シュテファン・トラック
シュテファン・トラック | |
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2018年撮影 | |
基本情報 | |
別名 |
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生誕 | 1971年9月15日(53歳) |
出身地 | ドイツ バーデン=ヴュルテンベルク州アーレン |
ジャンル | |
活動期間 | 2006年 - |
共同作業者 | ヴォルフガング・ハイヒェル(2018-2022年) |
公式サイト | http://www.rocking-son.com/ |
シュテファン・トラック(ドイツ語: Stefan Track、1971年9月15日 - )は、ドイツバーデン=ヴュルテンベルク州アーレン出身の歌手。ジンキスカンのカバーバンドとしてロッキング・サン(Rocking Son)などの名義で活動している。
経歴
[編集]生い立ち
[編集]1971年、ドイツ南部のアーレンで生まれたシュテファンは、学校を卒業すると看護師の訓練を経て看護師として働くとともに、モデルやダンサーとして活動する[1]。1996年にダンス団体「Act of Contrition(略称 : A*Con)」を設立して振付師兼ダンサーとして活動し、ドイツのヒッピホップのチャンピオンとなった[1]。
2000年には、ジンギスカンのルイスがかつて所属したゲルトナープラッツ劇場と5年契約を結んだ[1][2]。
2005-2017年
[編集]2005年、ハインツ・グロスによってジンキスカンの復活コンサートが企画されると、既に亡くなっていた ルイスの代役としてシュテファンが抜擢される[3]。ショーの振付師も任されたシュテファンはダンスパートナーとしてエプル・カーヤの参加を提案し、さらにダニエル・ケスリンクを加えた3人がゲストダンサーとして参加した[1][2][3]。
復活コンサートへのゲスト出演の後、シュテファンはエプルやダニエルとともにジンギスカンのカバーバンド「Khaan」を開始し、2007年5月には「元グループとの区別の明確化」のためにバンド名をジンギスカンの楽曲に由来する「ロッキング・サン(Rocking Son)」(あるいはRocking Son Of Dschinghis Khan)へと変更した[4]。
2007年にダニエル、2009年にエプルが脱退すると、シュテファンはマヨルカ島へと移住してドイツでは「Rocking Son」名義、ロシアでは「Dschingis Khan」名義で活動を続けた。2013年のロシアでのインタビュー記事でシュテファンは
現在、ジンギスカンの楽曲を演奏しプロデュースする独占的権利に有するのは自分であり、そのためにラルフ・ジーゲルとは常に緊密に協力してきた。
という趣旨を答えており、記事の末尾には「ジーゲルはジンギスカンの全ての楽曲の権利をシュテファンに正式に譲渡した」とも書かれている[2]。
2018年以降
[編集]2018年半ばからは、ジンキスカンのオリジナルメンバーであるヴォルフガング・ハイヒェルと協力した。当時ヴォルフガングはドイツ、シュテファンはロシア・ウクライナ・スペインでそれぞれ「ジンギスカン」の関する商標を有しており[5][6]、この合流は互いの有する権利の強化が目的であった。
2人は「ジンギスカン」名義で活動したが、2人の間には2020年には重大な意見の相違が生じていたとされ、2021年7月にバンドのロゴや名称の権利をめぐる裁判でジーゲルに敗訴すると関係を解消している[7]。その後、ヴォルフガングは「ジンギスカン(Chinggis Khan)」名義のバンドで活動し、シュテファンはまた別のジンギスカンのコピーバンドを結成して活動を続けている[7]。
2024年には、シュテファンが有していたドメイン「ralphsiegel.de」と「ralphsiegel.com」についてもジーゲルに敗訴しており、この裁判でジーゲルはシュテファンを「Trittbrettfahrer(便乗者)」と評した[8][9]。
グループ活動のメンバー
[編集]主要メンバー
[編集]- ダニエル・ケスリンク / Daniel Käsling(2006 - 2007)
- エプル・カーヤ / Ebru Kaya(2006 - 2009)
- ヴォルフガング・ハイヒェル / Wolfgang Heichel(2018 - 2022)
ダンサーチーム「Gefährten」
[編集]- ルー / Le Ung Hoang(2007 - 2008)
- ナタリー / Natalie Horoba(2009 - 不明)
- レオニ・エッフィンガー / Leoni Kristin Oeffinger(2011 - 2013)[2][10]
- サラ・フライゲ / Sarah Fleige(2011 - 不明)[2]
- カーテ・サンデル / Kate Sandell(2011 - 不明)[2]
- アンドレアス・グレーベ / Andreas Gräbe(2011 - 不明)[2][11]
- ムィコーラ / Микола, Mykola pylnyev(2014 - 不明)[2]
- Leila Melikova
- Tatiana Gerisamova
- Denis Loginov
- Andrey Ivanoff
ディスコグラフィ
[編集]アルバム
[編集]タイトル | 名義 | 年 | 備考 |
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Rising | Rocking Son | 2007 | 2008年に5曲収録のEP「International Edition」がリリース。 |
Dschinghis Khan – Best Hits | Kazachok | 2007 | |
Here we go | Dschinghis Khan | 2020 | ヴォルフガングと共同。 |
シングル
[編集]タイトル | 名義 | 年 | 備考 |
---|---|---|---|
Yippieh Hooray | Rocking Son | 2009 | |
All what you want | Rocking Son | 2009 | |
Loreley | Rocking Son | 2010 | |
Moskau | Rocking Son | 2013 | |
Sin Amor (Dschinghis Khan spanisch) | Rocking Son | 2013 | |
Der Dudelmoser | Rocking Son | 2013 | |
Moskau | Rocking Son of Dschinghis Khan | 2017 | |
Wir sind da (Dschinghis Khan) | Rocking Son of Dschinghis Khan | 2018 | |
Die Strassen von Paris | Dschinghis Khan | 2019 | ヴォルフガングと共同。 |
Istanbul | Dschinghis Khan | 2020 | ヴォルフガングと共同。 |
Komm doch heim | 2022 | ||
Star of the night | 2022 |
脚注
[編集]- ^ a b c d “Dschingis Khan wandert aus” (ドイツ語). 2024年7月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “Легендарная группа «Dschinghis khan» вновь планирует посетить Россию” (ロシア語). 2024年7月10日閲覧。
- ^ a b “Internationales Comeback von Dschinghis Khan” (ドイツ語). 2024年7月19日閲覧。
- ^ “Rocking Son-Tournee in Heimatstadt Aalen/Mallorca” (ドイツ語). aaleninfo.de. 2024年7月10日閲覧。
- ^ “Dschinghis Khan (Genghis Khan): Band biography - Salve Music” (ドイツ語). salvemusic. 2004年7月10日閲覧。
- ^ “1986 bis heute” (ドイツ語). STEPPENWIND - Offizielle Dschinghis Khan Fanseite. 2024年7月10日閲覧。
- ^ a b “Start” (ドイツ語). STEPPENWIND - Offizielle Dschinghis Khan Fanseite. 2024年7月10日閲覧。
- ^ Tanja May, Andreas Bachner (2024年6月18日). “Ralph Siegel siegt im „Dschinghis Khan“-Zoff” (ドイツ語). bild.de. 2024年7月19日閲覧。
- ^ “【便乗者】”. 和独辞典. 2024年7月19日閲覧。
- ^ “Leoni Kristin Oeffinger”. leonikristin.de. 2024年7月19日閲覧。
- ^ “Andreas Gräbe”. crew-united.com. 2024年7月19日閲覧。
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、シュテファン・トラックに関するカテゴリがあります。
- 公式ウェブサイト
- ロッキング・サン (rockingson.official) - Facebook