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イヴァン・ゴイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イヴァン・ゴイ
グランプリでの経歴
国籍 イタリアの旗 イタリア
活動期間 1996年 - 2002年
レース数 75
優勝回数 1
表彰台回数 2
通算獲得ポイント 353
ポールポジション回数 0
ファステストラップ回数 0
初グランプリ 1996年 125cc マレーシアGP
初勝利 1996年 125cc オーストリアGP
最終勝利 同上
最終グランプリ 2002年 125cc ドイツGP
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イヴァン・ゴイ[1] ( Ivan Goi, 1980年2月29日 - ) は、イタリアクレモナ県カザルマッジョーレ出身[2]オートバイレーサー。ロードレース世界選手権125ccクラスでの勝利経験を持つ。

経歴

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1996年ロードレース世界選手権125ccクラスにデビュー。第7戦ダッチTTで初表彰台となる2位に入り、エステルライヒリンクで開催された第10戦オーストリアGPで初優勝を果たした。このときゴイの年齢は16歳と157日であり、これは当時の最年少優勝記録となった[3]。同年にデビューしたバレンティーノ・ロッシ(第11戦チェコGPで初優勝)と共に、ゴイは将来が有望なイタリア人ライダーと評価された[4]。この年のシリーズランキングでは、ロッシが111ポイントで9位、ゴイが110ポイントで10位と並んだ。

しかし翌シーズン以降、ロッシがチャンピオンを獲得して一気にスターダムに駆け上がった一方、ゴイはホンダからアプリリアへのマシン変更に順応できずに[4]成績は低迷し、結局表彰台に立つことも叶わないまま2000年シーズン終了をもってグランプリを一旦去った。2002年に、負傷したヤロスラフ・ユレスの代役としてマッテオーニ・レーシングから2戦出場したのがゴイの最後のGP参戦となっている。

またゴイは2001年から2006年にかけて、スーパースポーツ世界選手権スーパーバイク世界選手権ワイルドカード枠で数戦に出場した経験を持っている[5]。2010年はイタリア国内のロードレース選手権(CIV)のスーパーストック1000クラスにアプリリア・RSV4を駆って出場し、シリーズチャンピオンとなった[6]。また同年の鈴鹿8時間耐久ロードレースに、現役大学生ライダーの津田一磨をパートナーに、Team D.D. BOYSよりRSV4で出場[7]、総合32位で完走を果たした[8]

主なレース戦績

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ロードレース世界選手権

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シーズン クラス バイク 出走 優勝 表彰台 PP FL ポイント シリーズ順位
1996年 125cc ホンダ 15 1 2 0 0 110 10位
1997年 125cc アプリリア 12 0 0 0 0 21 18位
1998年 125cc アプリリア 14 0 0 0 0 53 14位
1999年 125cc ホンダ 16 0 0 0 0 61 13位
2000年 125cc ホンダ 16 0 0 0 0 108 10位
2002年 125cc ホンダ 2 0 0 0 0 0 -
合計 75 1 2 0 0 353

スーパーバイク/スーパースポーツ世界選手権

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シーズン カテゴリ バイク 出走 優勝 表彰台 PP FL ポイント シリーズ順位
2001年 スーパースポーツ ホンダCBR600 3 0 0 0 0 7 25位
2003年 スーパースポーツ ヤマハYZF-R6 3 0 0 0 0 1 36位
2005年 スーパースポーツ ヤマハYZF-R6 4 0 0 0 0 10 24位
2006年 スーパーバイク ホンダCBR1000RR 4 0 0 0 0 0 -

脚注

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外部リンク

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