オトル・アイヒャー

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Otl Aicher (1959)

オトル・アイヒャーOtl Aicher, 1922年3月13日 - 1991年9月1日)は、20世紀ドイツを代表するグラフィックデザイナー[1]タイポグラファー書体デザイナー)。

アイヒャーは、バーデン=ヴュルテンベルク州ウルム市に生まれる[1]。反ナチス・ドイツの抵抗運動・白薔薇のメンバーであるハンス・ショールソフィ・ショールの末弟・ヴェルナー・ショールと親友であり、アイヒャー自身も反ナチス派であった[1]。アイヒャーはヒトラーユーゲントへの加入を拒んだために、ギムナジウムの修了資格が得られず、19歳で兵役に就く[1]。そして、1945年1月には、配属されていた東部戦線から脱走し、終戦までショール家に匿われていた[1]

1952年に、1943年に処刑されたハンス・ショールとソフィ・ショールの姉、イング(Inge Scholl)と結婚[1]

1953年に、デザイナーのマックス・ビルMax Bill)と妻を伴い、ウルム造形大学(Hochschule für Gestaltung Ulm)を設立する[1]。この美術学校は1950年代から1960年代にかけて、ドイツにおけるデザイン教育の中心地となった。オトルは理論と実践によりヴィジュアル・コミュニケーション・デザイン(視覚伝達デザイン)の概念と具体的な方向を打ち出した。

1985年、アイヒャーは、自身が第二次世界大戦時に脱走兵であったことを告白した[1]

関連作品[編集]

1969年にはルフトハンザドイツ航空のコーポレート・ブランディングおよびロゴ・デザインに関わった[1]

アイヒャーは1972年ミュンヘン・オリンピックのデザイナーのリーダーとして知られる[1]。彼は、現在では公共標識でも広く使われている絵記号(ピクトグラム)の立役者でもある[2][1]。また、オリンピック・マスコットを公式に初めてデザインした。ワルディーWaldi)という縞のダックスフント犬である。

1988年Rotis(ローティス)というフォント・ファミリーをデザインした。このフォントは彼が事務所を構えていたドイツの地名ローティスにちなんで名付けられた。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 對馬達雄『ヒトラーの脱走兵 : 裏切りか抵抗か、ドイツ最後のタブー』中央公論新社、2020年。ISBN 978-4-12-102610-1 

外部リンク(英語)[編集]