Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/足助町 (豊田市) 20220906

足助町 (豊田市)ノート / 履歴 / ログ / リンク元[編集]

選考終了日時:2022年9月20日 (火) 16:23 (UTC)

  • (推薦)足助の歴史及び現状について記載と写真資料が充実しており、日本の地理の分野における他の良質な記事と比較しても遜色ない質を有していると思われるため、良質な記事の目安を満足していると考え、推薦いたします。--Fluoros jp会話2022年9月6日 (火) 16:23 (UTC)[返信]
  • 賛成 :推薦者票--Fluoros jp会話2022年9月6日 (火) 16:23 (UTC)[返信]
  • コメント やむを得ないところがあるのかもしれないですが、地理的な説明をしている部分の出典明記が手薄に感じられます。またまとめて「概要」節に入れてしまっているのは良くないと思います。「歴史」節も、近現代の記述が年表だけになっているのは不足に感じます。--Tam0031会話2022年9月7日 (水) 14:52 (UTC)[返信]
  • 反対 拝読しました。私も幾つか指摘させて頂きたい点があります。Tam0031さんと被る部分もありますがご容赦下さい。
    • 概要節、特に北部・中部の段落について出典が提示されていません。また、足助市街地の説明節に関しても出典が提示されていない部分が目立ちます。香嵐渓節はリンク先に説明を譲るなら節ごと除去し、概要の南部節に組み込んだ方が良いと思います。
    • 「塩の町」足助節については、塩流通業が江戸時代に発展したことを考慮すると、歴史節の江戸時代に組み込んだ方が読者の理解を促進できると個人的には考えます。また江戸時代の歴史節が補強されます。
    • 「足助の町並み」節については、「景観を保ち守ろうとする地域の一体性がここに垣間見える」とありますが、出典がないため独自研究と捉えられかねません。町並みの保全は何時から、何処が保護活動を主体で行っているのか、行政かあるいは自治会単位での活動なのかが分かれば記載した方が良いと思います。『足助町誌』や足助町関連の書籍に記載があるかも知れません。
    • 歴史の足助氏の支配節について、後醍醐天皇の第三皇子が平勝親王となっていますが、後醍醐天皇の第三皇子(三宮)は護良親王です。また二条良基も官職は解かれましたが足助に逃げた史実はありません。さらに足助氏自体も平勝親王により決起したのではなく、正中の変日野俊基日野資朝に応じて6代当主・足助重成が倒幕に加担しています。記載されている歴史は恐らく伝承の類なのだと思いますが、まずは史実に基づく歴史を記した上で当該記述についての出典を提示し、何故護良親王ではなく平勝親王なのかなど史実との違いについて記す必要があります。
    • 江戸時代の歴史が年表形式なのは、頻繁な領主交替が発生しているため分かり易く記載するにはやむを得ないと思います。ただ塩の件に関しては先述した通り江戸時代の特筆すべき事象なのでこちらに記載した方が良いと思います。
    • 明治維新以降の歴史節では、平成の大合併に伴う豊田市との合併が一行で片付けられているのは流石に説明不足かと思います。『豊田加茂7市町村の合併の記録』という参考文献がある以上、合併への経緯を記載した方が良いと考えます。
    • 気候に関する記載がありません。旧足助町は旧稲武町と共に愛知県では冬の寒さが厳しい地域ですので、特筆性があると思います。
    以上、気になる部分について述べさせて頂きました。確かに記載と写真資料は充実しておりますが、出典の明記と網羅性という二点において、良質な記事の目安には今一歩であると考えます。ですので大変申し訳ありませんが、今回は反対票を投じさせて頂きます。上記の点が改良されましたら票を変更することはあります。--河川一等兵会話2022年9月8日 (木) 15:29 (UTC)[返信]
  • 反対 すでに述べられている点と被ってしまいますが、地理や施設に関して出典明記が不十分と感じます。また歴史節の年表になっている部分もまだ詳しく記述はできるのではないでしょうか。--アリシア-jawiki会話 - 投稿記録2022年9月20日 (火) 14:29 (UTC)[返信]

選考期間終了時点で賛成票1票、反対票2票のため、見送りとなります。--アリシア-jawiki会話 - 投稿記録2022年9月22日 (木) 10:28 (UTC)[返信]