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チュニジア侵攻

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チュニジア侵攻1881年第三共和政下のフランスが、フサイン朝チュニス君侯国1705年 - 1881年)(形式上はオスマン帝国領だが独立した統治を行っていた。現チュニジア共和国領にあった)に侵攻した武力衝突事件。

19世紀地中海沿岸の勢力図は、オスマン帝国が弱体化しつつある中、フランスが勢力を伸ばす状況にあった。1830年アルジェリア侵略ではチュニジアの隣国にあったオスマン帝国領アルジェリア英語版を支配下に収めてフランス領アルジェリアが成立しており、その延長として行われた軍事行動である。チュニジア侵攻は終始、フランス側のペースで進み、1956年まで続く植民地体制が決定づけられた。

概要

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関連項目

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