アドリース・ラティーフ
アドリース ラティーフ Adrees Latif | |
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生誕 |
1973年7月21日(51歳) パキスタン・ラホール |
国籍 | アメリカ合衆国 |
職業 | フォトジャーナリスト |
活動期間 | 1989 - |
受賞 |
2008年ピューリッツァー賞 ニュース速報写真部門 2019年ピューリッツァー賞 ニュース速報写真部門 |
アドリース・ラティーフ(Adrees Latif、1973年7月21日 - )は、アメリカ合衆国のフォトジャーナリスト。パキスタン系アメリカ人。ロイター通信のカメラマンとして2003年からアジアの報道写真を発信、2012年以降はアメリカで、スポーツ、エンターテインメント、紛争、自然災害などの分野で活動している[1][2][3][4]。ピューリッツァー賞を二度受賞[5][6]。2007年日本のビデオジャーナリスト長井健司がミャンマーの治安部隊によって射殺された瞬間の写真は、ロイター初のピューリッツァー賞獲得となった[7]。
略歴
[編集]1973年7月21日にパキスタンラホールで生まれ、1980年までサウジアラビアで育つ。7歳のとき家族とテキサスに移住し、ヒューストンの高校でフォトジャーナリズムと写真を選択科目として学んだ。1989年からフリーランスとしての活動を始め、1993年からはヒューストンポストにインターンとして2年在籍している。1999年にヒューストン大学でジャーナリズムの学士号(BA)を取得して卒業。2001年のアフガン侵攻を取材、イラクでは従軍記者を経験した[8]。ロイターの仕事は1995年からで、ヒューストンとカリフォルニアではフリーランスとして在籍。2003年からバンコクでシニアフォトグラファー、2009年からはイスラマバードでチーフフォトグラファーとして、アジア一円のニュースをロイターから発信した。2012年アメリカ合衆国に戻り、ニューヨークでの6年間を経て、2018年5月からはヒューストンで活動[2]。
「日本人ジャーナリストの死」
[編集]2007年9月23日、のちにサフラン革命と呼ばれる大規模なデモを取材するためミャンマーへ入国。ジャーナリストと思われないように、Tシャツ、サンダル、カメラ1台、レンズは望遠と標準1本ずつと、軽装でヤンゴンに入った。4日後の9月27日、取材中の午後1時30分ごろ、武装した治安部隊のトラックがデモの現場に到着すると15秒後には長井健司殺害が起きた。ラティーフはどんな瞬間でも撮れるようにカメラの焦点深度を深くして取材しており、50mほど離れた歩道橋[注 1]の上から殺害の瞬間を2秒ほどで4カット撮影。すぐに裏道を通り2時間かけてホテルに逃れた。写真を送信したあと、夜になってからロイター東京支局から連絡が入り、撃たれたのは日本人のフリージャーナリストと知らされた。写真は翌朝ニューヨークタイムズはじめ各紙のトップを飾ったが、安全のため撮影者のクレジットはしばらくの間伏せられた。ラティーフはこのときまだヤンゴンのホテルに潜伏したままだった[12][13]。
2008年3月7日、日本の写真月刊誌DAYSJAPANの招きで来日[12]。長井が契約していたAPF通信社で遺族と対面した[14]。また第4回DAYS国際フォトジャーナリズム大賞の特別賞を受賞し、10日に会見[13]。撮影当時の様子を「スローモーションのようだった」と振り返り、「(長井と)一緒に特別賞を受賞できた」とも語った。
2008年4月7日、長井を撮った写真[注 2]が第92回ピューリッツァー賞のニュース速報部門を受賞。ロイターに初のピューリッツァー賞をもたらした。「歴史に残り、また人々が当日起きたことを思い出すきっかけになることをうれしく思う」とコメントするとともに、長井に哀悼の意をささげたいと取材中のネパールから電話で語った[7][15]。
主な業績
[編集]2011年2月7日、ICP(国際写真センター)は、第27回インフィニティアワードのフォトジャーナリズム部門にアドリース・ラティーフを選んだ[20]。8月、ガーディアンはラティーフの特集として、2010年8月のパキスタン洪水の報道写真と、1年後の2011年8月に同じ場所で同じ人物を撮った、一連の写真を紹介した[21]。同年、第68回POYiのエージェンシー部門受賞[22]。
2019年4月15日、ロイターは、ピューリッツァー賞を2部門[注 3]で受賞[23]。ニュース速報部門は米国国境を目指す中米移民の報道写真で、ロイターのカメラマン11人で編成された取材チームが獲得した[30]。対象となった20枚の写真のうち9枚はラティーフが撮影したものである[31]。2018年10月のスチアテ川を胸まで水に漬かって渡る父娘の撮影については「彼らがどんな修羅場をくぐりぬけているか、写真を見る者が体感するには私が水に入る必要があった」と語っている。この年のロイターは2年連続で2部門で受賞。ラティーフの2008年初受賞以降、7回の受賞となった[23]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ほぼ同じ構図のビデオ映像がDVBより配信され、映像からのスクリーンショットはラティーフの写真とともに各種報道の検証記事に使われた[9][10]。この映像を撮影したカメラマンも歩道橋から撮影したとのちに述べている。[11]。
- ^ ピューリッツァー賞の受賞には短いタイトルはつけられていない[5][15]。DAYS特別賞では「孤立するビルマ」と日本語タイトルがつけられた[16][17]。ナショジオ社発行の「ピュリツァー賞 受賞写真 全記録」では「日本人ジャーナリストの死」とつけられた[18][19]。
- ^ 国際報道部門での受賞はロヒンギャ迫害の調査報道[23][24]。取材チームのうち、2017年12月に逮捕され[25] 禁錮7年の実刑判決を受けた[26] 2人のミャンマー人記者は獄中での受賞となった。受賞直後の5月に恩赦で解放[27][28][29]。
出典
[編集]- ^ “Adrees Latif Profile”. Reuters. The Wider Image. 2021年3月29日閲覧。
- ^ a b “Adrees Latif - Enterprise Editor, Reuters Pictures - Reuters”. LinkedIn. 2021年3月29日閲覧。
- ^ “Adrees Latif”. World Press Photo. 2021年3月29日閲覧。
- ^ “Adrees Latif”. Eddie Adams Workshop. 30 of 30. 2021年3月29日閲覧。
- ^ a b “2008 Pulitzer Prize Winners & Finalists”. The Pulitzer Prizes. 2021年3月29日閲覧。
- ^ “2019 Pulitzer Prize Winners & Finalists”. The Pulitzer Prizes. 2021年3月29日閲覧。
- ^ a b “長井さんを撮影したロイターのカメラマン、ピュリツァー賞受賞”. ロイター. (2008年4月8日)
- ^ “アドリース ラティーフ”. コトバンク. 出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」. 2021年3月29日閲覧。
- ^ “VOA News - Video Shows Japanese Journalist Shot at Close Range in Burma”. Voice of America. (2007年9月28日). オリジナルの2007年10月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ “日本政府、ミャンマーに長井さん射殺の真相究明と責任追及を要請 写真2枚 国際ニュース”. AFPBB News. (2007年9月29日)
- ^ “ミャンマーで死んだ日本人ジャーナリスト 10年前に何が起きた?”. withnews(ウィズニュース) (朝日新聞社). (2017年11月12日)
- ^ a b “メディア・ビルマで射殺の日本人記者を目前で撮影した”. JanJanニュース. (2008年3月11日). オリジナルの2008年5月16日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b “アドリース・ラティーフ氏 会見映像(3月10日・日本外国特派員協会)”. JanJanニュース. (2008年4月10日). オリジナルの2008年4月26日時点におけるアーカイブ。
- ^ “長井さん最期の姿を撮影、通信社カメラマンが妹と対面 : 社会”. YOMIURI ONLINE(読売新聞). (2008年3月8日). オリジナルの2008年3月10日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b “Adrees Latif of Reuters”. The Pulitzer Prizes. The 2008 Pulitzer Prize Winner in Breaking News Photography. 2021年3月29日閲覧。
- ^ “DAYSから視る日々: 【初公開】電子版DAYS写真賞受賞作品(1位~3位)” (2011年5月25日). 2021年3月29日閲覧。
- ^ “第4回DAYS国際フォトジャーナリズム大賞”. DAYS JAPAN. 2008年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月29日閲覧。
- ^ “「日本人ジャーナリストの死」 アドリース・ラティーフ (c) Adrees Latif/Reuters”. 朝日新聞デジタル. ピュリツァー賞受賞写真70年の全記録(8/10) - フォトギャラリー. 2021年3月29日閲覧。
- ^ “ピュリツァー賞 受賞写真 全記録 第2版”. ナショナルジオグラフィック日本版サイト. 2021年3月29日閲覧。
- ^ “ICP Announces 2011 Infinity Award Winners”. International Center of Photography (2011年2月7日). 2021年3月29日閲覧。
- ^ “Featured photojournalist: Adrees Latif”. The Guardian. Art and design (2011年8月3日). 2021年3月29日閲覧。
- ^ “First Place, Photographer of the Year - Freelance / Agency”. Pictures of the Year International. POYi 68. 2021年3月29日閲覧。
- ^ a b c “ピュリツァー賞、ロイターが2部門受賞 ロヒンギャ調査報道などで”. ロイター (2019年4月16日). 2021年3月29日閲覧。
- ^ “特別リポート:ロヒンギャの惨劇 彼らはどう焼かれ、強奪され、殺害されたか”. ロイター. (2018年2月13日)
- ^ “ロヒンギャ問題取材中のロイター記者2人、ミャンマーで逮捕”. ロイター. (2017年12月15日)
- ^ “ロイター記者、国家機密法違反で有罪判決 ミャンマー”. BBCニュース. (2018年9月3日)
- ^ “ミャンマー、ロイター記者2人釈放 大統領が恩赦”. ロイター. (2019年5月7日)
- ^ “ミャンマー政府、ロイター記者2人を釈放 ロヒンギャ危機報道”. BBCニュース. (2019年5月7日)
- ^ “Staff of Reuters, with notable contributions from Wa Lone and Kyaw Soe Oo”. The Pulitzer Prizes. The 2019 Pulitzer Prize Winner in International Reporting. 2021年3月29日閲覧。
- ^ “Photography Staff of Reuters”. The Pulitzer Prizes. The 2019 Pulitzer Prize Winner in Breaking News Photography. 2021年3月29日閲覧。
- ^ “ブログ:移民とともに川の中へ、ピュリツァー受賞写真の裏側”. ロイター (2019年6月13日). 2021年3月29日閲覧。