ジョージ・モンタギュー (初代モンタギュー公爵)
ジョージ・モンタギュー George Montagu | |
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初代モンタギュー公 第4代カーディガン伯 | |
ウィリアム・ビーチーによる肖像画、1752年以降。 | |
在位 |
モンタギュー公:1766年 – 1790年 カーディガン伯:1732年 – 1790年 |
出生 |
1712年7月26日 |
死去 |
1790年5月23日(77歳没) |
配偶者 | メアリー・モンタギュー |
子女 |
ジョン エリザベス メアリー ヘンリエッタ |
家名 | ブルーデネル家/モンタギュー家 |
父親 | 第3代カーディガン伯ジョージ・ブルーデネル |
母親 | エリザベス・ブルース |
初代モンタギュー公爵ジョージ・モンタギュー(英語: George Montagu, 1st Duke of Montagu KG PC FRS FSA、1712年7月26日 – 1790年5月23日)は、イギリスの貴族。
生涯
[編集]第3代カーディガン伯爵ジョージ・ブルーデネルとエリザベス・ブルース(1689年1月頃 – 1745年12月、第3代エルギン伯爵および第2代アイルズベリー伯爵トマス・ブルースの娘)の息子として、1712年7月26日にリンカーンズ・イン・フィールズのカーディガン・ハウス(Cardigan House)でジョージ・ブルーデネル(George Brudenell)として生まれ、8月1日にセント・ジャイルズ・イン・ザ・フィールズで洗礼を受けた[1]。1726年7月1日にオックスフォード大学クイーンズ・カレッジに入学、1730年1月31日にM.A.の学位を修得した[2]。また、1727年10月1日のジョージ2世戴冠式ではページ・オブ・オナーの1人だった[1]。
1732年7月5日に父が死去すると、カーディガン伯爵の爵位を継承した[1]。その後、1749年7月15日に妻の父にあたる第2代モンタギュー公爵ジョン・モンタギューが死去すると、姓をモンタギューに改めた[1]。
1749年12月7日に王立協会フェローに選出され[3]、1784年4月1日にロンドン考古協会フェローに選出された[1]。
1742年から1752年まで北トレント巡回裁判官を、1752年から1790年までウィンザー城管理長官及び総督を務めたほか、1752年6月4日にガーター勲章を授与され、またトーリー党に所属したため1766年11月5日にグレートブリテン貴族であるモンザーマー侯爵とモンタギュー公爵に叙された[1][4]。このとき、同じく公爵の娘と結婚しているヒュー・スミソンも公爵への叙爵を打診されたが、ジョージ3世が求めた、爵位の継承権を公爵の娘の末裔に限定する要求について、スミソンが受け入れた一方、モンタギューは拒否したという[5]。
1776年6月5日に枢密顧問官に任命され、同年から1780年まで王太子ジョージとフレデリック王子の家庭教師を、1780年から1790年まで主馬頭を、1789年から1790年までハンティンドンシャー統監を務めた[1]。
息子に先立たれたため、1786年8月21日に娘エリザベスの息子への特別残余権(special remainder)つきでボートンのモンタギュー男爵に叙された[1]。そして、1790年5月23日に自宅で死去すると、モンタギュー公爵とモンザーマー侯爵の爵位は断絶、ボートンのモンタギュー男爵は娘エリザベスの息子ヘンリーが、カーディガン伯爵は弟ジェームズが継承した[1]。年収1万2千ポンドの価値がある地所は伯爵位とともに弟ジェームズが継承したが、それ以外の遺産は娘エリザベスが継承した[5]。
家族
[編集]1730年7月7日、セント・ジャイルズ・イン・ザ・フィールズでメアリー・モンタギュー(1711年頃 – 1775年5月1日、第2代モンタギュー公爵ジョン・モンタギューの娘)と結婚[1]、1男3女をもうけた[6]。
- ジョン(1735年 – 1770年) - 初代ボートンのモンタギュー男爵
- エリザベス(1743年5月29日 – 1827年11月21日) - 1767年5月2日、第3代バクルー公爵ヘンリー・スコットと結婚、子供あり
- メアリー - 生涯未婚
- ヘンリエッタ - 生涯未婚
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 14–15.
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). "Cowper, William, Earl Cowper". Alumni Oxonienses 1715-1886 (英語). Oxford: University of Oxford. p. 179.
- ^ "Montagu; George (1712 - 1790); Duke of Montagu". Record (英語). The Royal Society. 2019年10月6日閲覧。
- ^ "No. 10671". The London Gazette (英語). 25 October 1766. p. 2.
- ^ a b Chichester, Henry Manners (1894). . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 38. London: Smith, Elder & Co. pp. 248–249.
- ^ "Montagu, Duke of (GB, 1766 - 1790)". Cracroft's Peerage (英語). 2019年10月6日閲覧。
司法職 | ||
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先代 アンカスター=ケスティーヴァン公爵 |
巡回裁判官 北トレント 1742年 – 1752年 |
次代 サマセット公爵 |
公職 | ||
先代 ノーサンバランド公爵 |
主馬頭 1780年 – 1790年 |
次代 グラハム侯爵 |
名誉職 | ||
先代 セント・オールバンズ公爵 |
ウィンザー城管理長官及び総督 1752年 – 1790年 |
次代 カーディガン伯爵 |
先代 マンチェスター公爵 |
ハンティンドンシャー統監 1789年 – 1790年 |
次代 グラハム侯爵 |
イングランドの爵位 | ||
先代 ジョージ・ブルーデネル |
カーディガン伯爵 1732年 – 1790年 |
次代 ジェームズ・ブルーデネル |
グレートブリテンの爵位 | ||
爵位創設 | モンタギュー公爵 1766年 – 1790年 |
断絶 |
ボートンのモンタギュー男爵 1786年 – 1790年 |
次代 ヘンリー・スコット |