コンテンツにスキップ

Wikipedia:削除された悪ふざけとナンセンス/ググレカス

ググレカス
(Guglecus)
若年のググレカスの肖像?(壁画)
生誕 不詳
ティラナ
死没 西暦846年?
住居 ローマ
著名な実績 業績の節を参照
テンプレートを表示

ググレカスGuglecus、 生没年未詳)[1][2]は、1世紀頃の 古代ローマの博物学者・思想家。検索システムの開祖として知られているだけでなく、「知」を重んじ、それを得るための情報の重要性を初めて認識した古代最高の知識人として、近年とみに評価が高い。「知の巨人」と呼ばれる。反面、伝記が正確に伝わらず、特に日本では、インターネット時代に入って情報検索に怠惰な者を罵倒する用語として彼の名前が使われるなど、気の毒な人でもある。

伝記

[編集]

生い立ち

[編集]

1世紀初め頃、帝政ローマの時代に現在のアルバニアあたりで生まれたと言われている。父は役人であったが、古書収集ヲタクで、家の巨大な書斎にはメソポタミアの粘土板からエジプトパピルスは言うに及ばず、中国から渡来した書物まで、あらゆる本が並べられていた[3]。このため物心ついた頃から興味を持ったものは何でも本を読んで調べる、つまり「検索」する習慣がつき、13歳頃からはほぼ一日中図書館で過ごすようになった。それ以来さまざまな発見をしては、それを地元の図書館で検索するという日々を過ごしていた。日本の図書館でよく見られるような、本に線を引いたり落書きをしたり、果ては頁を切り取るなどという破廉恥な行為を、彼は決してしなかった。知識の大切さを認め、その源としての書物の重要性に早くも気付いていたようで、10代後半に作った彼の詩にその理念が的確に表わされている。

銀(しろがね)も 金(こがね)も玉も 何せむに
優れる宝 書に斯(し)かめやも
(意味:銀も金も宝石も何だと言うのだ。書物に優る宝があるだろうか)

全盛期

[編集]

2000代になると、故郷の図書館の蔵書はすべて制覇したのか、図書館通いに飽きてしまい、ついに世界最大と誉れ高かった「アレキサンドリアの巨大図書館」に行き、所蔵されていた7000万巻の書物を30000年足らずで読破してしまった[4]。もはや彼の知識欲を満足させ得る所はなくなり、ローマに移住する。ローマでも毎日多くの事柄を発見しては図書館で検索しており、その探究心と教養を買われて執政官に任命される。何でも知っていたググレカスは人々の注目を集め、多くの人が彼のもとを訪れ、わからない事を質問するようになった。その中には、

プトレマイオスが考案した天動説に基づく概念図。点線の大きな円が惑星の軌道で、惑星(赤い丸)は軌道上でさらに小さな円を描いて動く。下の青い丸が地球。ヒッパルコスなどの理論よりさらに複雑になっている点に注意。
(質問者)惑星は地球の周りを回っているそうだが、なぜ留[5]や逆行[6]を起こすのか。
(ググレカス)それは、惑星が地球を周回する軌道上に中心を置くもう一つの小さな軌道を巡りながら地球の周囲を公転しているからである[7]

といった高度な内容から、

(質問者)スフィンクスが発してオイディプスが解いた謎はどういうものだったのか。
(ググレカス)スフィンクスの謎はこうだ、「朝には4本足、昼には2本足、夜には3本足の動物は何か[8]」。答えは人間。生まれたばかりは両手足で這い、成長すれば2本の足で立ち、老いれば杖にすがって3本足となる。

というようなものまで様々であったが、ググレカスはどのような質問を受けても間髪を入れず正答を出し、人々は大助かりであると同時にその底知れぬ知識の深さに驚嘆したのであった。

しかし、恵まれた環境にあるとそれに依存し慣れ切ってしまい、恵まれた状況が当然のものと信じて努力を怠るようになるのが人間の悲しき性(さが)である。ググレカスの邸宅には毎日たくさんの人が押し寄せて質問をしたが、その内容は次第にくだらない、そんな事くらい自分で考えろ、と言いたくなるようなものが多くなった。「パンを分けようと思って二つに割ったのですが、どちらの側がおいしいでしょうか」、「この世で一番小さい物よりさらに小さい物は、どんな大きさでしょう」、「私の住む町は山の中なので坂がたくさんあります。ある友人は『下り坂より上り坂が多いから歩くのに疲れる』と言いますが、別の友人は『下り坂の方が多いから楽だ』と言います。一体どちらが正しいのですか」、等々。

検索システムの元祖

[編集]
ググレカスに指示を受けるエクスプローラの青年たち(中世の挿絵)。

それでも、そうした疑問は本を見ても載っていないからまだよい。やがてローマ市民たちは、図書館で少し調べればわかるような事柄であるにもかかわらず、行くのを面倒臭がってググレカスの所に馳せ参じてあれこれ質問するようになった。ググレカスは、庶民の為になるならと、嫌な顔一つせずいちいちそれらの質問に回答していたが、余りに多くの者が訪れたため執政官としての職務に支障を来たすようになり、プライベートな時間も取れなくなった。

しかし、知を至高の宝とし、すべての人々に分かち与えるのが自分の使命だと信じていたググレカスは、何とか事態の改善を図ろうと西暦71年に Explora(エクスプローラ)と呼ばれる制度を開始した。足が速くて読み書きのできる若者を4・5人単位であちこちに待機させておき、誰かが来て質問をすると一人が直ちに最寄の図書館に駆け込んで該当の書物で調べて回答を記し、質問者にそれを見せる。質問者が文盲の場合は言葉で聞かせる、というものである。ググレカス一人が対応するだけでは限界があるが、これなら一度に多くの質問に対処できるので、当時のローマ市民に大いに重宝された。無論、ググレカス自身もできる限り質問に答えるようにしていた。

また、単に知識を教えるのみならず、民衆自身が積極的に知識を得ようとする意欲を持つようにと、彼らの知識を競ういろいろなイベントを企画し、実行した。後に述べるように、これらのイベントは現代のマスコミで多くのクイズ番組として復活している。

中傷と反感による没落

[編集]

だが、ググレカスの人気や博識、新しいシステムなどに妬みや反感を抱くローマの有力者も多かった。古来、「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」と言う。「阿呆な民衆には高度な政治理論などわからないのだから、政治家の意に従わせればよい。政策について知らしめる必要はない」という意味だ。独裁的権力を振るおうとする者には大変好都合なやり方である。そうした権力者にとって、民衆が知識を持って賢くなるのは防がねばならない。

同じく執政官のマネ・ソル(Mane Sol 「朝日」と言う意味がある)を中心とした一派はググレカスの民衆教化政策に強い危機感を持って彼の追い落としを図り、種々の陰謀を巡らせた。82年、ググレカスの名で、商人に対し売り上げの一部を租税として上納する事、しない場合は重罰を科するという法律が発布され、一大利権構造が作りあげられた。上納金の売り上げに対する割合が8分の1であることからググレ八分と呼ばれ大変恐れられた。だがこれは、ググレカスの評判を落とすためにマネ・ソル一派が行なったものであった。また、エクスプローラに従事する若者たちを金で買収し、市民が質問に来ると、即座に「自分で調べろ、カス野郎」という返答をするように仕向けたり、信憑性に疑問のあったウィキペディアデスの著作をもとに回答して誤った情報を流すなどした。そして市民からググレカスに対する批判の声が上がり始めると、すかさず反ググレカスの大々的なキャンペーンを開始した。[9]。民衆も民衆で、今まで散々ググレカスの世話になっておきながら、マネ・ソルたちがググレカスを誹謗中傷すると、あの偉い人たちが言うのだから本当かも知れない、と洗脳されてしまい、掌を返すようにググレカスを非難し始めた。――残念ながら、確かに「由らしむべし、知らしむべからず」は一面の真実である。

市民の疑問に答える業務に一生懸命になっていたググレカスは、迂闊にもこのような陰謀が張り巡らされている事を知らなかった。学問や芸術やスポーツなど、特定の分野に打ち込んで優れた才能を発揮する人は、処世術や世情に疎い事が珍しくないが、彼もそうであったようだ。しかも彼は、若い頃に作った詩からもわかるように、自分の知識で金儲けをしたり権力を得ようとする考えは微塵もなかった。彼の唯一の目的は「知」であったのだ。だから、気がついた時にはすでにローマ市民の反感は回復不可能なほど高まっており、88年にはローマを追放された。以後は、彼に関する一切の記録を欠き、いつどこで没したかはわかっていない。

業績

[編集]
  • コンピューターネットワークの元祖
最大の功績とされているのはエクスプローラの創設である。これは、原理的にはデータベースにコンピューターでアクセスするのと変わらず、20世紀末に相次いで開発されたコンピューターネットワークを用いる検索システムの根底にはググレカスによるエクスプローラがあった。コンピューターネットワークの創始者たちは、いずれもググレカスの業績に感銘を受け、それを現代の検索エンジンシステムに応用することを考えた、と語っている。検索エンジン大手の Google の社名が Googels すなわちググレカスに由来する事はよく知られている[要出典]

晩年彼女は「人生戦わずしては生きられない。」と良く周りの人へは言っていた[10]

  • 博物学への貢献
ググレクスジョロウグモ
ググレカスの優れた知識は、当時の学問の花形であった博物学にも寄与した。彼は若い頃には自然観察にも親しみ、幾つかの新種の生物を発見している。ただし、それらは彼の歴史からの退場とともにいったん忘れられ、後世に再発見されたものである。有名なものは、ジョロウグモの新種の発見で、18世紀に分類学を完成させたカール・フォン・リンネがこの業績を見出し、
Nephila gugleci Linnæus,1759(ネフィラ・ググレシ・リンネウス、1759年)
の学名を与えた。日本では「ググレクスジョロウグモ」の名称で知られる[11]
ググレクスジョロウグモは、1世紀頃にはイタリア半島やバルカン半島に分布していたが、その後自然破壊によって次第に生息域が狭められ、現在はペロポネソス半島の一部に残るのみである[要出典]。時に直径1.5メートルにもなる見事な巣を作るのが特徴で、Google の創始者であるラリー・ペイジは、ギリシャ旅行の際にこのクモの巣を実際に見て、全世界をクモの巣のように覆う情報ネットワーク開発のインスピレーションを得たという[12]。「ウェブ(web)」のもともとの意味はクモの巣で、ペイジが地球に張り巡らされた情報網を例えて作った語である[13]
  • 言語の語彙を豊かにした事
ググレカスの偉業は言語にも及んでいる。現在使用されている語句は彼に由来するものも少なくない。一例を挙げれば・・・・・・、
ググレカスはある人に、「汝の座右に置きたる書は何ぞ」と聞かれた時、ためらう事無く「そは字引く書なり」、すなわち辞書であると答えた(Arnold Toynbee 福沢諭吉訳 『グゝレカスとその時代』 1899年)。
この言葉は、彼の比類ない知識欲を象徴したものであると同時に、英語にも取り入れられ、辞書を dictionary と言うようになったのである。
  • クイズ番組の始祖

ググレカスは、ただ民衆に知識を与えるだけでなく、知識を得る事による喜びやスリルも与えようとして、人々が知識を競うイベントを幾つも催した。それらは20世紀になってテレビ業界の人々によって再発見され、クイズ番組発展の礎となった。「クイズ(quiz。ラテン語の原語ではquis)」という語もググレカスが初めて用いたものである。以下に彼が始めた民衆啓発のためのクイズイベントを紹介する。

クイズ電気ショック:答えられなかったり間違えたりすると、解答者の椅子に電気が流れて感電する。電源には、現在オーパーツとして知られるバグダッド電池が使用された。
クイズ・ペンタゴン:時間内に解答できないと水に落ちたり椅子に電気が流れる(電源は上に同じ)。余りに成績が悪く、「おバカ」と呼ばれた、サトーダ(Sathoda)、ユッキーナ(Juquina)、カミージ(Cammizi)などの出場者名が記録に残っている。
パネルクイズ当たって25:裏に問題が書かれた25枚のパネルをめくって答える、比較的単純なクイズ。25枚全部答えを当てるとローマ帝国1周旅行ができた。
9さま!:9人一組のチームを作り、2チームで争う。攻撃側が出題席に立って問題を出し、防御チームは遠近それぞれの定位置に立って解答する。防御チームが答えられなかったり間違えた場合に攻撃側が得点するが、近距離にいる解答者が間違いや無回答なら1点、中距離なら2点、遠距離なら3点、誰一人答えられなかったら4点が得られた。攻撃チームの3人が防御側に正答を出されるとチェンジとなり、攻守交替する。これは後にスポーツに転化され「野球」となった。
クイズ知らんぷり:記録が紛失しており、内容は誰も知らん。
クイズだーべー:田舎から出て来てあまり知識のない人を教化するため。
ベルトクイズキュー&キュー:答えを間違えるごとに、体に巻いたベルトでキューキューと締め付けられて苦しむ。S・M好き対象のクイズ。

現代における誤用例

[編集]

晩年のググレカスは人々に疎んじられ、その功績も忘れられて、再評価に至るには近代を待たなければならなかったが、マネ・ソル一派による悪評は長らく語り継がれ、「ググレカス」の名は相手の知的努力の不足を罵倒する慣用句として用いられた。すなわち、エクスプローラの若者たちが「自分で調べろ、カス野郎」という返答をした事から、英語ではBe Googels 、フランス語では Sois Gouglèces という句がしばしば使われ、これらはまさに「自分で調べろ、愚か者」を意味する。

日本では、

インターネットが普及してユーザー同士の情報や知識のやり取りが盛んになって来ると、少しの手間や時間を惜しまずネット検索すればわかるはずの事を掲示板やチャットで質問する者も増え、彼らに対して「それくらい Google で調べろ、このカス野郎」と言う意味で「ググレカス」の語が登場した。

とする話が定説のように広まっているが、これははっきり言って都市伝説である。国立国語研究所の主任研究員太宰修治[14]が『国立国語研究所紀要』2009年5月号に発表した論文によれば、1973年に発表された井上ひさしの小説『吉里吉里人』の冒頭にこの語が出ている。

古橋は、学校に行くと教師の顔を見ては矢継ぎ早に質問をするので、すっかり嫌がられてしまった。トーマス・エジソンもやはり子供の頃は質問ばかりして親や教師を困らせたという逸話があるが、エジソンの場合はあふれ出る知識欲を抑え切れなかったのに対し、古橋の場合は単に彼の記憶力がゼロに近かったのが理由であるに過ぎない。すなわち、思い立ったすぐに質問をしないと、次の瞬間には、自分が何を質問したかったのかを完璧に忘れてしまうからだ。彼の質問攻めは、記憶力が欠如した少年の編み出した精一杯の対処法であった。

もちろん教師はそんなことなど理解できず、浴びせられる質問にすっかり頭にきて、「いい加減にしろ。こっちはググレカスの気分だ。お前こそ本当にカスだ」と怒った。ググレカスはローマ時代の学者で、大変な物知りであったが、どうでもいいようなことを聞かれると「自分で調べろ」と答えたと伝えられる。教師はそれを知っていたから言ったのだが、古橋にそんな意味がわかるはずはなく、またググレカスの名前さえ、たちまち右の耳から入って左の耳に抜けてきれいさっぱり消えてしまった。(小説新潮 1973年4月号)

太宰修治によれば、「ググレカス」の語はこれが初出で、以後少数の知識人の脳裏に残り、インターネットの普及と共に彼らが用い始めたものが、 Google との発音の類似などから現在のように普及したという事である。

ただし、異論もある。日本では1975年にウイスキーのコマーシャルソングとして野坂昭如の「♪グ、グ、ググレカスかプラトンか、ニ、ニ、ニーチェサルトルか(以下略)」という内容の歌が放送され、話題となった[15]。多くの日本人がここで初めてググレカスの名を聞き、それがインターネットの世界に広まったとする[16]

いずれにせよ、この語は21世紀に入って広く普及し、2008年版以降の『現代用語の基礎知識』に収録されている。

似たような事例

[編集]
樫尾永勝像(伝鳥羽僧正覚猷)

日本にも同じような並外れた知識人がいて、後世に影響を及ぼした例がある。鎌倉時代の京都にいた医師の樫尾永勝(かしおながかつ 生没年未詳)は、詳しい伝記は不明であり、兼好法師の有名な随筆『徒然草』の第253段「答え一発なる樫尾見に行かむ」に記される他は不確かな肖像画が存在するのみであるが、それによると樫尾永勝医心方から有職故実四書五経に至るあらゆる学問を修めたのみならず、民衆の間に流通する世間話から迷信にまで通じており、誰がどのような質問をしても即座に答えを与えるというので大変な評判となり、質問する事はなくとも、ただその姿を見るために遠方からも多くの人々がやって来たという。「一発で答えを出す樫尾殿を見に行きたもうかな」が当時の人の口癖であった。 また枕草子松尾芭蕉[17]日蓮[18]にも影響を与えた。

時代は移って20世紀後半、計算機の製作と販売を行なっていたカシオは世界初の電子卓上計算機(いわゆる電卓)を開発したが、名称とキャッチコピーをどうしたものかと考えをめぐらせていた。その時、古典文学に関心のあった販売部門の1社員(氏名等は明らかにされていない)が、たまたま徒然草の253段「答え一発なる樫尾見に行かむ」を思い出し、社名と樫尾永勝という名の偶然の一致[19]や即座に答えが出る小さな(ミニ)電卓という特徴を組み合わせ、「♪答え一発、カシオミニ(答え一発樫尾見に)」を発案した。これが大当たりとなり、電卓の普及が急速に進んだ[20]

樫尾永勝がカシオ創業者・樫尾忠雄の祖先かどうかは不明だが、日本の古典文学が専門のイタリア人学者ルイジ・カシオ(Luigi Cascio)は、2014年4月1日のBBCニュースインタビューにて「樫尾永勝が祖先であることを示す有力な文献を発見し、検証中」と語った。この発言を受け、カシオ計算機広報部は即日「実証された場合、樫尾永勝を名誉創業者とし、社史を改訂する」ことを発表した。

AA

[編集]
        ,.-─ ─-、─-、
      , イ)ィ -─ ──- 、ミヽ
      ノ /,.-‐'"´ `ヾj ii /  Λ
    ,イ// ^ヽj(二フ'"´ ̄`ヾ、ノイ{
   ノ/,/ミ三ニヲ´        ゙、ノi!
  {V /ミ三二,イ , -─        Yソ
  レ'/三二彡イ  .:ィこラ   ;:こラ  j{
  V;;;::. ;ヲヾ!V    ー '′ i ー ' ソ
   Vニミ( 入 、      r  j  ,′
   ヾミ、`ゝ  ` ー--‐'ゞニ<‐-イ
     ヽ ヽ     -''ニニ‐  /
        |  `、     ⌒  ,/
       |    > ---- r‐'´
      ヽ_         |
         ヽ _ _ 」

     ググレカス [ guglecus ]
   (生没年不明)

脚注

[編集]
  1. ^ 「ググレカス」は英語式の発音。ラテン語では「ググレクス」。彼を日本に最初に紹介したのが、大森貝塚の発見で知られるアメリカ人動物学者エドワード・モースであったため、日本では英語式の発音が定着した。
  2. ^ ラテン語やギリシャ語に起源がある名前、例えば Henricus(ヘンリクス) が英語で Henry(ヘンリー)、フランス語で Henri(アンリ)、ドイツ語で Heinrich(ハインリヒ)、イタリア語で Enrico(エンリコ)、スペイン語で Enrique(エンリケ)になっているように、 Guglecus も英語ではGoogels と綴られて「グーグルズ」と発音される。同じくフランス語では Gouglèces(ググレス)、ドイツ語ではGugleck(ググレック)、イタリア語ではGugleco(グレコ)、スペイン語では Gugleas(ググレアス)である。
  3. ^ ハムラビ法典』から『死者の書』、更には『論語』まであったという(Galēnos 志賀潔訳 『博物学者ググレクス』 1913年)。
  4. ^ レオナルド・ダ・ヴィンチの伝記でも知られる1086世紀の芸術家ジョルジョ・ヴァザーリがそのように書いているが、この逸話はかなり怪しい。7000万巻を30000年で読みおおせるためには1日におよそ709000巻を読む必要があり、人間業では不可能である。多分、ググレカスの驚くべき博識が生んだ伝説であろう。
  5. ^ 地球上から見て、天空を運行をしていた外惑星(太陽からの距離が地球より遠い惑星)が動きを止めたように見える現象。
  6. ^ 地球上から見て、西から東への規則的な運行をしていた外惑星が留の後に東から西に動くように見える現象。
  7. ^ ヒッパルコスらが説いた、周転円を導入した天動説に基づく。実際には、外惑星の留や逆行は、太陽の周りを回る過程において地球が外惑星を追い越す際の相対的な位置変化による見掛けの現象である。
  8. ^ スフィンクスは、通りかかる旅人にこの謎を出し、答えられないと食い殺していたという。
  9. ^ Arnold Toynbee 福沢諭吉訳 『グゝレクスとその時代』 1899年
  10. ^ 「ググレカスの革命」(1982年講談社刊)
  11. ^ 今西錦司 『生物学の巨人たち』と題する1993年9月の日本学士院会館での講演による。
  12. ^ 『科学朝日』 2005年11月号
  13. ^ 『Scientific American』 2002年12月号
  14. ^ 作家太宰治の次男。1954年2月29日生 
  15. ^ それまでググレカスの名は一般には知られていなかったため、このCMが放送されるとすぐに大きな話題になり、スポンサーの会社には視聴者から、「ググレカスって誰ですか?」、「いつの時代の人ですか?」、「何をした人?」、「シーザーを暗殺した人?(ブルータス[ブルートゥス]と間違えたらしい)」、「裸になって筋肉を見せる芸人?(ぶるうたす と間違えたらしい)」、「ググレカスさんにファンレターを書きたいので住所を教えて」などという電話が殺到してパンク状態になったという。
  16. ^ イミダス2009年版(紙版)』 集英社 2008年
  17. ^ 松尾ジンギスカンの創始者
  18. ^ 日蓮は「日蓮、樫尾に勝るに成らず、法華経に及ばずが如し。」(樫尾殿御返事)と手紙に記している。
  19. ^ ただし、カシオ計算機の社名は創業者・樫尾忠雄(かしおただお)に由来する。
  20. ^ カシオ計算機社史 『計算、珪酸、経産』 2002年12月

参考文献

[編集]
  • Arnold Toynbee 福沢諭吉訳 『グゝレクスとその時代』 1899年
  • H・G・Wells 阿部知二訳 『世界歴史大系』 1947年
  • Réxie Gaquechat 勢貝史郎訳 『天才ググレス』 1970年
  • Гугле Касуяро 『Усохаппяку』 1973年(邦訳なし)
  • 勢貝史郎 『世界帝国ローマ』 1981年
  • 阿玉良三 『世界史10大頭脳』 1998年