オート名匠戦
オート名匠戦(オートめいしょうせん)は、かつて開催されていたオートレースのGII競走の1つである。
歴史
[編集]2005年に川口オートレース場に新設されたGII競走である。2001年の競走制度改革でGIグランドチャンピオン決定戦が廃止され、同時にGII競走だったキューポラ杯争奪戦がGIに格上げされて以来、川口ではGII競走がまがたま杯争奪戦のみとなっていた。
本来記念競走はGI・GIIともに2つあるのが基本であったために新設されたものである。
2005年の第1回大会当初からスポーツニッポン新聞社杯として開催されていたが、2013年の第9回大会は週刊実話杯として開催された。2014年以降は開催されていない。
開催時期・出場選手選抜方法
[編集]第1回から第3回までは、川口を除く各オートレース場の20期生(1987年選手登録)までの選手のみが斡旋されていた[1]。しかし、川口所属の選手は期別に関わらず斡旋されていた。このことから、川口の若手を優遇するだけのレースという批判もかつては存在した。
2008年の第4回より、開催時期を従来の9月末〜10月初頭から、2007年までGIIまがたま杯争奪戦が開催されていた6月中旬へと移した。それに併せ、出場選手を各オートレース場の21期生(1989年選手登録)までの選手に限定。22期以降の選手は斡旋されなくなった[2]。その後、斡旋の制限が徐々に緩和され、2012年の第8回は22期生まで、2013年の第9回は23期生までが斡旋されるようになった。
番組
[編集]番組に関しては通常のレースと同様であり、オープンレース限定などの変則的な番組構成は行われない。
初日の第12レース、いわゆる「スーパードリーム戦」は「巧技の真髄」と銘打たれ、SG優勝の経験を持ち、なおかつ通算勝利数が1000勝を超える選手のみが選出されていた[3]。
第4回大会ではドリーム戦は行われず、全レースが通常の予選競走として実施された。ただし、二日目の第12レースではあくまで通常の予選としながらも、出走する選手全員を1000勝以上の面々で固めた「1000勝対決」として行われた。
優勝戦は特に「マイスター決定戦」と銘打たれている。
過去の優勝者
[編集]回 | 開催日 | 優勝者 | 競走車呼名 | 競走タイム |
---|---|---|---|---|
1 | 2005年(平成17年)10月4日 | 岩田行雄 | ミステリアス | 3.389 |
2 | 2006年(平成18年)10月3日 | 深谷輝 | フランシス | 3.333 |
3 | 2007年(平成19年)10月3日 | 片平巧 | キブロワイト | 3.603 |
4 | 2008年(平成20年)6月18日 | 宍戸幸雄 | ファイナル | 3.454 |
5 | 2009年(平成21年)6月14日 | 優勝戦不成立 | ||
6 | 2010年(平成22年)6月16日 | 岡部聡 | フラッグシップ | 3.444 |
7 | 2011年(平成23年) | 東日本大震災のため中止 | ||
8 | 2012年(平成24年)4月11日 | 青島正樹 | ギグ | 3.629 |
9 | 2013年(平成25年)11月13日 | 浦田信輔 | パンジャA | 3.382 |
第4回大会でのイベント
[編集]第4回大会では数多くの旧エンジンがイベント用に使用された。従来のイベントではトライアンフが主に使用されていたが、トライアンフ以外にもメグロ二気筒やトーヨーの1級車単気筒などが使用された。また、初日・二日目はレース時のエンジン始動を手旗発走時代の方式[4]が再現された。
イベントで使用された旧車一覧
[編集]- メグロ(二気筒):岩佐常義(10期、船橋オートレース場所属(当時)。現在、川口オートレース場所属)の『ファング』と、所有選手不明の二車が使用された。
- フジ(二気筒):嶋田守孝(6期、引退。元川口オートレース場所属)の所有していた競走車が使用された。
- トーヨー(単気筒):篠崎実(9期、川口オートレース場所属)の『クールサマー』と、直江伸明(19期、引退。元川口オートレース場所属)所有の競走車二車が使用された。
これらのエンジンは、イベント車として以前から使用されていた『プリンス』を除いては、その大半が眠っていたエンジンであった。実際に走行可能なレベルまで復元するのに2ヶ月以上の時間を要したといわれる。
また、最終日のデモランでは上記の旧車に加え、セアが一車混ざっていた。このセアは、八木橋廣(12期、引退。元川口オートレース場所属)がかつて所有していた競走車をベースに、競走会側が高橋貢(22期、伊勢崎オートレース場所属)の名車『Fニーナ』号をモチーフとしたペイントを施したものであった。
エピソード
[編集]- 第1回大会を制覇した岩田行雄は完全優勝(全レース1着)を達成した
- 第2回大会を制覇した深谷輝は、グレードレース初制覇であった。
- 第3回大会を制覇した片平巧は、6年ぶりのグレードレース制覇を達成した。
脚注
[編集]- ^ 第1回・第2回大会は19期生までしか斡旋されなかった。
- ^ 21期生はセア移行前に1級車二気筒エンジン(この場合はフジ)に乗れた最後の世代である。22期生は1級車単気筒(キョクトー、トーヨー)まで、23期生はメグロの2級車にしか乗れず、24期以降の選手は2級車からセアを使用している。
- ^ 2005年の第1回大会の初日第12レースと全く同じ番組が、同年12月のスーパースターフェスタ初日に「プレイバック・名匠ドリーム」と銘打たれて行われた。
- ^ 現在はピット内から押し掛けで登場するが、手旗発走時代は各ハンデ線上にあらかじめ競走車を配置し、選手はそこまでトラックで運ばれていた。そして各ハンデ線上で観客に一礼した後、自身の競走車に跨ったところで、ハンデ線上から押し掛けでエンジンを始動していた。
- ^ ただし、『ホージョウ』に関しては馴染み深い赤いフレームのものではなく、茶色を基調としたフレームだった。