Wikipedia:井戸端/subj/編集手法、考察がWikipediaの編集方針に合致するかを検証して下さい。

編集手法、考察がWikipediaの編集方針に合致するかを検証して下さい。[編集]

三木清の『人生論ノート』ファン(三木清の全面的なファンではありません)であるというバイアスがかかった記述人であるという前提で、以下の文章を読んでご意見・ご感想をお願いします。敢えて加筆すれば私は著作権違反常習者で有るという視点でご意見・ご感想をお願いします。「三木清のことは三木清のノートでやれ!」とのお叱りを受けることは覚悟のうえで、ここに記載させて頂きます。

理由は、本件は哲学的な議論では無く、Wikipediaの編集の仕方についての議論で有り、なるべく多くの方の意見が聞きたいのと、他の記事においても同様な問題が発生する可能性があると判断したからです。

本題に入ります。

三木清の記事で『三木の死によって、1945年は、西田幾多郎、三木清、そして戸坂潤の三人の師弟が同時になくなるという、哲学界にとっても実に喪失の大きい年となった。』という記述がありましたが、『誰』の指摘に対して出典を見つけることが出来なかったため、別の文章に置き換え『三木の死によって、1945年は、西田幾多郎、三木清、そして戸坂潤の三人の師弟が同時になくなるという、哲学界にとっても実に喪失の大きい年となった。』を削除しました。以下の差分をご確認ください。

三木清‐ノート:三木清ノート - 2016年5月25日 13:12:38 (UTC)版・2016年5月24日 18:47:55 (UTC)版間の差分

その後も出典を探しましたが、現在のところ見つかりません。ただ、三木と戸坂にとって恩師である西田の死と、まだまだこれから日本の哲学界に貢献すべき年齢でもあり、手法は違えども西田を超克しようとしていた西田の弟子である三木と戸坂が同じ年に無くなったのは『実に喪失の大きい年となった』のは揺るがせない事実だと考えております。

そこで、Wikipediaで『日本の哲学者』を検索しました。すると144名がリストされています。母集団が少なすぎるというご意見も有ると思います。ただ、日本の哲学者というカテゴリーに何人いて、2015年までに何人がお亡くなりになられたのかを客観的に調べることができませんでした。

その中で同じ年に3名が亡くなったのは1945年の西田幾多郎(75歳没)、三木清(48歳没)、戸坂潤(44歳没)。

また、2014年の清水正徳(82歳もしくは83歳で没。誕生日が不明のためこういった記述になりました)、野田又夫(93歳没)、藤沢令夫(78歳没)の2例しか見つかりません。

2014年に亡くなられた三氏は男性の平均寿命から考えると大往生もしくはそれに近い年齢ですが、1945年の三氏のうち三木、戸坂に関してはまだこれからという時期に亡くなっておられます。

次に、三木と戸坂は、若くして亡くなったにもかかわらず全集が発行されています。全集が発行されているから偉大とか有能と言うつもりはありませんが、全集を発行するということは出版社にとってもある程度の売上が見込めるという根拠が無いと発行には踏み切れないので、少なくとも著名であることの証と考えるのは自然な流れだと思います。

全集発行というからには、一般的には、それなりの分量の論文、ノート、書簡等を残さないと全集(西田幾多郎全集は全24巻 岩波書店発行、三木清全集は全20巻 岩波書店発行、戸坂潤全集は全6巻 勁草書房発行)が作成出来ないわけですから、三木と戸坂は若くして亡くなった割には仕事量をこなしている(清水正徳以外の5氏は全集が発行されている)と考えるのは分量的には言えると思います。(世の中には1冊で全集と呼ばれているものが存在しているのは認知しております。)

上記考察から『哲学界にとっても実に喪失の大きい年』と言う表現は客観的事実として、正しい表現として良いのではないか?という結論に至りました。

記事にする際は『哲学界にとっても実に喪失の大きい年』を復活させ、脚注として『上記考察をまとめて』記載したいと考えております。

本考察について、Wikipediaの記事作成手法として正しいかどうか、特に『独自研究に該当するかどうか?』『統計学的に見てサンプル数が少なすぎるのでせめてXXX件くらいの母集団が必要ではないか?』という視点でご意見頂けると幸いです。--Earthbound1960会話2016年7月27日 (水) 20:50 (UTC)[返信]

返信 ご回答ありがとうございます。「独自研究に該当する。」と言うことですね。では、「師弟関係にあった哲学者が同じ年に亡くなったのは、西田・三木・戸坂が亡くなった1945年だけである。」はいかがでしょうか?こちらは事実に基づいて記述したつもりですが、問題有りますでしょうか?--Earthbound1960会話2016年7月28日 (木) 10:32 (UTC)[返信]
それのどこが事実ですか? 正確には「Earthbound1960さんが調べたとてもとても狭い範囲では、師弟関係にあった日本人哲学者が同じ年に亡くなったのは、西田・三木・戸坂が亡くなった1945年だけ」であって、記事に書いて良いことではありません。--Hisagi会話2016年7月28日 (木) 13:19 (UTC)[返信]
何も問題が変わっていないようにしか見えませんが?「師弟関係にあった日本人哲学者が同じ年に亡くなったのは、1945年だけ」の裏付けはどこにいったのでしょうか。--ikedat76会話2016年7月28日 (木) 13:25 (UTC)[返信]
たかがいち匿名利用者に過ぎない素人の考察に関した苦労話はどうでもいいので、まずは裏付けとなる情報を記した情報源を明らかにすることです。それがなければこの先何十年同様の行為を続け、何百人に同様の説明を行ってもウィキペディアの記事中には反映不可能です。その意味では、同じ匿名利用者の素人に過ぎないいち編集者として無駄な時間を費やしてしまいましたね、と同情します。しかしウィキペディア以外の百科事典サイトでならお考えの結論を個人的な疑問や考察結果を交えて思う存分書き綴ることは可能かもしれません。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年7月28日 (木) 13:55 (UTC)[返信]
えーなんですかその、皆さん口調はきついですが、言ってらっしゃる事は正しいんです。誤った状態で長年続けてしまって後悔することを考えたら、今回こちらで相談されたのはフェア・プレイと申せましょう。バランス感覚などは、ウィキペディアの基本方針を守ることを前提として2年もやっていれば自然と身に付くものでございますから、今はあまり深刻に考えることはございません。誰かに不備をツッコまれたら、またここに相談にくればいいだけです。私から申し上げるとすれば、「書きたいことがあり、それを裏付けるために出典を探す」は逆であり、「出典となり得る文献を何十と査読していき、事実だろうとされることを列挙していき、整形してまとめたら、こんな記事になった」が、むしろ正しい順序となります。先入観を持たないこととか、感情なんて捨てて執筆ロボットになるとか、そんな感じです。最後に集計やまとめなどをすると独自研究になりかねませんので、「感想や解釈は読者に委ねる」と言うのも一つの手法でしょう。まあ執筆のコツなんて書いていったら、それこそ本を書くはめになりますので、基本的には慣れていただくしかw お疲れの出ません程度に、ご努力を期待致します。--133.232.161.160 2016年7月28日 (木) 16:40 (UTC)[返信]
  • Earthbound1960さんに、少し事情を説明します。今はWikipedia:ウィキペディアへようこそにもあるように、Wikipedia:検証可能性(とWikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:出典を明記する)、Wikipedia:独自研究は載せないが、記事を書く際の重要で基本的な原則になっています。なので、他の方々がおっしゃるように、「それが哲学界で大きなことだった」と書いてある情報源を示さないかぎり、そう書くのはルール違反です。
  • しかし、このルールはずっと昔からあったルールではないのです。ウィキペディア(日本語版)は2002年頃からスタートしています。最初期と、今は、編集方針・ルールがだいぶ違っていました。大雑把に言うと、昔は「記事の主題について詳しく知っている人が、その知見に基づいて書いてください」「それが妥当かどうかは、別の詳しい人が査読してチェックしてください」「それが繰り返されていくことで、いつかは素晴らしい記事になるはずです」「それまでの間は暫定的に怪しい記述があるかもしれませんが、しょうがないです」という編集方針でした。私が参加し始めた2006年頃はこんな感じでした。[1][2]
  • なので、その頃書かれた記事は出典もないし(示す必要がなかった)検証可能性なんて考え方もありません。今回の記述は2005年に加筆されたものですから、その当時としてはルール違反ではない編集だったんです。
  • 2006年6月になってWikipedia:検証可能性が初めて方針になります。しかしWikipedia:独自研究は載せないは2007年になってもまだこんな状態でした。そんなわけで、昔書かれた記事には、今のルールの下ではもはや基準に適さないというものがたくさんあります。たぶん、基礎的で大きな項目ほどそういう傾向があると思います。(基礎的な項目ほど早くに書かれているし、基礎的なものほど情報源が多すぎてバランスよくまとめるのは大変ですからね。)
  • というわけで、今、我々執筆者がやるべきことは出典(情報源)に基づいて書く(書き直す)ことです。ただ、その情報源探しにあたって、「こういう情報源があるんじゃないだろうか」と予想や仮説をたてて、そのうえで情報源を探すというのは方法論としては有用です。(きちんと調べ物をする執筆者であれば誰でも必ずやっていることでしょう。そうでなければ図書館の本を一番端から全部目を通すはめになりますから。)もし本当に「哲学界にとって大きな」ことだったならば、1945年当時の情報源なりにそういう話が出てくるでしょう。治安維持法前後という時勢を考えるととてもそうは思えませんけどね。となると、後世の人がふりかえってそう評価しているということになり、日本の哲学史・思想史に関する文献にあたってみるということになるでしょう。しかしそういう文献は必ずしも豊富で多岐にあるという感じでもない。ならば、京都学派に示されているような文献にあたると、少し確率が高くなるかもしれません。ただし「中立的な観点」にも留意する必要があって、もしかすると京都学派の人は「大事件だ」と言っているかもしれないけど、そうじゃない学派の人は別に大事件と思っていない、ということもありえますから、情報源の性質にも気を使いながら、場合によっては「誰それは『ほにゃらら』の中でこれは大事件だと評した」みたいな書き方にするのがいいかもしれません。--柒月例祭会話2016年7月28日 (木) 16:49 (UTC)[返信]

返信 まずはじめに、返答が遅くなったことお詫びいたします。コメントを頂いた皆様、真摯にご指導ご鞭撻頂き誠にありがとうございました。井戸端で質問することで自分が未だ初心者の域から一歩も前へ出ていないことが良く分かりました。今後もご迷惑をおかけせぬように勉強し、分からない事はこちらで質問させて頂きますのでよろしくお願いします。

Hisagi様、ご無沙汰しております。御指摘のとおり「事実では無いこと」を井戸端に書いて皆様の意見を聞いて理解出来ました。御指摘ありがとうございます。
ikedat76様、御指摘ありがとうございます。変更後の文章では裏付けが無くなっていることが理解出来ました。ご指導ありがとうございます。
Nami-ja(凪海)様、ご指導ありがとうございました。確かに苦労話はどうでも良いことでした。すでに苦労話を書いている時点で「独自研究」をこれから書きますと宣言しているようなものですね。ただ、日本の哲学者が何人いるのか?Wikipediaでどの程度網羅されているのか?ということ自体に興味があり、一人一人の経歴を調べるのは私にとっては有益な時間でした。幸いなことに岩波の哲学・思想事典が近くのブックオフで破格な値段で売られていたので買い求めました。夏休みにでも事典の中から人物を抽出し、自分のホームページにでも記載しておこうと思っています。
133.232.161.160様、ご指導ありがとうございます。「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」の諺どおり、ここで皆様にご意見をお伺いして本当に良かったと思います。著作権違反常習者に加えて独自研究掲載常習者にならずに済んで本当に良かったと思います。
柒月例祭様、いつもお世話になっております。また、今回も過去の経緯から詳しく説明して頂きありがとうございます。非常に良く分かりました。今後ともご指導ご鞭撻をお願いします。
別件ですが板取川、川浦渓谷、左門岳(板取川の水源)等の岐阜県の地理に関する記事はまもなくアップ出来ると思います。天候不順で綺麗な写真を撮ることが出来なくて苦戦しておりました。また吉野川大橋経由で、北川村、モネの庭も訪問してきました。北川村、モネの庭は北川村教育委員会で広報等の資料をコピーしてきましたが、まとめるのに時間がかかりそうなので、今のところ「いつかは記事にしたいなぁ」レベルです。モネ財団から正式にモネを名乗ることを許されているだけ有って青い睡蓮は確かに素晴らしかったです。

以上でございます。今回は本当にありがとうございました。--Earthbound1960会話2016年7月30日 (土) 22:21 (UTC)[返信]