ノート:北陸鉄道金沢市内線

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開業日に関する調査[編集]

金沢電気軌道の記事を書くにあたり広く資料の調査を行ったところ、市内線の開業日についていくつか食い違う点が見つかったので、備忘録として書きとどめておこうと思います。

まず基礎文献として北陸鉄道の『金沢市内電車50年のあゆみ』(1968年)から。同書記載の路線開業日を纏めると、

  • 1919年2月2日 : 金沢駅前 - 兼六園下間
  • 1919年7月13日 : 兼六園下 - 香林坊 - 犀川大橋間、武蔵ヶ辻 - 香林坊間、兼六公園 - 小立野間(第1期線全線開業)
  • 1920年11月20日 : 犀川大橋 - 野町間
  • 1921年7月10日 : 野町広小路 - 寺町間
  • 1922年7月13日 : 浅野川大橋 - 小坂神社前間(浅野川大橋工事中のため分離運転)
  • 1922年12月14日 : 橋場町 - 浅野川大橋間

この記述は同じく北陸鉄道の『北鉄の歩み』(『北陸鉄道の歩み』、1974年)にもあります。このメモを書いている時点での記事本文もこれを引用していますね。

続いて比較的新しい文献、『日本鉄道旅行地図帳』6号・北信越(新潮社・2008年)の29・31ページから。こちらの文献では開業日はこうあります。

  • 1919年2月2日 : 金沢駅前 - 武蔵ヶ辻 - 橋場町間開業
  • 1919年7月13日 : 武蔵ヶ辻 - 香林坊 - 犀川大橋間、香林坊 - 兼六公園下間、橋場町 - 兼六公園下 - 金沢病院前(小立野)間、橋場町 - 浅野川大橋(1)間
  • 1920年11月15日 : 犀川大橋 - 野町間
  • 1921年7月10日 : 野町広小路 - 野村兵営前(寺町)間
  • 1922年7月12日 : 浅野川大橋(2) - 小坂神社前間
  • 1922年12月14日 : 浅野川大橋架橋により同名の電停間開業

『日本鉄道旅行地図帳』の正誤表までチェックしていないのですが、最初の開業区間は明らかな誤りで、車庫所在地は兼六公園下電停のすぐそば、上胡桃町(現・小将町1番地の西半分)にあったわけですから最初の区間は『50年のあゆみ』にある金沢駅前 - 兼六公園下で正しい。日付については、「企業史料統合データベース」にて金沢電気軌道の報告書を探したところ、『地図帳』の方はいくつか県からの開業許可日を開業日として採用してしまっていると判明しました。報告書に基づく許可日と営業開始日は以下の通りです。

  • 金沢駅前 - 上胡桃町車庫間:1919年1月30日許可、2月2日営業開始(第4回・第5回報告書)
  • 第1期線残余区間:1919年7月9日許可、7月13日営業開始(第5回報告書)
  • 野町線:1920年11月15日許可、同日から5日の無賃試乗を経て11月20日営業開始(第8回報告書)
  • 野田寺町線:1921年7月9日許可、7月10日営業開始(第9回報告書)
  • 浅野川大橋 - 小坂神社前間:1922年7月13日営業開始(第11回報告書)
  • 浅野川大橋上軌道:1922年12月14日営業開始(第12回報告書)

ということで、基本的に『50年のあゆみ』の開業日が正しいであろうということになります。しかしそこで問題となるのが、『50年のあゆみ』が1922年12月14日開業としている橋場町 - 浅野川大橋間について、『地図帳』では橋場町 - 浅野川大橋(1)間のみ1919年7月13日に先行開業していた、とある点です。この点について、金沢市の図書館が保有している市街図(リンク)が大いに参考になりまして、金沢電気軌道が1919年の第1期線開業時に発行したとみられる『金沢電車案内』収録の「金沢市街電車線路図」「金沢電車路線鳥瞰図」に橋場町 - 浅野川大橋(橋の南側)の路線が明記されていますので、『地図帳』にある通り先行開業していたのでしょう。

『金沢市電車開通記念写真帖』に1919年7月20日橋場町にて撮影という写真があり(右)、味噌蔵町方面つまり南を向いて撮影しているということなので、地図を踏まえると左手前が浅野川大橋方面になります。ここからも早い段階で浅野川大橋まで路線があることが判ります。

もう一つ、金沢市の『金沢市政概要』(1930年)という文献を取り上げます。ここでは電停名ではなく地名を挙げているのでわかりにくいですが、218-219頁(NDLJP:1278873/148)に市内線の開通年月日が以下のように記載されています。

  • 1919年2月2日:停車場 - 武蔵辻 - 橋場町 - 賢坂辻
  • 1919年7月13日:賢坂辻 - 上石引町、賢坂辻 - 香林坊、武蔵辻 - 香林坊 - 犀川大橋、橋場町 - 浅野川大橋
  • 1920年11月15日:犀川大橋 - 野町五丁目
  • 1921年7月10日:野町2丁目 - 野田寺町一丁目
  • 1922年7月13日:森下町 - 山ノ上町三丁目
  • 1922年12月14日:浅野川大橋

当時の地図を確認すると、「賢坂辻」が今の兼六園下交差点から450メートル東に離れた沿線外の地点である点以外、奇妙な点はないので(正しくは尻垂坂通三丁目だと思います)、実態を反映していると考えて問題ないでしょう。

以上から、基本的には『金沢市内電車50年のあゆみ』に沿うが1919年7月13日橋場町 - 浅野川大橋間のみ先行開業を追加、という線で金沢電気軌道の記事を書こうと思います。追ってこちらの記事も修正します。--継之助会話2019年4月26日 (金) 18:15 (UTC)[返信]

路線図の中橋駅と金石線[編集]

中橋駅も金石線もすでに廃止になっています。中橋駅は1971年に廃止になりました。色は薄赤色にするべきです。--Forever elementary student会話2021年7月18日 (日) 22:32 (UTC)[返信]