ダニエル・ステルネフェルト

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ダニエル・ステルネフェルトDaniel Sternefeld1905年11月27日 - 1986年6月2日)はベルギー作曲家指揮者

生涯[編集]

アントウェルペン出身のユダヤ系。アントウェルペン音楽院でレナート・フェレマンスポール・ジルマンに師事し、その後フランク・ヴァン・デア・シュトゥッケン指揮を学んだ。さらにザルツブルクに留学し、モーツァルテウムベルンハルト・パウムガルトナークレメンス・クラウスヘルベルト・フォン・カラヤンらとともに学んだ。1938年、王立オペラ劇場の指揮者に任命された。第二次世界大戦中にベルギーがナチス・ドイツに占領されると逃亡生活に入らざるを得なかった。しかし1942年には危険を冒して師のポール・ジルソンの葬儀のためブリュッセルに姿を現している。また1943年には占領軍から身を隠しながら、交響曲を完成させている。1848年、王立オペラ劇場を去って、ブリュッセルのベルギーラジオ交響楽団の指揮者となり、現代音楽の紹介に努めた。

音楽[編集]

彼の音楽は後期ロマン派の語法、すなわちリヒャルト・ワーグナーの半音階主義からグスタフ・マーラーリヒャルト・シュトラウスの影響、さらに表現主義音楽へとたどることができる。

主な作品[編集]

オペラ[編集]

  • マーテル・ドロローサ(1934)

管弦楽曲[編集]

  • エレジー(1931)
  • 交響曲(1943)
  • ブリューゲル(1981)

器楽曲[編集]

  • エチュードとパッサカリア~クロマティック・ハープまたはダイアトニック・ハープのための(1979)