チェダブクトの戦い
チェダブクトの戦い | |||||||
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ウィリアム王戦争中 | |||||||
マサチューセッツ湾直轄植民地総督、サー・ウィリアム・フィップス | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
マサチューセッツ湾植民地 | フランス領アカディア | ||||||
指揮官 | |||||||
ウィリアム・フィップス シプリアン・サウザック | ドーファン・ド・モントルグイユ | ||||||
戦力 | |||||||
兵士88 | 兵士12 | ||||||
被害者数 | |||||||
不明 | 不明 | ||||||
チェダブクトの戦い(チェダブクトのたたかい、英 Battle of Chedabucto)は、チェダブクト(現在のノバスコシア州ガイスボロ)で、ウィリアム王戦争中の1690年6月3日に起きた戦闘である[1]。
この戦闘は、サー・ウィリアム・フィップスによるニューイングランドの、アカディアへの軍事作戦の一環であった。ニューイングランド軍の規模は圧倒的で、首都のポートロワイヤル、そしてチェダブクトを制圧し、他の集落にも攻撃を仕掛けた。この戦闘の余波は、それ以前のアカディア侵攻の時のものとは異なっていた。激しい攻撃により、多くのアカディア人がニューイングランド人に敵意を持つようになり、信頼関係を損ね、イングランド系住民との友好関係が困難になってしまった[2]。
戦闘に至るまで
[編集]1682年、クレルボー・ベルジエは、他の商人たちを連れて、フランスのラ・ロシェルを発ち1682年、アカディア・カンパニー(コンパニ・ド・ラ・ペシュ・セダンテール)を創設し[3]、漁業保護のためにサンルイ砦を造った[4]。主な港はチェダブクト湾に集中しており、1686年には50人もの漁師がいた。サンルイ砦の指揮官はドーファン・ド・モントルグイユだった[5]。
ニューイングランドのアカディア攻撃の裏には、様々な意図があった。ある者は、攻撃後のミクマク族やアカディア人との利益をめぐって、その土台を築いておこうとしており、またある者は、この戦いの前に行われたポートロワイヤルの戦いの際、イングランド軍が悪だくみをしたと主張するアカディア人を、こらしめるつもりだった[6]。
ポートロワイヤルが攻略されたのち、部隊長のシプリアン・サウザックはケープ・サーブル(ポール・ラ・トゥール)に赴いた、そこは彼が、インディアンと同盟したフランス軍と戦った場所であった。また、サンルイ砦を征服した場であるチェダブクト、フランスの交易所を襲ったニューファンドランドにも足を運んだ[7]。
戦闘
[編集]アカディアの首都を壊滅させた、ポートロワイヤルの戦いの一環として、フィップスはチェダブクトにサウザックと80人の兵を派遣した、サンルイ砦の取り壊しと、フランスの漁場を包囲するためであった。サンルイ砦の兵たちは、前回のポートロワイヤルの戦いとは違って、かなりの抵抗を見せ、なかなか降伏しなかった[8]。兵たちは6時間もの間砦を守りぬいたが、ついには何発もの砲弾をくらって砦は焼け落ちた。サウザックはまた、総額5万クラウン(1万シリング)にもなる魚を処分した[9]。名誉ある降伏をした駐屯兵は、ニューファンドランドのプラセンティア(プレザンス)に送られた[10]。
その後のアカディア
[編集]降伏により、総督と兵士たちは船でケベックに追われた。降伏前に約束されていた
これらの約束事にもかかわらず、ニューイングランド軍は、降伏の後、12日間に及ぶ略奪行為を行った。彼らは砦から大砲を外して、他の砦らしきものにかまわず狙いを付けた(このため矢来が真っ二つになった)。この略奪がすべて終わった後、フィップスは農民に、国王ウィリアム3世と女王メアリー2世に忠誠を誓わせようとしたが、農民たちは難色を示した。そこでフィップスは、教会や、行政や軍事の権力者を、ボストンに連れ帰ることで、彼らの権限を取り除いてしまおうとした。権力者とは、2人の聖職者プチとトルーヴェ、総督のメネヴァル、そして58人の兵である。ポートロワイヤルを発つ前に、フィップスは、臨時政府を作って、アカディアの指導者による議会を作ろうともした[11]。
翌年、アカディアの新総督であるエドワード・ティングは、ポートロワイヤルに向かっていたところを、フランスのフリゲート「ソレイユ・ダフリカ」に拿捕された。この船には、フランス人の新総督であるロビノー・ド・ヴィユボンが乗っていた。ティングと共にいたジョン・アルデンは、捕虜交換の知らせを持ってボストンに送り返され、ヴィユボンは、前年に捕囚されていた60人ばかりの兵を解放した[12]。
カンパニー・オブ・アカディアは、様々な難題を抱え、1702年に解散した[13]。また、サンルイ砦は1718年のカンゾ襲撃(スクウィラル・アフェア)で崩壊した[14]。
脚注
[編集]- ^ Haynes, p. 21
- ^ Geoffrey Plank. An Unsettled Conquest: The British Campaign Against the Peoples of Acadia. University of Pennsylvania Press. 2001. p. 32
- ^ BERGIER, CLERBAUD - Dictionary of Canadian Biography Online
- ^ Brenda Dunn, p. 29
- ^ http://www.biographi.ca/009004-119.01-e.php?&id_nbr=194&&PHPSESSID=ychzfqkvzape
- ^ Geoffrey Plank. An Unsettled Conquest: The British Campaign Against the Peoples of Acadia. University of Pennsylvania Press. 2001. p. 11
- ^ SOUTHACK, CYPRIAN - Dictionary of Canadian Biography Online
- ^ Brenda Dunn, p. 39
- ^ Emiley Griffith, p. 153
- ^ A history of Nova-Scotia, or Acadie, Volume 1 By Beamish Murdoch, p. 195; also see an account of the battle in Joseph Robineau de Villebon, Journal of Vill ebon, 3 October 1692, in Acadia at the End of the Seventeenth Century: Letters, Journals and Memoirs of Joseph Robineau de Villebon, by John Clarence Webster (St. John, N.B.: The New Brunswick Museum, 1934) Villebon's Journal,
- ^ History of Nova Scotia; Acadia, Bk.1, Port Royal and The English Takeover: 1690-1712; Part 2; C
- ^ ALDEN,JOHN - Dictinary of Canadian Biography Online
- ^ Daigle, Jean. 1650-1686: 'Un pays qui ne'est pas fait'. in Buckner, P. and Reid J. (eds). The Atlantic Region to Confederation: A History. Toronto University Press. 1994. p. 74.
- ^ Haynes, p. 25
参考文献
[編集]- John Mack Faragher, A Great and Noble Scheme: The Tragic Story of the Expulsion of the French Acadians from their American Homeland (New York: W. W. Norton & Company, 2005).
- Brenda Dunn, A History of Port-Royal/Annapolis Royal 1605-1800, Halifax: Nimbus, 2004.
- Griffiths, E. From Migrant to Acadian. McGill-Queen's University Press. 2005.
- Haynes, Mark. The Forgotten Battle: A History of the Acadians of Canso/ Chedabuctou. British Columbia: Trafford. 2004
- John Reid, Maurice Basque, Elizabeth Mancke, Barry Moody, Geoffrey Plank, and William Wicken. 2004. The 'Conquest' of Acadia, 1710: Imperial, Colonial, an Aboriginal Constructions. University of Toronto Press.
- Geoffrey Plank, An Unsettled Conquest. University of Pennsylvania. 2001
- A Journal of The Proceedings In The Late Expedition To Port-Royal, On Board Their Majesties Ship, The Six Friends, The Honourable Sr. William Phipps Knight, Commander In Chief &c. A True Copy, Attested By Joshua Natstock Clerk.