。
1989年の州議会選挙では、クッパム選挙区から立候補して当選した。しかし、国民会議が過半数の議席を獲得して政権を奪還したため、ナイドゥは野党議員となった[1]。
1994年の州議会選挙では、前回と同じくクッパム選挙区から立候補して再選した。さらにTDPが294議席中216議席を獲得し、国民会議から州政権を奪還。NTRが州首相となり、ナイドゥはNTR内閣の財務・歳入大臣に就任した[1]。
AP州首相に就任
[編集]NTRの妻であるラクシュミー・パールヴァティーが行政や党務に干渉していることを理由に、ナイドゥは党内でクーデターを起こした。ナイドゥはNTRの息子らの支持も得ており、NTRは州首相を辞任することとなり失脚した。1995年9月1日、後任の州首相にナイドゥが就任した[1][5]。
1999年の州議会選挙は、前回から議席を減らしたものの、TDPが294議席中180議席を獲得して政権を維持した[6][7]。
2003年10月1日、人民戦争グループ(PWG)によって暗殺計画が企てられ、ナイドゥの車列が地雷によって爆破される事件が発生。爆発の衝撃は強くナイドゥは一時的に意識を失い病院に搬送されたが、奇跡的に軽傷で済んだ。PWGの犯行声明では、ナイドゥのことを「世界銀行の代理人」と表現していた[8][9][10][11]。
下野し野党指導者へ
[編集]2004年の州議会選挙では、TDPは解散時の192議席から大幅に議席を減らし、全294議席のうち47議席しか確保できなかった。一方で前回1999年の選挙で62議席であった国民会議は、185議席と大きく躍進した。多くの閣僚も落選する中、ナイドゥはクッパム選挙区で大差で勝利した[12]。2009年の州議会選挙は、前回よりも議席を増やし92議席を獲得したものの、過半数には至らなかった。この結果についてナイドゥは、チランジーヴィが結党したプラジャ・ラジャム党が反現職票を分散させ、TDPに不利に働いたと述べている[13]。
分離後のAP州首相に就任
[編集]2014年の州議会選挙ではTDPはインド人民党と同盟を結び、6月にテランガーナ州が分離独立する予定のアーンドラ・プラデーシュ州で175議席のうち108議席と過半数を獲得した。ナイドゥは分離後のアーンドラ・プラデーシュ州の初代州首相に就任した。就任の宣誓式には、ラージナート・シン内務大臣をはじめとした連邦政府の閣僚やラール・クリシュナ・アードヴァーニー、複数の州から州首相や高官が出席した。また州政府の19名の閣僚のうち、2名はインド人民党から選ばれた[14]。
テランガーナ州の分離独立に伴い新たな州都を構築することが必要となり、ナイドゥは州中部に位置するアマラーヴァティーを指定した[15]。
2019年の州議会選挙で、TDPは選挙前の99議席から23議席へ大幅に減らした。一方で最大与党であるYSR会議党(YSRCP)は、66議席から単独過半数となる151議席へと大きく躍進。この結果を受けて、ナイドゥは州首相を辞任した[16]。
脚注
[編集]- ^ a b c d “Chandrababu Naidu” (英語). Hindustan Times (2 August 2004). 8 July 2021閲覧。
- ^ “'No CM has worked as hard as Naidu'”. Rediff (23 September 1999). 8 August 2023閲覧。
- ^ “Chandrababu Naidu: back in the reckoning, with some help from Narendra Modi”. NDTV. (2014年4月17日) 2024年1月1日閲覧。
- ^ “Chandrababu Naidu becomes the most important man in Telegu Desam setup”. India Today (31 August 1985). 27 July 2023閲覧。
- ^ “Lakshmi Parvathi wants NTR to take re-birth to save Telugu pride”. business-standard. (2018年11月3日) 2024年1月1日閲覧。
- ^ “Statistical Report on General Elections, 1999 to the Legislative Assembly of Andhra Pradesh”. CEO Telangana (1999年). 29 July 2023閲覧。
- ^ “Andhra Pradesh elections: Chandrababu Naidu sweeps polls, but reforms yet to pay off”. India Today (25 October 1999). 29 July 2023閲覧。
- ^ Live Footage of Bomb Blast on AP CM Chandrababu Naidu (英語). YouTube. 1 May 2019. 2021年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2003年10月24日閲覧。
- ^ S., Nagesh Kumar (24 October 2003). “A blast and its shock” (英語). Frontline. 4 April 2021時点のオリジナルよりアーカイブ。15 January 2022閲覧。
- ^ “Naxalites' audacious attack on Naidu-I”. The Tribune (11 October 2003). 3 August 2023閲覧。
- ^ “A War Against The People”. Outlook (3 February 2022). 3 August 2023閲覧。
- ^ “Naidu wins by a Huge Margin”. Rediff. (20 May 2004) 20 May 2004閲覧。
- ^ “Naidu blames Chiranjeevi for TDP's loss”. New Indian Express (27 May 2009). 9 August 2023閲覧。
- ^ “N Chandrababu Naidu Takes Oath as Andhra Pradesh Chief Minister in Grand Ceremony”. NDTV (9 June 2014). 11 August 2023閲覧。
- ^ “2024年アンドラ・プラデシュ州議会議員選挙の行方(インド)”. JETRO. (2023年11月1日) 2024年1月8日閲覧。
- ^ “アンドラ・プラデシュ州議会選挙で与党TDPが大敗”. JETRO. (2019年5月27日) 2024年1月8日閲覧。