ジェノバ (企業)
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒530-0022 大阪府大阪市北区浪花町13-20 |
設立 | 1982年10月2日 |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 9120001064783 |
事業内容 | 女性メイキングファンデーション販売、宝飾品販売、宅地開発事業、観光事業 |
代表者 | 代表取締役社長 清水道 |
資本金 | 5000万円 |
純利益 |
3,864万1,000円 (2024年6月期)[1] |
総資産 |
28億2,811万円 (2024年6月期)[1] |
従業員数 | 200名 |
決算期 | 6月30日 |
主要子会社 | 株式会社淡路ジェノバライン、株式会社ジェイ・ヒューマン、株式会社ジェイ・アヴァン、天然ラドン温泉海若の宿 |
外部リンク | http://www.jenova.jp/ |
株式会社ジェノバは大阪府大阪市に本拠を置く、体型補整下着およびジュエリーの販売会社である。明石港(明石市)と富島港(淡路市)・岩屋港(淡路市)を結ぶ淡路ジェノバラインの親会社であり、その名の由来となっている。観光事業では、淡路島で温泉掘削に成功し、天然ラドン温泉海若の宿を運営している。
沿革
[編集]- 1982年 - ベストウエア設立、主な事業は家庭用調理器具
- 1984年 - 関西パンレックスに商号を変更
- 1988年 - ジェノバに商号を変更、女性用補正下着及び宝飾品の販売に事業を変更
- 1993年 - 焼肉店を出店、外食産業に進出
- 1997年 - 京都北工場開設
- 2002年 - 関連会社として淡路ジェノバライン設立
- 2003年
- 淡路食品流通センター開設
- 農業法人として淡農園設立
- 2005年
関連企業
[編集]概要
[編集]2001年11月、淡路島・富島港 - 明石港の航路を運航していた株式会社西淡路ラインが明石海峡大橋開通による影響などにより撤退、北淡町(現:淡路市)は通学などに支障が出るとして後継の企業を探していたところ、船や釣りが趣味で淡路島を度々訪れていた同社の吉村静穂(代表取締役)が「好きな島のためなら」と、子会社淡路ジェノバラインを設立[2]。航路を引き継ぎ、2002年4月8日、運航を再開した[3][4][5]。 同社は体型を補正する女性用下着の販売が主な業務であるが、これを機に旅客業に進出[6]。
2003年10月、富島港近くの地中1200メートルから38.8度の温泉を掘り当て[7]、温泉旅館の建設にとりかかる中、工事中に万葉に記述のある「野島の海人」の拠点集落とみられる住居跡も発見された[8]。2006年6月、淡路島天然ラドン温泉海若の宿としてオープンする[9]。
2006年11月30日、経営難のため同年末での運航休止を発表していた明淡高速船(子午線ライン、明石港 - 岩屋港)の航路を2007年1月1日付で引き継いでいる[10][11][12][13]。
2008年5月19日、富島-明石間の航路が休止[14]、現在は岩屋-明石間の航路のみ運航している。
2010年12月24日には、明石淡路フェリーの筆頭株主だったツネイシホールディングスから全保有株式を譲り受けることが決まった[15]。 当初、2011年3月をめどにフェリー運航の再開を目指すとしていた[16]。 2011年10月20日、明石淡路フェリーの代替としてバイク(排気量125cc以下)・自転車・旅客を対象とした小型フェリーの導入・運航を明石市・淡路市の協議にて調整していると報道があったが[17]、2011年10月24日には、淡路市の門康彦市長と明石市の泉房穂市長の会談により、小型フェリーによる運航再開計画は事実上撤回された[18]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b 株式会社ジェノバ 第42期決算公告
- ^ “高速艇一雙 大阪の会社が営業 富島-明石航路 4月再開 ”. 毎日新聞. (2002年2月21日)
- ^ “北淡-明石間 5ヶ月ぶり航路再開 念願…住民らが歓迎 あすから正式運航 記念式典など開催”. 神戸新聞. (2002年4月7日)
- ^ “富島-明石高速艇就航式 航路再開、200人が祝う あすから運航 住民の願い実る”. 毎日新聞. (2002年4月7日)
- ^ “富島-明石 あすから1日11往復 通学、生活の足再開 運動実り喜びひとしお”. 朝日新聞. (2002年4月7日)
- ^ “好きな淡路のために、ひと肌 北淡・明石間 定期航路が復活”. 神戸新聞. (2002年4月6日)
- ^ “高速艇の運航会社 温泉掘り当てる”. 神戸新聞. (2003年12月17日)
- ^ “「野島の海人」拠点か 北淡の畑田遺跡 弥生-奈良の住居跡 町教委が発掘調査 縄文早期のやじりも”. 神戸新聞. (2004年8月11日)
- ^ “夕日の播磨灘を一望 ゛万葉〝の宿完成 淡路・野島2日開業”. 神戸新聞. (2005年6月25日)
- ^ “年内限りの明淡高速船後継 ジェノバライン名乗り”. 神戸新聞. (2006年11月19日)
- ^ “明石-岩屋航路ジェノバライン交渉 存続へ道筋ようやく 地元住民ら期待「活気取り戻して」”. 神戸新聞. (2006年11月19日)
- ^ “明淡航路 ジェノバが引き継ぎ 社長「観光にも力」”. 朝日新聞. (2006年12月1日)
- ^ “明淡高速船航路 ジェノバラインが継承 所有船や施設 購入合意、覚書交わす”. 読売新聞. (2006年12月1日)
- ^ “淡路ジェノバライン富島航路が休止となりました。”. 淡路ジェノバライン. (2008年5月19日) 2011年12月14日閲覧。
- ^ “明石淡路フェリー(株)からの経営撤退について”. ツネイシホールディングス. (2010年12月24日) 2011年12月14日閲覧。
- ^ たこフェリーにお別れ 半世紀の航路休止、最終便見送[リンク切れ] アサヒ・コム 2010年11月16日
- ^ “単車や自転車向けで、「たこフェリー」再開へ”. 神戸新聞. (2011年10月21日) 2011年12月14日閲覧。
- ^ “「たこフェリー」再開白紙に 淡路市も反対姿勢”. 神戸新聞. (2011年10月24日) 2011年12月14日閲覧。