Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/北陸鉄道金沢市内線 20190621

北陸鉄道金沢市内線 - ノート[編集]

選考終了日時:2019年7月5日 (金) 14:37 (UTC)

  • 賛成 鉄道路線の記事として書くべき内容についてはよくわかりませんが、一通りの解説は書かれているようですし、特に不足していると思われる点も見当たりません。金沢電気軌道の沿革と重なる部分については、過剰な重複もなく、経営会社自体の記事に書くべきことと鉄道路線の記事に書くべきことが、各記事にうまく書き分けられていると思います。
路線図
東金沢駅前や金沢駅前における各路線の駅名や接続関係についてはわかりやすいのですが、野町駅前周辺についてはどうもわからず北陸鉄道石川線北陸鉄道松金線を見てやっと理解しました。路線図の書き方の制約上仕方ないかもしれませんが、もう少し書きようはないでしょうか。たとえば、「野町駅前」というのは青丸で表示されている市内線の停留所名であって、左側から接続し、赤丸で表示されている石川線の駅名ではないのですよね。もしかしてここで接続している石川線の駅名も「野町駅前」なのだろうか、だとすれば「野町」というのは何線の駅なのだろうか、と考えてしまいました。よく見れば「野町駅前」の下に「野町駅」とはあるものの、ぱっと見でそれが金沢市内線の野町駅前で接続しているところの石川線の野町駅のこととはわかりにくいです。これは「北陸鉄道野町駅」とでもした方がわかり易いと思います。さらに、その下に書いてある「石川線」との間を一行分以上空ければもっとわかりやすくなると思います。また、可能ならば「野町駅前」の表示は停留所記号の右側に表示して欲しいと思います。
また、野町駅前からまっすぐ下に伸びている廃止路線の記号はもしかするとかつて金沢市内線に乗り入れていた松金線でしょうか。これもシステム的に可能ならば、路線の右側に「松金線」と書いて欲しいと思います。野町駅前で接続している左側の別路線の左には「石川線」「松金線」と書いてありますが、この表記だと、左側の別路線のこの部分は石川線と松金線の兼用区間もしくは併走区間のようにも見えてしまいます。
§1 概要
  • 「戦前にあった松任とを結ぶ松金線に限り市内線との直通運転が行われた。 」
全体的に文章がヘンです。いろいろまとめて書こうとしておかしくなったと思われます。松金線との乗り入れ(および接続路線)は戦時中に廃止されたとはいうものの、松金線自体は戦後まで残っていたのですから、「戦前にあった松任とを結ぶ松金線」は誤解を招く表現です。「戦前は、野町駅と松任とを結んでいた松金線に限り市内線との直通運転が行わていた。 」くらいの方がわかりやすいです。
  • 「市内線と異なり戦後路線網が拡大し続けた路線バスへと徐々に乗客の移行が進む。」
一度読んだだけでは「市内線と異なり」が何が異なっているのか意味不明でした。「路線バスは戦後路線網が拡大し続けたが、市内線はそうではなかった」という意味なのですね。まぎらわしいので「市内線と異なり」は不要だと思います。
§2.4 北陸鉄道発足と延伸
  • 「1944年(昭和19年)になると軍港のある呉市へ木造車3両の譲渡を強制され」
この表現だと、呉市にあるどこかの路線、と読まれるので(まあ知っていれば呉市電のことだろうと見当はつきますが)「軍港がある呉市にある呉市電へ」とでもした方がよいと思います。
--Loasa会話2019年6月23日 (日) 02:52 (UTC)[返信]
  • コメント 加筆した継之助です、コメントありがとうございます。文章は少し手直ししました。概要の松金線の下りについては、その部分を書いたとき松金線が部分的に存続していたことを失念していたようです。導入部の「路線図」についてはこれを編集する技術が皆無なので触れません。出典は『日本鉄道旅行地図帳』6号北信越(新潮社・2008年)だろうと思うのですが明記されていない(できない?)のが残念です。
  • その路線図ですが、金沢市内線はいまひとつ資料に欠けるので停留場の変遷が判然としませんし(『日本鉄道旅行地図帳』でも曖昧な書き方です)、同じ名称の停留場でも戦時下の廃止・戦後の復活を挟んで位置が異なる例もある様子(金沢市図書館が公開する市街図によると戦前の「石浦町」は戦後の「尾山神社前」の位置…しかし『地図帳』は戦前尾山神社前の復活とする)なので、戦後の停留場だけを拾って作成した方が正確性が増すのではと思います。--継之助会話2019年6月23日 (日) 15:10 (UTC)[返信]

賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031会話2019年7月6日 (土) 13:16 (UTC)[返信]