Wikipedia:秀逸な記事の再選考/人名 20110817

人名[編集]

ノート)個々の記述に対して出典が挙げられている個所がほとんどなく、2年前の{{要出典範囲}}や半年前の{{要検証}}もそのまま残っています。また、前半部には若干、日本中心的な傾向が見られ、それは日本だけアジア諸地域とは別にするところにも表れています。日本について述べた後は世界各地の人名について触れていますが、たとえばインド人、ユダヤ人、ハンガリー人、イタリア人のそれについては別記事に丸投げ。フランスなどは最後でいい加減にトリビアを押し込んでごまかしているような状態です。--氷鷺 2011年8月17日 (水) 14:29 (UTC)[返信]

  • コメント この記事を秀逸な記事から外すこと自体はかまわないんですが、要出典範囲や要検証の箇所は、不適切な説明だと思うならそう感じた人が消せばいいし、内容を別記事に委ねるのは別に悪いことだとは思わない。「秀逸な記事」を真に秀逸な記事だけにしようとする試みは悪いことではないと思いますが、リストから外す理由を説明するために「いい加減にごまかしている」は言いすぎ。「秀逸な記事」制度には、記事投稿を促進させる目的もあるということを忘れるべきでは無いと思います。--Freetrashbox 2011年8月17日 (水) 14:49 (UTC)[返信]
    • コメント 今の「秀逸な記事」の基準に合わなくなったのであれば、この記事をリストから外すことには問題が無いと思います。しかし、この場の意見の一部(例えば「尻ぬぐい」という言い方)を見る限りでは、この記事を投稿したこと自体がウィキペディア日本語版にとってマイナスの貢献だったかのようであり、ちょっと違うんじゃないかと思います。「秀逸な記事」のリストから外すために、ここまで厳しい表現を取る必要があるのでしょうか。過去の投稿や投稿者に対しての敬意を持ちつつ議論を進めることもまた重要だと思います。--Freetrashbox 2011年8月20日 (土) 00:31 (UTC)[返信]
コメント 「記事*そのもの*に対する客観的な意見をお願いします。詳しいコメントや議論は当該記事のノートで行って下さい」(Wikipedia:秀逸な記事の再選考)。そもそも、Kzhrさんのいう「しりぬぐい」は、その文脈上、「FAの水準にない記事」がFAのままになっているという望ましくない状態そのものに対する適切な処置ということを意味するものに思え、「過去の投稿や投稿者に対しての敬意」を欠くものとは思えません。Pasternさんや私はそれを引用しているだけにすぎません。たとえ秀逸撤去をしたからと言って、記事の「内容そのものも興味」深いことにかわりはないですから。例えば、ナポレオンのフランス民法典が老朽化して時代状況に合わなくなったからといって、フランス民法典「其物ノ価値」が全然失われるわけではなく(富井政章「佛蘭西民法制定後佛国二於ケル沿革」仏蘭西民法百年記念論集(有斐閣、1905年)20頁)、その起草者達の努力が「マイナスの貢献だった」ということには全然ならないのと同じ事です。
もとより「過去の投稿や投稿者に対しての敬意を持ちつつ議論を進めることもまた重要」ですが、言葉狩りのようになってしまうのではかえって「自由活発な議論に参加することを必要以上に妨げるおそれがありはしないでしょうか」。何にせよ、議論がずれているので、「記事*そのもの*に対する客観的な意見をお願いします」。--Phenomenology 2011年8月20日 (土) 12:23 (UTC)脱字訂正--Phenomenology 2011年8月20日 (土) 13:23 (UTC)[返信]
上の意見も下の意見も含めてPhenomenologyさんの御意見には大体賛成なのですが、やはり提案の仕方は大事じゃないですかね。この提案に賛成票を付けたら提案者に賛同しているように取られそうですし(「尻ぬぐい」の語の初出も提案者ですよ)、反対票を付けたら提案者に「当然のことに異を唱えるようなコミュニティを恥ずかしく思います」のようなことを言われそうですし、発言がかえって不自由なように思います。--Freetrashbox 2011年8月21日 (日) 02:57 (UTC)[返信]
(追記)なお、この依頼を出し直すべきだという主張をしているわけではありません。依頼者には、次回の依頼から考慮して頂ければ幸いです。--Freetrashbox 2011年8月21日 (日) 05:03 (UTC)[返信]
コメント Freetrashboxさんのお考えは承りましたが、将来の投票者にレッテルを貼り、再選考の円滑な進行を妨げかねない発言は慎んでいただけないでしょうか。失礼ながら、批判の対象としている行為をご自身も犯しておられるように見えます。--Pastern 2011年8月21日 (日) 12:22 (UTC)[返信]
もうやめます。--Freetrashbox 2011年8月21日 (日) 12:34 (UTC)[返信]
  • 除去 非常に多くの問題点を抱えており、秀逸な記事の目安である「完成度が高い」を満たしているのか疑問を感じます。
  • まず、年代を特定できない表現がいくつか見られます。
    • たとえば「台湾でも65歳以上の女性には日本式に「子」を止め字とする名前も少なからず見られる。」(「中国人の名前」節)とありますが、「65歳以上の女性」とはどの年代に生まれた女性を指すのでしょうか。
    • 「若い世代」(「朝鮮半島の人の名前」)とはどの年代以降に生まれた人々を指すのでしょうか。
    • 「現在」「現代」といった語の多様(10箇所以上あります)も目につきます。「現在」「現代」が具体的にいつを指すのか不明確です。ガイドラインであるWikipedia:すぐに古くなる表現は使わないに照らして推奨されない表現がいくつもあるというのは問題だと思います。
  • また、執筆者の個人的な見解を述べているだけではないかと疑われる個所が複数あります。
    • 「注意されたい」(「人名の構造、使用とその多様性」節)
    • 「おかしなことである」(「諱」節)
    • 「世界中、歴史上の諸文化における名前の扱いについて体系的に整理した包括的な研究資料などは現在のところ存在しないと思われる。」(「諸文化の人名をめぐる習慣」節)
    • 「信憑性はあまりない」(「朝鮮半島の人の名前」節)
    • 「現在は字の風習は廃れつつあるようである。」(「中国人の名前」節)。
  • 要出典テンプレートが貼付されたまま2年近く放置されている記述があるのも問題でしょう。除去が一つの対処法なのは確かですが、それすらされずに長期間放置されているのでは、記事の完成度が低いと判断せざるを得なくなってきます。--Pastern 2011年8月17日 (水) 16:28 (UTC)[返信]

除去 「その主題を扱う専門家(研究者、実務家、その他)から見て、百科事典において必ず説明されるべきことが全て説明されている。ただし、何が必須かは部分的には関連記事との連携・分担関係にもよる」ということなので、別記事への丸投げが一概に悪いとは言えません(Wikipedia:秀逸な記事の選考)。内容そのものも興味深く、フランスの事情も特に「ごまかし」とまでいうことはできないように思えます。しかし、「秀逸な記事は「記事対象そのもの」の優劣や善悪によって選出されているわけではありません。選考される際の要点は、あくまで百科事典の記事としての「質」・「量」・「書式」に問題がないかどうかです」(Wikipedia:秀逸な記事)。この観点からすると、現状のままでは大雑把な独自研究になってしまっていることは明らかでしょう。--Phenomenology 2011年8月17日 (水) 17:46 (UTC)[返信]

  • コメント この項目は2004年に追加されたものなので,基準もなにもなかったころで,「きびしい」審査を経て選ばれたのではないのは事実です。その後おおはばに加筆されたようですが,それがウィキペディアの慣習に沿っているとも限りません。しかし,だから外していいのだ,というのも(再銓衡の基準がなんであれ)FAの意義を無化する行為としか思えません。せめて検証を試みて,修正をほどこすのに多大な労力を費やし,このままではFAの名に恥じるということを示すくらいの労力を費やさないでは,FAの勲章をつけはずしして遊んでいるだけになってしまうのではないでしょうか。
  • 再銓衡提出者が,改訂を試みねばならないというのではありません。しかし,最低限の保守もせずに,価値が下がったからFAを取るなどというようなことはコミュニティとして破綻しているのではなかろうかと思います。 Kzhr 2011年8月17日 (水) 18:45 (UTC)[返信]
    • コメント ご指摘のように、「再銓衡提出者が,改訂を試みねばならないというのではありません。」加えて、本記事は、秀逸な記事に「2004年に追加された」後、「おおはばに加筆されたようです」。したがって、「コミュニティとして」「最低限の保守」はなされており、それにもかかわらず秀逸な記事の選考基準には遥かに及ばない、少々手を付けただけではどうしようもないと考えることができるのですから、実際に除去するか否かは別にしても、このような議論の出ること自体は自然です。「FAの勲章をつけはずしして遊んでいるだけ」とは言いにくいのではないでしょうか。
    • 一般論として、急激な除去提案に懸念を覚えるお気持ちは分からないでもありません。しかし、秀逸な記事はウィキペディアの看板です。学者がどれだけウィキペディアを馬鹿にしているかご存知ですか。秀逸な記事ですらこのザマである、ましていわんや一般記事はと言われると反論のしようがありません。実際、質の高いとはいえない「秀逸な記事」が全体の信頼性を著しく下げていることは否めず、除去を検討すべきものはまだまだあるように思われます。特に、本記事に関して言えば、「最低限の保守」のみで足りるものとは思えず、こういったものを秀逸の記事のままにしておくのはかえって「FAの意義を無化する行為としか思えません」。実際、Kzhrさんも本記事における秀逸撤去の議論それ自体には反対されるご趣旨ではないと思います。--Phenomenology 2011年8月17日 (水) 21:14 (UTC)[返信]
    • コメントせめて検証を試みて,修正をほどこすのに多大な労力を費やし,このままではFAの名に恥じるということを示すくらいの労力を費やさないでは,FAの勲章をつけはずしして遊んでいるだけになってしまうのではないでしょうか』と仰いますが、誰が、何故そのような尻ぬぐいをせねばならないのでしょうか。もしそれが簡単にできるのであれば、そうしたい方がすればよろしい。『多大な労力』が必要だというのならもう論外です、勲章とやらはとっくに剥がれ落ちて転がってます。それをちゃんと外そうという話に中身のない文句をつけるほうがいい加減なお遊びでしょう。
      もちろん『再銓衡提出者が,改訂を試みねばならないというのではありません』から私がそれをしてあげる義務などないのですが、『最低限の保守もせずに』と言う割には自身もそれをせず、『価値が下がったからFAを取る』当然のことに異を唱えるようなコミュニティを恥ずかしく思います。--氷鷺 2011年8月17日 (水) 22:56 (UTC)[返信]
  • コメントほかのテーマでの議論でも少し気になるのですが、Freetrashboxさんも指摘されていますように、氷鷺さんの「いい加減にトリビアを押し込んでごまかしている」、「自身もそれをせず」、「中身のない文句をつけるほうがいい加減なお遊び」、「論外」などの表現は少々穏当ではないように私には思えます。これらのご発言は、Wikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:個人攻撃はしないWikipedia:善意にとるWikipedia:議論が白熱しても冷静に等に抵触するのではないかという懸念を覚えます。
    Freetrashboxさんの仰る、「「秀逸な記事」を真に秀逸な記事だけにしようとする試み」がなければ、秀逸な記事の制度は「FAの勲章をつけはずしして遊んでいるだけ」に堕してしまい、「記事投稿を促進させる目的」はかえって損なわれてしまうと考えますが、あまり鋭敏な――ソフトでない――議論のあり方は(私のような)新参者が自由活発な議論に参加することを必要以上に妨げるおそれがありはしないでしょうか。もちろん、選考基準についての最低限のルールは守られなくてはなりませんし、氷鷺さんの仰っていることは筋が通っており、趣旨も明快で結論それ自体には何ら反対する理由は無いのですけれども。--Phenomenology 2011年8月18日 (木) 06:49 (UTC)[返信]
    • コメント 2点のみ。まず第一に,そのみちの専門家がなす評価であればあるほど,verifialbleなものでなければならないのにもかかわらず,なぜFAにおいてはそれが免ぜられるのかふしぎでなりません。それが必要とされていない現在のFAが,どんなに格式張ったところで,研究者に笑われるのは避け得ません。第二に,「しりぬぐい」すらしなければ,FAは形骸化する一方でしょう。いつの間にかFAになっていて,いつの間にかFAから外れているような運営は,編集者コミュニティからFAが遊離しているということを如実に示しているのだと思います。 Kzhr 2011年8月19日 (金) 06:05 (UTC)[返信]
コメントすみません、何に賛成され、何に反対され、何をご提案されようとしているのか、ご趣旨が今ひとつわかりにくいです。そもそも、「Wikipedia:秀逸な記事の再選考」には、「記事*そのもの*に対する客観的な意見をお願いします。詳しいコメントや議論は当該記事のノートで行って下さい」とあり、Kzhrさんの議論はもっぱら「FAの意義」についてのみなされており、「Wikipedia:秀逸な記事の再選考/人名」という主題に合わないように私には思えます(あとどうでもいいことですが、verifialbleではなくてverifiableです。日本語版ウィキペディアですので、検証可能という日本語の方が適切に思えます。ついでに余談ですが、「そのみちの専門家がなす評価」が必ずしも検証可能な適切なものかというとそうではなく、ろくな根拠もないまま有名な学者がそのように言っているから正しいのだろうということになっている、でも調べてみるととんでもない大ウソということはなんだかんだあります)。
その上でコメントすると、第一に、FAにおいて検証可能性を満たすべきことは何ら「免ぜられ」ていません(Wikipedia:秀逸な記事の選考#秀逸な記事の目安)。したがって、実質的な内容の是非を問うまでもなく、本来であれば秀逸な記事の選考基準を形式的に満たしていないために、秀逸な記事の選考から門前払いされるべきと考えられるものが秀逸な記事の中に紛れ込んでいる場合はそれ相応の対応を採るべきでしょう。したがって、本記事は秀逸除去に値します。
第二に、Kzhrさんは「しりぬぐい」の必要性を強調されますが、看板に見合わないものの内容を、看板に見合うように変えるのもしりぬぐいでしょうが(Wikipedia:秀逸な記事の再選考/通過した記事ムハンマド・アリー参照)、その看板を下ろしてしまうのも立派なしりぬぐいです。どちらのしりぬぐいもしないのであれば、「FAは形骸化する一方でしょう」。抜本的改善は長い間なされていません。したがって、本記事は秀逸除去に値します。
第三に、ログインユーザーなら誰でも参加できるはずの秀逸・良質な記事の選考・再選考において、実質的にはごく少数の有志のみによって運営されている傾向があるのではないかという気もするのですが、もしそうであるならば確かに「編集者コミュニティからFAが遊離しているということを如実に示している」と考えることができます。アナウンス方法の改善、選考期間の延長など一考の余地はあるでしょう。また、「「秀逸な記事」を真に秀逸な記事だけにしようとする試み」は、不適当な記事の秀逸撤去だけでなく、埋もれている良質な記事・一般記事などからの発掘といったような面からも積極的になされるべきです。しかし、これは一般論であって、本記事の秀逸撤去をすべきか否かとは直接関係のないことです。私としては、基本的に氷鷺さんの仰っていることが正しいと思います。--Phenomenology 2011年8月19日 (金) 08:27 (UTC)修正--Phenomenology 2011年8月19日 (金) 18:15 (UTC)[返信]
  • コメント尻拭いの必要を説かれている方は、ご自身が尻拭いをした経験はおありなのでしょうか。FAの水準にない記事を、再選考に耐えうる水準にまで引き上げるほどの尻拭いを。--Pastern 2011年8月19日 (金) 09:18 (UTC)[返信]
「FAの水準にない記事を、再選考に耐えうる水準にまで引き上げるほどの尻拭い」の例として、Pasternさんの推進されるこちらの記事の加筆修正が挙げられるべきです。これはもはや秀逸な記事を通り越して壮絶な記事になりつつあるような気もしますが、偶々秀逸な記事になっているというただそれだけの形式的な理由で、このレベルの尻拭いがいちいち要求されるのだとしたら流石に不合理でしょう。--Phenomenology 2011年8月19日 (金) 18:15 (UTC)[返信]
  • コメント まず,事実訂正から。「しりぬぐい」というのはもともと氷鷺さんがおっしゃったことです。ただそのようなネガティヴな態度を改められることを願い,べつの観点を申し上げたしだいであって,「しりをぬぐうこと」の必要性を説くつもりなどなかったのですが,通じなかったようで残念です。わたくしにとって,他人の書いたものを直すのを「しりぬぐい」と言ってはばからない感覚は理解を超えるものですが,ここではただ,わたくしにそのような汚名を着せるなとだけ言っておきます。
  • 専門家のレビューがverifiableでなければならない——前回のtypoは失礼いたしました——ということは,ひとり項目のがわに挙証の責があるのではなく,レビュー(つまりここではFAへの賛否)もそうであらねばならないということです。印象論のレビューが許容され,それがボードを支配するかぎり,FAはいつまで経っても素人の遊び場でしょう,ということを申し上げたかったのでした。
  • そのような視点に立つと,この再銓衡は,とても適切さを欠いたものに見えます。不備を指摘すると言うより罵っていて,改善を要するポイントがなにかも分りません。 Kzhr 2011年8月21日 (日) 15:35 (UTC)[返信]
  • 除去 独自研究を疑わせる記述が多いのにもかかわらず脚注で出典提示が無い。模範たるFAならば参考文献が10点でも少ないくらいだが、それでも脚注で提示されていなければ検証は困難です。事実上検証が困難なようではFAには相当しないでしょう。内容の検討は検証が出来てるようになってからの話です。--ぱたごん 2011年8月24日 (水) 10:26 (UTC) 尚、FA:秀逸ということには相当しないということと、一般記事としてダメということはまったく違います。--ぱたごん 2011年8月24日 (水) 10:30 (UTC)[返信]
  • 除去 氷鷺さんの表現は少々挑発的で不穏当ですが、それについてここで議論するべきではありません。再選考ページでは記事の質と問題点を議論すべきで、利用者の行為のためには他に適切な場があります。改善努力がないことに関して氷鷺さん個人を非難するのもお門違いです。この記事を秀逸なものにできていないのはjawpのコミュニティ全体です。特定の利用者ではありません。
  • さて、問題点についてコメントします。脚注化が望ましいのはすでに指摘されている通りです。この文量の記事を現実的な労力で検証し、共同作業によって改善していくためには、記述と出典の対応が付けられていくべきです。必須とは言いませんが、大きな減点ポイントなのは間違いありません。内容面では、これもすでに指摘がありますが、独自研究が疑われる記述がいくつかあります。また、各国の記述は散漫で体系的でありません。文化圏・言語圏ごとに関連付け、体系的に説明するのが望ましいでしょう。とくに「その他の文化」は問題で、ここに列挙されている各国が、文化圏と隔絶したまったく独自の命名文化を持つということもないはずです。日本も世界の1要素として位置づけられるべきで、日本人の名前のみ歴史まで詳述しているのに、その他各国の記述が簡単なものしかないのはJPOVです。--Trca 2011年8月25日 (木) 05:35 (UTC)[返信]

終了 2週間経過した時点で除去が3票以上かつ75%以上でしたので、除去で終了とします。--氷鷺 2011年8月31日 (水) 15:15 (UTC)[返信]