サカモトデュラブ
この記事では「旧馬齢表記」と「新馬齢表記」が混在しています。 |
サカモトデュラブ | ||||||
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欧字表記 | Sakamoto Doulab[1] | |||||
品種 | サラブレッド[1] | |||||
性別 | 牡[1] | |||||
毛色 | 鹿毛[1] | |||||
生誕 | 1993年4月9日[1] | |||||
死没 | 不明 | |||||
父 | デュラブ[1] | |||||
母 | サリアシンゲキ[1] | |||||
母の父 | サクラシンゲキ[1] | |||||
生国 | 日本(北海道浦河町)[1] | |||||
生産者 | 久保農場[1] | |||||
馬主 |
高橋正 →濱口政一 [1] | |||||
調教師 |
伊藤和(岩手) →甲田守(高知) [1] | |||||
競走成績 | ||||||
生涯成績 | 104戦16勝[1] | |||||
獲得賞金 | 1億2472万円[1] | |||||
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サカモトデュラブ(欧字名:Sakamoto Doulab、1993年4月9日 - 不明)は、日本の競走馬[1]。主な勝ち鞍に1999年の東京盃。
経歴
[編集]2歳時(旧3歳・1995年)
[編集]1995年水沢競馬場でデビュー。圧倒的スピードで逃げ切るレーススタイルで3連勝、初めてのJRA挑戦となったダリア賞で2着、G3の新潟3歳ステークスで3着、福島3歳ステークスで5着の好成績を残したが、1600mの距離で戦った地元のレースではことごとく惨敗を喫する。
3歳時(旧4歳・1996年)
[編集]シーズン明け初戦となったダート1600m戦のスプリングカップでも惨敗した事から、次走はダート1200mの古馬オープン戦に挑戦し2着、4歳特別の七時雨賞で1秒差の圧勝。トパーズカップで初めて1600m戦で1着となったが、その他のレースでは惨敗と極端な成績が続いた。
4歳時(旧5歳・1997年)
[編集]適性のあるレースを求め、この頃から遠征に出る事が多くなる。札幌(道営開催)の北海道スプリントカップで5着、大井の東京盃では2着と好走したものの、続くJRAの根岸ステークスで大敗。シーズン未勝利に終わる。この頃になると実績があるレースが右回り短距離に偏りつつあった。
5歳時(旧6歳・1998年)
[編集]右回りの短距離戦を求めて臨んだJRAのガーネットステークスで大敗。その後は3戦して掲示板にも載れなかったが、続く北海道スプリントカップで最低人気ながら2着に入る波乱を演出、続く早池峰賞で1996年11月以来となる1着を挙げる。東京盃では4着と好走したものの、全日本サラブレッドカップでは最終コーナーまで先頭グループにいたものの直線で力尽き最下位に終わり、その後休養に入る。
6歳時(旧7歳・1999年)
[編集]半年近い長期休養から5月に復帰後は全く状態が上がらなかったが、9月に行われた東京盃で1枠からマイペースで逃げ、直線で迫るビコーミニスターをクビ差抑え1着、GIIウイナーとなった。しかし、その後のレースでは惨敗続きで、年末の桐花賞では1着馬に11.9秒差という大敗を喫する。
7歳時(旧8歳・2000年)
[編集]1200m戦の姫神賞で5着になった以外、出るレースほぼ惨敗続き。連覇を懸けて挑んだ東京盃では後方からの競馬となり12着、桐花賞では昨年を上回る1着馬に12.6秒差で敗れ、このレースを最後に高知競馬に移籍。
8歳時(2001年)
[編集]7月、高知での移籍初戦(サラA級)は7秒差の大敗、続くレースでも同じような大敗を喫し、その後E級に降格。ここでは格が違い、距離も守備範囲であることから勝ち負け(競馬用語で上位争いに加わること)の連続。
9歳時(2002年)
[編集]D級に昇格しても勢いは止まらず連勝を4まで伸ばしたが、C級昇格後は重・不良馬場では惨敗し、良・稍重馬場では勝ち負けを演ずる。
10歳時(2003年)
[編集]この年に入っても重・不良馬場に苦しめられる一方、良・稍重馬場では好走するという成績が続いた。2003年12月22日、良馬場で行われたBC混合戦7着のレースを最後に引退し、2004年1月20日に地方競馬登録を抹消された。以降の動向は不明。
競走成績
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
特徴
[編集]- デビュー時は、スピードに任せて逃げるレース振りが目立っていたが、後年は折り合って逃げるレースもしている。晩年、高知移籍後は差しに構える競馬も見せていた。
- スピードを生かす競馬をするタイプであったので、スピードが殺されない平坦なコースの短距離を芝ダート問わず得意としていた。また、左回りがあまり得意ではなく、同馬が使われていた左回りコースは直線に坂がある盛岡競馬場と東京競馬場で、ここでは良績を残せていない。好走する舞台がコースによってある程度限られるスタイルであった。
血統表
[編集]サカモトデュラブの血統(ノーザンダンサー系 / Nasrullah 5×5=6.25%、ユアハイネス 5×5=6.25%(母内)) | (血統表の出典) | |||
父 *デュラブ Doulab 1982 栗毛 |
父の父 Topsider1974 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Drumtop | Round Table | |||
Zonah | ||||
父の母 Passerine1977 栗毛 |
Dr.Fager | Rough'n Tumble | ||
Aspidistra | ||||
Pashamin | My Babu | |||
Tir an Oir | ||||
母 サリアシンゲキ 1988 鹿毛 |
サクラシンゲキ 1977 鹿毛 |
*ドン | Grey Sovereign | |
Diviana | ||||
アンジェリカ | *ネヴァービート | |||
スターハイネス | ||||
母の母 ヒシノサリア1981 鹿毛 |
アローエクスプレス | *スパニッシュイクスプレス | ||
*ソーダストリーム | ||||
マスアイリス | *ヴェンチア | |||
マステル F-No.3 |
半妹に、岩手競馬のひまわり賞を勝ったサカモトサクラ(父プルラリズム、岩手で69戦5勝)がいる。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビKEIBA.GO.JPJBISサーチ