ジェームズ・ブラッドリー

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ジェームズ・ブラッドリー
(James Bradley)
James Bradley
生誕 1693年
イギリスの旗 イギリスグロスターシャー
死没 1762年7月13日
国籍 イギリスの旗 イギリス
研究分野 天文学
研究機関 オックスフォード大学
グリニッジ天文台
出身校 オックスフォード大学
主な業績 光行差の発見
章動の発見
位置天文学の基礎作り
プロジェクト:人物伝
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ジェームズ・ブラッドリー(James Bradley, 1693年3月 - 1762年7月13日[1])は、イギリス天文学者エドモンド・ハリーの後任としてグリニッジ天文台の第3代台長を務めた[1]光行差章動を発見した業績でも知られる[1]

生涯[編集]

グロスターシャー生まれ。1711年からオックスフォード大学ベイリオル・カレッジに学ぶ。1718年には王立協会フェローに選ばれる[1]。翌年牧師となったが、1721年にオックスフォード大学のサヴィル教授職に指名され教会を辞めた。1742年エドモンド・ハリーの後任として王室天文官(すなわちグリニッジ天文台長)に任命された。

最も有名な彼の業績は1728年の光行差の発見である。1725年よりロンドン郊外に望遠鏡を設置し、りゅう座γ星ロンドンの天頂を通過する)を観測し続けた。ブラッドリーはこの星の赤緯変化から年周視差を発見できると期待していたが、測定結果は光行差の存在を示すものだった。またこの結果から光速度を約301,000km/sと計算した。

1748年、ブラッドリーは、現在では「主要章動」と呼ばれる18.6年周期の章動を発見した[2]。これは、光行差の検証のために1727年から1747年にかけて20年間りゅう座γ星の観測を続けてきた副産物であった[2]。また長年に渡って精密な観測を続け星表を出版し、位置天文学の基礎を作った[3]

彼の功績を称えて、小惑星 (2634) ジェームズ・ブラッドリーが彼の名を取り命名されている[4]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d "Bradley; James (1693 - 1762)". Record (英語). The Royal Society. 2020年7月14日閲覧
  2. ^ a b “I. A letter to the Right honourable George Earl of Macclesfield concerning an apparent motion observed in some of the fixed stars; by James Bradley D. D. F. R. S”. Philosophical Transactions of the Royal Society of London 45 (485): 1-41. (1997). doi:10.1098/rstl.1748.0002. ISSN 0261-0523. 
  3. ^ ヨアヒム・ヘルマン 著、小平桂一 監修 編『カラー天文百科』(初版第1刷)平凡社、1976年3月25日、324頁。 NCID BN02236524 
  4. ^ (2634) James Bradley = 1905 CC = 1931 FL = 1961 XH = 1963 FC = 1975 AO = 1976 GB1 = 1977 KP = 1982 DL”. MPC. 2021年8月28日閲覧。
先代
エドモンド・ハリー
グリニッジ天文台長
1742年 - 1762年
次代
ナサニエル・ブリス