Wikipedia:井戸端/subj/参考文献の一覧という出典表記方法はアリなのか?

参考文献の一覧という出典表記方法はアリなのか?[編集]

参考文献の一覧を見ると、参考文献 (靖国神社参拝問題)靖国神社問題#参考文献のように文献を別ページに分離していますがこれってアリなんでしょうか? もしこれが記事執筆に利用した文献であれば本体記事に組み込んで適切な脚注出典を行わなければWikipedia:剽窃にあたりますし、執筆の査読として参考しただけというなら百科事典的でない(WP:NOT)ので、ノート空間に移動するとかになると思います。

他の言語版を見るとen:Wikipedia:WikiProject Resource Exchangeは後者であり、Wikipedia: 名前空間内に作成されているようです。--Tondenh会話2012年3月5日 (月) 12:29 (UTC)[返信]

日本語版において、「参考文献」は出典となる資料(refereces)を意味する言葉として広く使われているので、関連する資料ではあるが出典とはなっていないもの(further readings)を指す言葉に用いるのはふさわしくないと思います(Wikipedia:レイアウトの指針#参考文献)。両者が混同されると(検証可能性における)検証に混乱が起きる恐れがあるためです。前者は記述と同じページに記載されるべきでしょう。読者が出典を確認するために複数のページを行ったり来たりするのは、可読性の面から見てふさわしいものではないと思います。後者は読者の利益になるものであれば記事に記載してよいと考えます。また、場合によっては分割もありうると思います。ただし、その場合は他の分割記事と同様に、記事名を「(分割元記事名)の関連資料」などとしたほうが良いでしょう(Wikipedia:記事名の付け方#ある記事の子記事を作る場合)。--有足魚会話2012年3月6日 (火) 14:54 (UTC)[返信]
参考になります。en:Wikipedia:Further readingをを何とするかはWikipedia‐ノート:レイアウトの指針でも「設けるべきでは無いのでは」という意見があってペンディングされたようですね。。referenceなら記事本体へ組み込むべき、というのは私も同意です。他にも調べてみます。--Tondenh会話2012年3月6日 (火) 15:40 (UTC)[返信]
どうもWikipedia‐ノート:レイアウトの指針を見たところ、FutureReading節を設けようとしたが反対があり、その結果なし崩し的に「参考文献」中にFutureReadingを含めるようになった、という残念な歴史があったようですね…。--Tondenh会話2012年3月9日 (金) 17:12 (UTC)[返信]
私もこれははじめのうちすごく混乱しました(今でも)。はじめのうちはインラインサイテーションがまったく考慮されてなくて「脚注」は文字通り注として、参考文献は英語版のReferencesとして用いられていたのが、インラインサイテーションが普及するにつれ、「脚注」では注と出典がごちゃ混ぜになり、そうなると「参考文献」が何のためにあるのかわからなくてなって、勝手にFurther Readingだと思い込んでしまうと。注釈を分けて、「参考文献」で{{Reflist}}として出典を表示してもいいような気がしますが。--Bugandhoney会話2012年3月9日 (金) 18:52 (UTC)[返信]
現在は注釈と出典元を分けられるようになっています(Help:脚注#参考文献リストと注釈リストを別置したいとき)。また、参考文献節で出典(らしきもの)が列挙されているだけの場合、Template:参照方法が貼られる場合があります。--立花左近会話2012年3月10日 (土) 01:22 (UTC)[返信]
アドバイスどうもです。さっそく使ってみました。[1]--Bugandhoney会話2012年3月12日 (月) 14:55 (UTC)[返信]
参考になります。執筆の際に参考にしておきながらfuture readingと誤解されるような出典表記ではWikipedia:剽窃じゃないのかな、という疑問があり、いろいろと調べておりました。また、対象がウェブサイトである場合、外部リンク節もWP:ELの方針に反してなし崩し的にFurther Readingに転用されているようですし。en:Wikipedia:Further reading#Limitedでは、FutureReadingの選定は特筆性ガイドラインを参考に選べとして肥大化を避けているようですね。。1)referenceなら脚注参照せよ、2)further readingなら特筆性で選べ、という二本立てで整備するのがベターですかね。。--Tondenh会話2012年3月10日 (土) 02:53 (UTC)[返信]

コメント内容とは関係ないコメントです。Wikipedia:スタイルマニュアル (見出し)#見出しの中でリンクはしないに従って見出しの中ではリンクを使わないようにしてください。勝手ですが見出しを変更しました。--アルビレオ会話2012年3月7日 (水) 23:24 (UTC)[返信]

  • コメント 私が記事を書くときには、
    • ある本の1箇所だけを出典として拾う場合→そのまま脚注or出典として書く
    • 1冊の文献から複数箇所を出典とする場合、何度も書誌情報を書くのが(筆者・読者の双方に)煩わしいので、参考文献に書誌情報を入れて、脚注はそこへのリンクにする(例:穴守稲荷神社
  • のようにしています。なお、cite系のテンプレートではref引数を指定するとそれがアンカーになって、内部リンクを貼ることができます。--Jkr2255 2012年3月10日 (土) 02:02 (UTC)[返信]
はい、そのあたりも気になったのでWikipedia:出典テンプレートを最近翻訳したりもしています。--Tondenh会話2012年3月10日 (土) 02:53 (UTC)[返信]

コメントええと、Tondenhさんのもともとの危惧について

  • 「参考になる文献」(future reading)を記すのは百科事典的です。むしろ必要なものだけど、選別が難しい。普通の百科事典や概説書だと、しっかりとした執筆者が参照した上で選ぶのだけれど、ウィキペディアは、それが難しいので。
  • すでに定着した知識や見解は、いちいち参照先を付けないのが、ウィキペディア以外では一般的です。そして、百科事典というは基本的に定着した知識を取り扱うものなので、ウィキペディアでいう検証可能性の不備は、必ずしも「剽窃」につながるものではないです。
  • 「参考にした文献」は、参照できるようにしなければなりませんが、形態は様々です。複数巻の本で、最後の巻にまとめているようなものと考えれば、ページを分離しておくというのは不自然なものではないです。
  • アリかナシかで言えば、アリなんだろけど、ウィキペディアは、複製を認めるライセンスを採用していて、その時のまとまりとして記事ということになりますから、refereces を別に置くことは好ましくなく、特にquotationがある場合、法的な問題を生じる要因になります。ですから、refereces を別に置くことはしない。future reading は、別に置いてもいいと思う。「関連資料」と future reading では、ちょっとニュアンス違うかもだけど。
  • 最近論争となっているいくつかの記事を見ていると、FutureReadingの選定基準は、注意が必要かなあ、とは思います。

ウィキペディアでの歴史的には、general reference と future reading の混乱は、以前から話題になっていました。一方で、脚注形式/インライン方式が普及するにつれ、general reference を排除しようという考えも出てきました。ほどほどの粒度の記事で、それを内包するような、十分信頼できる先行研究の積み重ねがあるような場合、インライン方式はしばしば煩雑になり、執筆者の負担を過剰に増すことになります。 基本的には、執筆者やその後の編集者が、この辺の知識を持っているとは限らないし、持っていたとしても、他分野での慣習を知らない、あるいは軽視しがちであったり、ウィキペディア独特の事情を考慮するのが難しかったりという問題があります。この種の、論文マニュアルの類を総覧したり比較したりという研究があるといいのにと思って幾度か探しているのですが、なかなか見つかりません。--Ks aka 98会話2012年3月10日 (土) 05:20 (UTC)[返信]

references か further readingかの判別が付かない文献の扱い[編集]

これに派生するのですが、出典か推薦文献かの判別が付かず、かつWP:INCITEのなされていない文献リストはどう整理すればよいのでしょうか。もしその文献が絶版・入手困難・リンク切れであった場合ではその二者の区別を付けるのは困難ですが、むやみに除去しては剽窃になるという指摘を受けています。参考文献節(WP:GENREF)に記載する際にはINCITE脚注付加をある程度強制しないと、GENREFに一度加えてしまった文献を後に除去するのは大変困難、という事態になるのではと感じます。--Tondenh会話2012年3月11日 (日) 05:30 (UTC)[返信]

コメントこの編集[2]について、[3]と、リンク切れであることを示し、利用者‐会話:Tondenh#リンクきれの扱いで、そのことと、いくらか考えをお伝えしました。
正しく情報源としてGENREFに一度加えられたなら、その文献は、そんなに簡単に「後に除去」できるものではないはずです。リンクがあっても除去すべき理由があるなら、除去すればいいと思います。
これに対して、読者の利便性を考えての「外部リンク」については、リンクが切れていたら、除去してもよいでしょう。ただし、この場合も、古いオフィシャルサイトなどは、リンク切れを示して、残しておくのが好ましいと思います。
出典か推薦文献かの判別が付かないなら、出典か推薦文献かの判別をしようと努力する、そうでなければ、何もしない。文献が絶版・入手困難・リンク切れであった場合で、現在手に入る情報源で代替しても構わないという判断ができるのならば、代替させる。ただし、絶版だからとかリンク切れだからというだけで除去してもいいというわけではない。
福島第一でのリンク切れについて、もうちょっと調べてみましたが、「東京電力株式会社福島第1原子力発電所20km圏内の測定結果(空間線量率)」は、現在「放射線モニタリング情報」[4]へと移行していました。ただ、たとえば[5]は表題が間違っていたり(あるいは誤解を招きやすかったり)するので、インターネット・アーカイヴの[6]も挙げておくのが望ましいと思います。
こうした作業は、ちょっと面倒ですが、誰でもできるもので、特に難しいものではありません。リンク切れとして、サイトの名称やURLが残してあれば、移行先を見つけられることもあります。除去してしまうと、その存在自体を知ることが困難になります。情報量を減じる形での「整理」をするのならば、ここらへんは注意してほしいなと思うのです。--Ks aka 98会話2012年3月11日 (日) 06:21 (UTC)[返信]
えーと、現実的に執筆者の多くは「1)references」「2)further reading」「3)external link section」の区別があまり付いておらず、悪く言えば個人の判断で適当にどれかに代入しているのではないでしょうか。 ところで「出典か推薦文献かの判別をしようと努力する」と仰られますが、もし私がここで「それらは推薦文献であると判断したので削除しました」と主張したらどうなるのでしょうか。具体的に何を持ってその二者を判別するかを議論しなくていいんですか。やろうとすれば「実は推薦文献であったものに対して勝手にINCITEしてreferencesに昇格させる」真似は可能でしょうけど、そういう意図でなるべく削除すべきではないというお考えでしょうか。
といいますのは、書籍であればこういう問題が起きることは少ない傾向なのですが、情報源がウェブサイトの場合には、参考文献節がなし崩し的に単なるリンク集と化している向きがあるんですよね。--Tondenh会話2012年3月11日 (日) 07:43 (UTC)[返信]
現実的に執筆者の多くが、「1)references」「2)further reading」「3)external link section」が混乱しているのは確かだと思います。しかし、適切に判断している人もいるでしょうし、結果として「適当な代入」が適切だった場合もあるでしょう。だから、整理というのは好ましい作業です。
適当に代入しているのかどうかを、どうやって確認するか、具体的に何を持ってその二者(三者)を判別するか、というのは、その文献の記述と本文、記事の履歴、あるいはアクティブなら編集者当人またはその編集履歴でしょう。外形的に判断できるものもあるとは思いますけど。少なくとも「リンク切れ」は、判断材料にはならないと思います。
それによって、「それらは推薦文献であると判断したので削除しました」と主張されたら、そうなのか、と思います。その上で、とりあえずは、その編集者を信頼するか、疑うか、自分で調べるか、それから推薦文献として、除去するべきか、リンク切れとしても残すか、どちらがいいか考えると思います。
「実は推薦文献であったもの」をreferencesにする必要はないと思いますよ。references か further reading かよくわからないもののうち、references であったなら、references だとわかるようにする(inlineにしたければinlineにすればいい)。様々な観点から考慮して代替可能な情報源が既に示されているなら、不要だということで除去してもいい。further reading だとわかったなら、further reading だとわかるようにする。不要なら除去してもいい。references か further reading かよくわからないままなら、除去してはいけない。--Ks aka 98会話2012年3月11日 (日) 08:12 (UTC)[返信]
Referencesって投稿者の性善説で成り立っていて、参考にしたけどREFに書かないのは剽窃としてWikipedia:著作権問題調査依頼沙汰で精査することになるし、逆に趣旨を理解していない投稿者によって推薦文献であるのにいろいろ放り込まれるとこれも精査しないといけなくなってしまう。そのあたりをプロジェクト文章化するのも必要かと思います。--Tondenh会話2012年3月11日 (日) 10:15 (UTC)[返信]
結局、General referencesはインライン形式で置き換えられるべきだ、ということなのだと思います。だいたいにして英語版ではGeneral referencesを見たことないですし。執筆者の負担が増えるというのはそのとおりなのでしょうが、General referencesがある記事では、ある記述がどの文献から引用されているのか、そもそも出典がある記述なのかどうかさえ調べるのは読者にとってすごく面倒だと思います。--Bugandhoney会話2012年3月12日 (月) 14:55 (UTC)[返信]
その通りなんですよ、特に記事分割時に問題になるのですが、正しく参考文献を含めて分割できていない。INCITEが行われていないと、分割者がGENREFを総当たりして出典検証しながら分割するという恐ろしい話に。あるいは何も考えずざっくり全面コピーする。そのあたりWP:CITEでプロジェクト文章化しないと後々面倒なことになると思います。(英語版だとen:WP:CITESPAMもあります)--Tondenh会話2012年3月13日 (火) 16:28 (UTC)[返信]
英語版を読んでみましたけど、将来的に本文で引用するつもりでFurther readingに文献を放り込む編集者もいるみたいです。まあだから、英語版も少しは混乱しているのかもしれません。すじとしては、Further readingやExternal linksにある文献は本文中で引用することをまず目指すべきであって、そうやってReferencesに格上げすることができれば、Further readingやExternal linksがむやみやたらと長くなることを防げるかもしれないです。あと、日本語版も英語版にならって{{Reflist}}を「参考文献」節に表示するようにすれば(注釈は分離して)、Further readingとgeneral referencesの混同は少なくなるかもです。--Bugandhoney会話2012年3月13日 (火) 19:13 (UTC)[返信]
予想していたのですがやっぱり「この記事では出典記載はINCITEを使っているから、参考文献節は全部がfuther readingだよね」って解釈が起こってます。。WP:CITEでは2種類の方法を単に示しているだけなので、それが「記事ではどちらか片方に揃えて採用せよ」という意図か「両方を好きに混ぜて使って良い」という意図なのか、個人がバラバラに想像しているのが実態ではないでしょうか。--Tondenh会話2012年3月14日 (水) 19:00 (UTC)[返信]
コメントええとですね。
英語版は細かく対応付けさせているものが多いですが、十分発達していない記事では、general references のまま放置されているものもあります(たとえばen:Chindon'ya)。ドイツ語版だと、たとえばde:Philosophieを見ると、引用(quotation)以外は脚注での対応をとっていません。Literaturは参考文献。実際はよくわからないけど、重要な情報源を一覧で示しておけば、主だった記述は検証可能となるのだし、執筆者はそれらを読んでおくべきであり、加筆の際にはそれらを読むことで情報を得られるという利点もあります。最終的には、ドイツ語版的なありかたのほうが、より百科事典らしいともいい得るでしょう。
なお、明確な対応関係があり、記名的な主張や事実発見などを含むのでなければ、参考にしたけどREFに書かなくとも剽窃とは言えません。その分野で常識に属することを、特定の参照先と共に示すことは、問題を生じうることもあります。
日本語版だと、検証可能性の方針は、総説的な情報源ではなく、個別の事実を積み重ねて書かざるを得ない、いわゆるサブカル記事だったり、最近の出来事関係だったり、いわゆるトンデモの編集が多いこともあって、脚注スタイルが中心になってきているとか、それから、いわゆるトンデモだとか、宣伝的な記事に対する問題解決型で導入されたようなところがあるとか、という印象があります。疑義をさしはさむようなものにだけ「要出典」をつけるべきだというような主張もあったり。それから、最近は見なくなりましたが、一時、ciniiやndl-opacで検索して得られた結果をそのままコピペするような人もいたりしたのですね。
それで、思うに、脚注方式のメリットは、1)その記事の主題となるものについて、当然読んでおくべきとされる文献の一覧が得にくいものであっても、またそれらを読んでいない執筆者であっても、とりあえず書くことができるということ、2)その記事の主題としてはやや派生的な情報を求める読者にとって、より詳細な情報へのアクセス経路となること、あたりだと思うのです。あまりに細かい脚注スタイルを強いることは、特に自然科学系の執筆者に常識的な範囲を超えた労力を強いることにつながります。近現代の文化一般や、法学・歴史学などでは、脚注で対応付けしていくことも、それほど大きな障壁とはならないと思われますけれど。引用(quotation)や、新聞記事などを使う場合、ひとつの主張の根拠として使われる情報源の場合などは、インライン/脚注での対応をきちんと示す必要がある。
それで、Further readingとgeneral referencesの区別というのは、いずれも「参考文献」を使おうと思う利用者がいる以上、きっちりとは区別できないと思います。「参考文献」を使わずに、「情報源リスト」と「基礎文献と推薦文献」などを使うようにする、というほうがいいんじゃないかと思います。このへんの訳語の選び方は、これまで幾度か話題になったけれど結論がでていないものなので、ここで確定できるなら、それが望ましいと思います。--Ks aka 98会話2012年4月2日 (月) 18:24 (UTC)[返信]
インライン形式のほうが読者にとって便利だというのははっきりしていると思うのですが。General referencesでも検証可能性を満たしている、というのはそのとおりだと思いますが、インライン形式とは検証しやすさがぜんぜん違います。General referencesでも大丈夫なのは、基本的には単一の出典に基づいた短い記事だけだと思います。たとえば、複数の書物が出典として挙げられている長い記事の場合、どの記述がどの本のどのページに載っているのかを確かめるのはおそろしく面倒くさい作業になります。残念なことに、おそらくどの本ににも書いていないようなことが出典もなく書いてあると思われる記事にもしばしば出くわすわけですし。インライン形式のほうがGeneral referencesよりも出典の示し方として望ましい、というのははっきりしていると思うのですが、「望ましい」ということは編集者に何かを強いるという意味ではないですし、両者は並存してもかまわないわけで、実際並存しています。インライン形式とGeneral referencesが二律背反の関係にあるわけでもなく。General referencesとして文献を挙げたまま、本文にその文献からインライン形式での引用を付加していく、というのでもかまわないわけですし、そのような編集の仕方は推奨されてもよいかなと(というようなことはen:WP:GENREFSに書いてあって、チンドン屋の記事はたぶんそういう途中にあります)。--Bugandhoney会話2012年4月2日 (月) 19:46 (UTC)[返信]
脚注以外の方法として、「XXXセクションの参考文献」といったセクション指定での出典付加形式があるといいんでしょかね。今はrefタグで小刻みに付けるか、GENREFで記事一括で括るしか方法がないので。ただ参考文献節を「トピックに関係する書籍リンク集」みたいな使い方にされるのは歯止めをかけられないかなぁと。--Tondenh会話2012年4月3日 (火) 18:34 (UTC)[返信]

本文執筆歴がないのにGENREF追記だけをしていくユーザ[編集]

もう一つ提議させてください。「AさんはX記事に参考文献(GENREF)を追加するというだけの編集を加えた。しかしX記事の履歴を見たところ、Aさんはそれまでその記事に一度も投稿を行った形跡は無い」という例を挙げます。

この場合、「1) Aさんはそれらの文献を元に既存の記事を査読し、問題が無いことを確かめた証としてその出典を新たに加えた」のでしょうか。それとも「2) futher readings と勘違いして参考文献に誤って追記した」のか「3)Aさんは実は別ID持ちまたはIP編集ユーザで、過去その記事に投稿したことがある」でしょうか。多くは、1)よりも2)のケースのほうが多数のような気がするのですが。。

特にIPユーザが単発で「参考文献セクションのみの追記」をしていった場合、その判断に非常に苦しみます。Webでアクセスできる文献であれば反証のしようもあるのですが、書籍文献の場合ではどうしようも。--Tondenh会話2012年4月4日 (水) 18:08 (UTC)[返信]

今問題にされている話とはかなり文脈が異なりますが、「参考文献を追加するだけ」が意味のあるケースがあります。特定の事件の記述において、「犯罪の被疑者名または被告名または元被告名」は、通常はWP:DP#B-2該当とされていますが、事件によっては本人による事件を扱った、あるいは事件を前提とした実名での書籍刊行により、実名表記が許容されています。事件そのものの記述が他の信頼できる情報源によって確保されている場合、実名表記が許容されうる理由を示すためだけに参考文献の追加が行われうるとは言えます。地の文中の犯人の名前と、参考文献の著者名が一致しさえすればいい状況です。現在進行のTondenhさんの論調だと、こうしたものが排除される方向に行かないか若干心配です。ただ、その種の事件記事できめ細かく出典明記がされているかというと、そうでもない現実はありますので改善は必要で、そうすると、本人著作も出典として示されるケースは増えるとは思います。--崎山伸夫会話2012年4月4日 (水) 18:35 (UTC)[返信]
実は記事トピックが人物・団体・組織などの場合、それが本人公認な情報源であればWP:ELYESであり、外部リンク節であれば記載してOKなのです。松本サリン事件#関連書籍というやり方もあります。--Tondenh会話2012年4月4日 (水) 19:12 (UTC)[返信]
なるほど。それは難しいケースですね。IPユーザーだと会話ページで呼びかけて確認することも難しいですもんね。個人的には(2)だと判断して取り除いちゃいそうですが。多分、もっとも適切な対応は、その文献に当たって記事で記述されているようなことが書いてあるかどうかを確かめて、書いてあったらキープ、書いてなかったら削除、ということになるかと思います。すごく面倒くさいですが。崎山さんが書いているようなことはTondenhさんの懸念には該当しないのでは。文献のタイトルや内容から記事の出典となっていることが簡単に判断できますので。--Bugandhoney会話2012年4月4日 (水) 18:58 (UTC)[返信]