Wikipedia:井戸端/subj/山手線方式への差し戻しの是非

山手線方式に差し戻す利用者[編集]

向日葵三十郎という利用者が官人レーズントロッコなどにおいてテンプレートに置き換えたのをその内容の正誤を確認せず指し戻しています。Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避でも反対の意思だけを述べて有効な反論をしていないにも関わらず狂信的に指し戻しを繰り返している模様です。彼の所為で保護されたページや故意に孤立させられたページ(放置された曖昧さ回避ページ)が多くあります。また、自分の意に添わない利用者をWikipedia:進行中の荒らし行為/長期/毛が生えた程度であると決め付けて強硬な態度を崩していません。山手線方式を禁止する具体案を出さない自分が悪いのでしょうか?このまま強引な手段を取り続ける彼にはウィキブレイクが必要でしょうか?

Template:See Wiktionaryを導入したことによって全ての山手線方式は廃止することが可能になったと考えています。しかし今となっては公式な方針に議論なしに山手線方式を追加したAphaiaという利用者の多重アカウントがブロックされたため、本人に連絡をつける事もできません。また、廃止は漸次的に進めるべきであり、必要に応じ個別の話し合いを必要とすることが予想できます。そのため英語版に倣い曖昧さ回避のウィキプロジェクトを作り、(英語版でも未解決な)「カルメン・カレー」問題や独立曖昧さ回避ページが必要かどうかの議論と共に問題のあるページへの案内と意見交換の場を作りたいと思います。もし宜しければ皆さんのご協力をばお願いいたします。--203.184.103.175 2008年6月23日 (月) 05:37 (UTC)[返信]

重要な方針にかかわる議論をしたいのであればIPではなくアカウントを取得してお願いします。--ikedat76 2008年6月23日 (月) 13:05 (UTC)[返信]
同じく。jawp全体に関わることですので、議論継続にあたってはアカウントの取得を強くお勧めします。また、よく整理され実に理に適った提案をされていると思いますし、山手線方式を醜いと思っている私としては強く共感するところもあるのですが、それだけに「狂信的に」のような罵倒から入っているのは残念ですし、203.184.103.175さんが過去にブロックされた一連のユーザと同様の編集合戦を各所で繰り広げているのも説得力を減ずる一員となっているように思います。--cpro 2008年6月24日 (火) 01:23 (UTC)[返信]
これまで固定IPであることからアカウント取得を控えてきましたが、アカウントを取得して議論を進める事にしました。上記IPと同一人物です。これで取り合っていただけますでしょうか。自分としましても指し戻しの根拠となっている方針の改善を優先しなければという事は理解できます。--István 2008年6月24日 (火) 09:50 (UTC)[返信]
どうやら私の上記書き込み時点ですでに取得されていたようで。失礼いたしました&ご理解ありがとうございます。--cpro 2008年6月27日 (金) 03:50 (UTC)[返信]
閲覧利用者の1人としての意見です。
複数ある曖昧さ回避ならTemplate:OtherusesじゃなくてTemplate:Otheruseslistを使ってほしいです。Otherusesは一文が長くなりがちです。それならばリスト化した方が把握しやすいでしょう。(トロッコが該当事例)
官人は鎌倉以降の情報が落ちてますね。これはもったいない。
レーズンはOtherusesを使うほうが短く纏まってますね。でもデュオのグレープ(ユニット)に飛ぶのか知識のない人間には理由不明になってます。まぁ、知っている人は十分わかる情報なのかな、と思いますので好みだと思います。
トロッコにいたっては、曖昧さ回避の文が70文字になってます。(1文は40文字から50文字程度に収めるのが読みやすいといわれています)
説明が長くなるものはTemplate:Otheruseslistを使って曖昧さ回避をしていただけませんか?--222.228.163.112 2008年6月24日 (火) 14:54 (UTC)[返信]
Template:Otheruseslistもいいのですが、関係性が等価ではなく幾つかの入れ子構造的な分岐の場合はやっぱり山手線方式がいいですねえ。曖昧回避ページだと、一旦別ページに飛ばすわけだけど、特に分岐に関する説明も記事中の説明の一部と連動している場合には、一々別ページ間で相互参照させるよりも、同ページにまとまっていたほうが可読性がいいし(私的にこういった考えを体現していると考えるページにスパムがあります)。何が何でも山手線方式を廃するべきだという主張は、余りに狭量な気がしますね。なんにでも例外があるのですから、使える道具は多いほうがいいにきまってます。--夜飛/ 2008年6月25日 (水) 11:43 (UTC)[返信]
スパムに関しては本文中にセクションを作り派生用法の説明を行うべきであると考えております(Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避/改定案20080623#曖昧さ回避ページを別に作らないもの(3)セクションを別けて言及する方法)。単に見た目の問題だけで廃止を唱える人の視点とも重なりますが、内容ではなく表現方法の問題です。これは英語版のen:Spam (food)#Cultural references節と同様の列挙方法です。長くなった文章は後ろへ廻すことで形式も自由となり、分量を増やしても見苦しくならない点で、山手線方式よりも優れています。更に別の項目を参照したい読者のために冒頭テンプレートを併用します。いかがでしょうか。--István 2008年6月25日 (水) 15:34 (UTC)[返信]
その節分けの結果として、山手線方式が冒頭にあるんですけど。頭に置くか、文中の下部にぶら下げるかという選択肢の一つに過ぎないし(そして文冒頭にあることでスムーズに案内できるという考え方)。また英語版もこの際関係ないでしょう。英語版は英語圏向けのものだし、日本語版は日本語圏向け…で、こと日本語圏では沖縄地域を除いて件の缶詰はメジャーとは言い難く、反面ジャンクメールなどコンピュータネットワーク上の迷惑宣伝行為としてはよく知られている…と、言語圏的な背景から違いますしね。またテンプレートは端的に違いを分けられれば説明も短く問題がないのですが、よりメタな概念の違いに言及しなければならない場合に説明は長くなり、解像度依存で折り返しやスクロールバーが出てしまうのもあるけれど、テンプレートがその実として「目を引くようデザインが工夫されている」という点で、どうあっても主記事との関係性で(長くなれば長くなった分だけ)目に付いてしまうように感じます。まあこの辺りは感覚もあるので一律「どちらが優れている」なんて言えないとも思いますけど、それだけに定義文を圧迫する分量のテンプレート(表示範囲)では困るし、さりとて説明がなければどれを見るべきか判じ難くなる(子細な説明を文中に持っていけば、一旦そこまで見なければいけない)…という視点に立てば、そこに山手線方式の生かしようがあるわけです。いずれにしても「山手線方式はなくすべきだ」と主張して他人の意見に耳を貸さず(もしくは議論に参加しながら結局は我論を振り回して相手を否定するだけ)方々の記事で山手線方式の置換を強行した(さらに自己正当化するためにガイドラインにもちょっかいを出した?)のが問題の毛系と呼ばれる一連の荒らしなので、そういう問題行動に重なる行動は、同一人物か別人かの別なく意識して避けるくらいの対応をしたほうがよさそうです…まあ、そういう意味で、今回のIstvánさんの行動は「ちょっとカブる部分がある」とも思います。--夜飛/ 2008年6月25日 (水) 23:30 (UTC)[返信]

そもそもにして、なんの根拠もなく「山手線方式を強引に改変しようとする」ユーザーがいるのが問題なわけで。「Aの記述方式はBよりも優れている」ということを科学的に証明できないかぎり、反対せざるを得ませんね。何様なのかと問いたいところです(笑)。向日葵三十郎 2008年6月26日 (木) 16:50 (UTC)[返信]

利用できる方法が多い方がよいという前提には疑問を感じますし、「山手線方式」と「1ページに共存(の一部)」を廃止する代わりに2つの方法を追加する提案なので手段は逆に少しだけ増える計算になります。
科学的にとおっしゃるなら「人間工学」的に2つ、「博物学」的に4つ、「歴史」的に2つの問題点をWikipedia‐ノート:曖昧さ回避/山手線方式の引き起こす問題と廃止案に挙げています。スパム・メールの語源の説明はまだ不充分ですね。なぜあれがスパムと呼ばれるのか理解するにはモンティ・パイソンとの関係について説明する必要があります。これを例に挙げたのはYatobiさんですが、それでご納得いただけないなら更に例を挙げましょう。
en:heaven旧版では"heaven"の原義と宗教上での意味を並べて書いていましたが、やがて節分けされ、その語源や各宗教での概要が仔細に説明されるようになりました。山手線方式では冒頭部分を膨大化させることはその記事が何を指しているのか理解しづらくなることは不可避です。
二つ目はen:genderです。この記事の旧版では「曖昧さ回避の辞書化」が起きていました。これを百科事典らしい記事とするために単なる回避ページの分離だけでなく、やはり各分野での語の用法についても言及しています。前述の理由でこれを山手線方式で真似することには限界があります。
三つ目にen:Spaceを挙げます。これの旧版は独立記事のなかった曖昧さ回避(現在の基準では誤った用法)の各項目が肥大化し、最終的に空間としての記事に中にその他の概念にセクションを割いた形となりました。冒頭にも文中にも宇宙としての"space"(en:outer space)への言及があります。これだけの分量を山手線方式で実現するのは非現実的です。
まだご納得いただけなければ例示には事欠きませんが、もし議論をお続けでしたら、Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 曖昧さ回避へ移りましょうか?--István 2008年6月26日 (木) 23:26 (UTC)[返信]

つまり、あなたはコンテンツが伸びる課程においては、山手線方式が有用だと述べているように思うのですが。「狂信的に」一律に禁止というのは意味がありませんね。また、わたしは凡例を挙げてくれとか、あなたの主観を述べてくれと書いたのではなく、科学的に証明してほしいと言っているのです。意味をはき違えないでください。向日葵三十郎 2008年6月27日 (金) 02:52 (UTC)[返信]

科学的に証明することなどできませんし、そもそもウィキペディアは証明をする場ではありません。合意形成により進めてください。 - TAKASUGI Shinji (会話) 2008年6月27日 (金) 03:42 (UTC)[返信]
逆におたずねしますけど、山手線形式がそれ以外より優れていることを「科学的に」証明できるんでしょうか。それができないなら、「こういう観点からこちらを採用することにはこういうメリットがある」とお互いの主張をぶつけて議論する以外に方法があるのかしら。競合したけどそのまま--cpro 2008年6月27日 (金) 03:50 (UTC)[返信]
いや、私はそんなこと思いませんよ? でも、彼は「明白に優れている」と繰り返しているので、山手線方式が一切使えないほどの根拠がきっとあり、証明できるのでしょう。私はただの人間なので、そんな神に挑戦するかのような命題にはチャレンジしたくありません。向日葵三十郎 2008年6月27日 (金) 04:58 (UTC)[返信]
なんというか…「Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避/山手線方式の引き起こす問題と廃止案(私論)」は吹いた。そもそも私家版を通常名前空間ノートページ以下のサブページに勝手に作っていいもんなんだろうか。また「禁止」だとか主張されているけど、好ましくないという表現を勝手に誇張してしやしませんか?してそういう冷静さを欠いていては私論だろうと公式ガイドラインの草案だろうと、他者に行動の指針を示す姿勢としては不適切(事実本節冒頭でも不適切発言が見られるし)かと。
で、話を元に戻してスパムがなぜ迷惑メールのそれをさすかということでモンティパイソンの説明が必要だ云々の下りですが…はて、話の交ぜ返しの予感です。それは語源の説明であって迷惑メールの別称としての“spam”においては主従が逆です。ましてモンティパイソンを知らない人も日本語の範疇では迷惑メールをスパムと呼びうるが、モンティパイソンを知っていても作中で迷惑メールをスパムとは呼んでいないのでモンティパイソンを説明する必要は末の情報なのです。そしてそういう言及はすでに文中で詳しく述べられているのであり、それとは別に冒頭で分岐を説明つきで(しかもその範囲とその下部概念に関しても)山手線方式で案内を行っているのがスパムの項なのです。山手線方式にも適不適があるでしょうから、その性質に沿って使われるべきでしょうね。その意味で、過去に山手線方式が改められた記事があるとはいっても、それのみを持ってすべてを否定するのはナンセンスといえましょう。--夜飛/ 2008年6月27日 (金) 10:37 (UTC)[返信]
勝手に作っていいか否かについては多数のページで過去ログなり要約ページなりの前例があり、また長文で会話を埋め尽くす事は迷惑になりましょう。方針に定められていない作法にまで誰かに指定されたくはありません。
コンテンツが伸びる過程で有用という意味合いを書いた憶えはありませんが、テンプレートを使わずに冒頭文をわざと複数にすることの利点と、代替方式に較べて何処が有用なのかを論理的に説明していただければ納得できない事もないかも知れません。要約ページで書いた通りですが、別の方針であるWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)Wikipedia:素晴らしい記事を書くには#冒頭の段落は明確で簡潔に)と衝突している事を黙認するのを宜しいと感じません。また、合意形成なく追加されたものが今までそのまま方針として認められてきていることにも疑問を持ちます。単にこれらの考えを撤回させたいという狙いでお話をお続けでしたらそれは前述の理由から致しかねますゆえ今後どうか私どものやり方に干渉なさらないでください。よもや、今回の改定案に対し「科学的な」反論を挙げる事なしに無根拠に古い方針の方が優れている=古い方の方針を蔑ろにする事=異端=採用すべきでないといった旧法への狂信と呼ばれても仕方のない様なお考えではありませんよね?井戸端ではなく、改定について前向きなお話を専用のノートページにていただけませんか?--István 2008年6月30日 (月) 10:26 (UTC)[返信]
私家版ルールの模索は、ノートページにおける過去ログや要約(あるいは所定の記事を改稿する前段階としてのサブページ)と明らかに性質が違います。私家版というだけに所定利用者の主張でしかない(そういえばノートページに私論を書き綴るWP:ESSAYという問題利用者もいましたな)。そういう「○○がいいんだから、××だっていいはずだ」という視点も、程度を過ぎればただの詭弁でしかないといえましょう。方針に定められていないという問題以前の行為を「ルールにないから良いんだ」的な視点で正当化するのも頂けません。キャンプ場でスカンクは歓迎されません(漏電中:ロバート・A・ハインライン『スターファイター』ネタ)。
Otheruses/Otheruseslistテンプレートは等価並列の概念を列記するのには向きますが、情報構造において下部概念をさらに再分岐させるなど、概念を包括的に扱った上でその適切な各々に誘導することには向きません。また、ガイドライン「Wikipedia:素晴らしい記事を書くには#冒頭の段落は明確で簡潔に」は記事の主体である事物の冒頭定義を簡潔にすることを述べているのであり、これは記事の主体である事物の解説とは別の解説へ誘導するための山手線方式ないしOtheruses/Otheruseslistテンプレートを述べておりません。「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」にしても本文(事物を解説した文章)の内容を述べているのであり、それ以前の分岐案内を規定しておらず、またそういった案内は本文とは別の文章(これは名前空間にある記事冒頭に付与されるあらゆるテンプレートもその意味において同質)ですね。また「合意形成もなく」とおっしゃいますが、特に他者から明確に反対する意見が出なかったということも、無言の合意という意味で有効ですよ。技術手法の定説としては「動いているものをいじるな」的な価値観念がありますが、こういったレガシーな代物は有効な代替え物が出れば自然と置き換わっていくものです。それを「旧弊だ」と決めつけ非難し、その割に決定的な欠陥を指摘できるでもなく「見栄えが悪い」とかクオリアに立つよーな視点で否定したところで益はないと思います。また、それを機械的に置換した結果として不具合が出ることもある(それは毛系がさんざん社会実験してくれた結果として自らをWikipediaから追放した)訳ですが、それだけに置換をするにしても適不適を見極める視点が大切といえましょう。その点で「ある記事で置き換えができたんだから全ての記事で適用できるはずだ」という論点は意味を成しませんので念のため。--夜飛/ 2008年6月30日 (月) 13:19 (UTC)[返信]

この議論を見たところ、できるかぎり山手線方式よりテンプレートを使った方がよいようですね。Template:Dablinkを使えば大抵のものはなんとかなりますし。--133.11.70.106 2008年7月2日 (水) 06:30 (UTC)[返信]

Yatobiさんの言う向き不向きについてはそれぞれのケースを見た各個人の背景によって大いに異なるだろうかと思われますから(余談ですがスパムは近所の複数のスーパーでも販売されているので全国的に流通している商品だと認識しています。ウィキペディアに書いてある事はそのまま信用すべきではありません)、井戸端でのその話題についての議論は不向きと感じます。Yatobiさんが主張する例の記事以外(つまり最初に挙げた記事群)についてはテンプレートの使用は行うべきとお考えでしょうか?もしそうでしたら目指している方向は重なっています。方式を廃止すべきでない範囲というものがあれば(できればサブページを使って)ご説明ください。暫定的な移行案を作り、全面的な廃止を行うかについては最終段階で決定しましょう。--István 2008年7月4日 (金) 09:24 (UTC)[返信]
うーん、どこをどう転がしたらそういう発言が出るんだか(悩)。もっと分かりやすく言いますが、基本的に山手線方式が適するかOtheruses/Otheruseslistテンプレートが適するか、あるいは曖昧回避ページを立ち上げるのが適するのかは、各々の記事によって異なるし、その都度対象記事を見て判断するほかないと考えていますが。して現状有効な代替え物が無いにも拘らず廃すべきだという視点も暴論だと思っています。で、小生は預言者ではないので、出るかどうかも判らんような代替え手段が出るという前提を基に話を進めるつもりもさらさらございません。で、前3例に関しては、まあ毛系がさんざっぱらやらかした愚と同質の問題が垣間見られます。それは、分岐において「案内には十分な説明を必要とする」や「性質の上で記事本文とも密接に関係している」ような場合に山手線方式が選択されていたところを、記事の性質もわきまえず他者との対話を通さずに機械的に置換し、結果的に記事の質を低下させるという行動です。
理由についてはすでに述べております。…というか人の発言もろくに読まずに自分のやりたい方向に話を曲げるというのも毛系と同質の問題行動の域に差し掛かっており、これは中の人が同じだろうと違かろうと「同程度に問題」というその一点のみをもって同一視ないし模倣者扱いされても仕方がない部分だと思いますがねえ…
全面的な廃止は現状考えていない以上、移行案がどうとかという話も出るわけありませんよ。なお、例えば工夫に工夫を凝らして、段組みとか構造化も可能なテンプレートを作ったとして、誰がそれを使うのかという問題があります。現状では基本的な箇条書きマークアップを利用して作られる山手線方式と、独自の文法で書式を指定するようなテンプレートとでは、前者のほうが余程理にかなっていると考えられます。移行云々は、WikipediaのMediaWikiが書式ウイザードを装備するとか、そういう仕組みをインターネット上のサービスが可能にするとか、まあいわゆる「Web2.0」の先にあるような「Web3.0」とか4.0とか(ヲイ)が基盤として利用されるような2020年とか2030年とか先のお話のことでしょう(微妙に漏電中)。またWikipediaは基本的にフリーの百科事典を作るという意味で、先端の技術を取り込んで一部の最先端ブラウザでしか見られない・編集できないような代物と化すよりも、レガシーテクノロジーに依存して、それこそ前時代的な限定的スペックのOLPCでも難なく開けるようなものであり続け、結果的に「完全に基本的マークアップの機能だけを利用する山手線方式も利用され続ける」予感です。まあ、半ば「そんな気がする」だけかも知んないけど。--夜飛/ 2008年7月4日 (金) 12:55 (UTC)[返信]
最初に挙げたものについて意見があれば当該の会話ページで話しましょう。--István 2008年7月23日 (水) 13:39 (UTC)[返信]