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ジェニー・トゥーレル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジェニー・トゥーレル(Jennie Tourel, 1900年6月22日 - 1973年11月23日)は、現在のベラルーシ出身のメゾソプラノ歌手。

ロシア帝国ヴィーツェプスクにイェニー・ダヴィドヴィチ (Jennie Davidovic) として生まれる。フルートピアノを学んだが、ロシア革命のために家族ともどもダンツィヒ近郊に行き、結局パリに移り住んだ。パリではレイナルド・アーンアンナ・エル・トゥアに師事した[1]

1929年にエミール・クーパー指揮ボロディンの『イーゴリ公』に出演してパリ・デビューを飾り、翌年にはシカゴ・シヴィック・オペラでエルネスト・モレの『ロレンザッチョ』に出演してアメリカ・デビューを飾った。その後、パリのオペラ座ニューヨークメトロポリタン歌劇場を往来するようになったが、1940年にナチス占領前のパリを脱出してアメリカに渡り、1946年に市民権を取得した。その後は、レナード・バーンスタインの『エレミア』の初演、1951年のフェニーチェ座でのストラヴィンスキーの『放蕩児の遍歴』の初演への参加などが挙げられ、バーンスタインは彼女のために「私は音楽が嫌い」という連作歌曲を作っている。

ジュリアード学院などでも教鞭をとり、主な弟子にバーバラ・ヘンドリックスが挙げられる。

ニューヨークで死去した。

脚注

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  1. ^ 彼女の芸名について、師エル・トゥアのアナグラムと考えられているが、トゥーレル自身は否定している。(Laura Williams Macy The Grove Book of Opera Singers, Oxford University Press, 2008, p.502)