Wikipedia:コメント依頼/宇井木辺出夫

利用者:宇井木辺出夫会話 / 投稿記録 / 記録氏のこれまでの行為および編集姿勢、各種方針・ガイドラインの解釈の間違いが故意か過失かについて、コメントを依頼します。--Quark Logo会話2016年12月24日 (土) 10:32 (UTC)[返信]

コメント依頼の趣旨[編集]

宇井木辺出夫氏は、これまでも主張のために方針やガイドラインを捻じ曲げ、虚偽によってあたかもウィキペディアのガイドラインにそのような内容が書いてあるかのごとく装って、強引な主張を展開してきました。典型的なルールの悪用をする利用者です。

宇井木辺出夫氏は過剰な差し戻しの常習犯であり、ノートの議論を無視して平気で編集の強行を行うこともしばしばで、多くの利用者に迷惑をかけています。利用者間の合意を軽視しており、合意を成立させる努力への軽視については管理者からも警告を受けていました。宇井木辺出夫氏は編集合戦の回避の努力を全くしません

このような行動をする理由の1つに、宇井木辺出夫氏が各種方針・ガイドラインを本当は理解していないということがあると思われます。にもかかわらず、宇井木辺出夫氏は、各種方針・ガイドラインに従わないだだけでなく、勝手に条文のいくつかを無視し、ありもしない決まりごとを持ち出して、(世のあらゆる常識に反する)無茶苦茶な言い逃れや、無視、理由の不開示などを決め込み、身勝手に振る舞っています。宇井木辺出夫氏はまさにコミュニティを消耗させる利用者といえるのではないでしょうか。

私はノート:徳川義崇で誤解の余地の無いようにはっきりとガイドラインのどこどこの記述に反していると明示して20点の編集上の問題を指摘しました。そして宇井木辺出夫氏の行動に13点の問題があり、出典剥がしは記事の破壊行為であり、議論無き出典付き記述の削除は内容の無差別な除去にあたる違反行為であると糾弾しました。ここまではっきりと物申した上でなので、各種方針・ガイドライン違反を過失によって行ってるとは少し信じがたいです。しかし、宇井木辺出夫氏はガイドラインの間違いを指摘されて逆上したのか、依頼者である私に対するコメント依頼と管理者伝言板/投稿ブロック依頼を出してきましたから、ルール悪用も確信犯であると判断するのが妥当であると思います。

宇井木辺出夫氏への指摘は、ウィキペディア利用者が方針・ガイドラインに従って秩序を維持するために正当かつ必要な批判であり、それが個人攻撃ではないことは明白に証明できます。また、(宇井木辺出夫氏の違反行為とガイドラインの曲解が多岐にわたるために、物凄い長文ですが)詳しく書いたので、皆さんがノート:徳川義崇を読まれるだけでも納得できるものと思います。宇井木辺出夫氏が結果的に荒し行為に及んでいるから、そう指摘しているだけなのです。

また、宇井木辺出夫氏はしばしば妨害的編集を行って、今議論して自分が主張している話にすら反するような編集を平気でします。(当人が書いた)記事に書いてある内容を書いてないと言ったり、(当人が)導入部に入れるべきでないと主張しながら自分で同じ事をしたりと、後で詳しく説明しますが、その場限りの方便を繰り返す宇井木辺出夫氏の言動は信用性が低いと言わざる得ません

宇井木辺出夫氏のいつまでも納得しない姿勢は顕著で、分割依頼なしに、突然、記事の一部をノートや新規ページに転載したりと、しばしば突飛なルールに違反する編集行動も見られます。議論とその結果を軽視し、そのような時に限って無言であり説明責任を怠ります。

ガイドラインに従わない姿勢、虚偽、独自研究に基づく利己的に偏向した編集や、記事内容の対象に対する存命の人物への侮辱、中立的な観点への無理解、その言動には目に余るものがあり、ノートで議論を呼びかけて何度もチャンスを与えましたが、宇井木辺出夫氏は言い訳をして対話拒否を決め込み、編集強行に及びました。改善無き差し戻しを、一向に改める気配がありません。宇井木辺出夫氏に対しての皆さんのご意見を伺いたいと思います。--Quark Logo会話2016年12月24日 (土) 10:32 (UTC)[返信]

参考リンク[編集]

出典剥がし・出典付き記述の削除、および改善無き差し戻し
上記以外でのガイドライン解釈の間違い発言
提案なき記事分割
合意無き強引な編集(合意不成立・削除・転載事後報告)

被依頼者の問題行動[編集]

ルールの悪用[編集]

ノート:徳川義崇や会話ページ[4] [5] [6]などで具体的に指摘していますし、実際に宇井木辺出夫氏のこれに遭遇して嫌な経験をされた利用者もいると思いますので、できるだけ簡潔に説明しますが、「○○に基づいてない」「○○に反する」と言った言説は、他の利用者を惑わして議論を腕づくで解決しようという際の宇井木辺出夫氏の常套手段です。しかしながら、リンクを掲示してくるものの、実際にガイドラインを読んでみてもそのような内容はないので、他の利用者と衝突する主な原因になっています。これは故意であれ、過失であれ、宇井木辺出夫氏は間違っているとを指摘するたびに個人攻撃だと言い出す人[7] [8] なので、対しなければならない他の利用者にとって大変に迷惑なことであるに違いなく、各種方針の熟読期間を要すものと思いますが、皆さんはどう思われるでしょうか。

「概要」節についてWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に書いてあるのに知らずに批判した[編集]

宇井木辺出夫氏は徳川義親の導入部に11行で1085字という”長大な要約”[9]を付けていたので、私が概要節を設けたところ、記事名を言及することなく以下のようなコメントが私の会話ページに投稿されました。

こんにちは。Quark Logoさんの投稿内容はWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)で定められた書式になっておらず、修正を要するものになっています。

  • 記事の冒頭にて定義と記事全体の要約とを記述する

など細かなルールが定められています。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)をお読みいただいたり他の記事を参考にするなど、規定に沿った書式で執筆していただくようお願いいたします。

— --宇井木辺出夫(会話) 2016年11月28日 (月) 08:42 (UTC)

しかし、そのWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)の中に、導入部の長さと「概要」節を作る慣行について明記されているのです。私はそれに従ったのであって、宇井木辺出夫氏はこれを全く読んですらいなかったようです。この宇井木辺出夫氏による導入部の指示内容の間違いは以後も続きました。宇井木辺出夫氏は特に導入部は記事対象によって複数の「定められた書式」があることを理解していなかったのです。

冒頭部・導入部であっても基本的に出典剥がしは許されないのに、独自ルールを主張した[編集]

後でわかったことですが、宇井木辺出夫氏は、定義文の存在を無視し、冒頭部と導入部が、要約から始まると考えているようでした。しかしWikipedia:スタイルマニュアルには、冒頭の第一段目に1.項目名、2.読み仮名(ふりがな)、3.定義であることが明記されており、定義の後に続いて最初の節が始まるまでに4.記事全体の要約を書くように指示が明確にされています。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)でもこれは同じで、定義の後です。Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)では第一段目に書くべき事がより細かく指定されています。

にもかかわらず、宇井木辺出夫氏は、徳川義崇の記事で奇妙なコメントアウトを残します[10]。そしてあろうことか、正当に記述されていた出典の表記を剥して、それがWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に従っているという虚構で居直ります。もちろん(議論もなく)出典を剥がす行為はそれだけで違反行為(荒し)であり、どこでも許されるわけではなく、Wikipedia:出典を明記するWikipedia:検証可能性に違反しているのは明らかです

宇井木辺出夫氏は『「論争の対象だから出典が必要」なのではないように思います。』『「本文中に記載がないことを導入部に書こうとするから」』と私に向かって言い放ちましたが、実はその段階で、すでに宇井木辺出夫氏自身が(違反だと主張する)本文にないことを導入部に堂々と書いていました(後述)。しかもこれは「冒頭がやたら重たい」「長い」と私から批判された後であって、気付かないことはありえず、宇井木辺出夫氏はそれでも改善なき差し戻しをしたのです。

宇井木辺出夫氏は「導入部の過剰な脚注の除去は、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#出典に沿った編集であり、本文に記載のない事項を導入部に記載する編集は同ガイドラインに反する編集だ、と思います。上でご理解いただけたでしょうか。」と言いましたが、それは間違いであり、全くのデタラメです。

Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)-出典には、まず「導入部も記事本文と同様に検証可能性および他の方針やガイドラインを遵守していなければなりません」と最初に書いてあるだけでなく、「著作物の引用や存命人物の伝記における論争のある話題などを含むいくつかのケースでは、一般性の程度や記述場所に関係なくその話題が言及されるたびに本文中に脚注を加えて出典を提示しなければなりません。これは、著作物を合法的に引用するために必要な著作権法上の要求や、存命中の人物の伝記に関するウィキメディア財団の方針などによって求められる要件であるため、これらのケースにおいては編集者間での合意形成によって出典の提示を不要とすることはできません。」と明記されています。

つまり、徳川義崇氏の記事は明確に存命中の人物の伝記であり、さらに宇井木辺出夫氏は編集合戦を起こそうとしていましたから、私が主張したように論争の対象でもあったわけですから、「記述場所に関係なく、その話題が言及されるたびに本文中に脚注を加えて出典を提示」しなくてはならないが正解だったのです。

これをとても詳しく指摘し、解説した後ですら、宇井木辺出夫氏はコメント欄に「WP:LSにより冒頭部の不要な出典除去」という、間違ったあるいは虚偽のガイドラインを用いて差し戻しました。この行為は全く弁解の余地の無いものだと言えると思います。誤用というよりも、明確にルールの悪用と言うしかありません。皆さんはどうお考えでしょうか?

宇井木辺出夫氏が主張する別の独自ルール(私論)に自分自身で違反した[編集]

宇井木辺出夫氏は、導入部は本文の要約であると思っていたようで、「本文中に記載がないことを導入部に書くことは、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に反してい」ると言ってますが、実際にはこれも間違いです。

Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)には「細々とした基本的な事実は別にして、重要な情報は以降の記事本文で取り上げないなら導入部でも触れないようにします。」とあるだけで、重要な情報についての指示にすぎず、(出典注を付けられた)肩書きのような細々とした基本的な事実はこれに明らかに含まれませんから、導入部にも書くことができます。実際、多くの記事ではこういった記述があります。事実であることを示すには出典を要するので、これはスタイルマニュアルを精読しなくても、通常の編集者は出典を付ける習慣と共に普通に身につけている理解です。

仮に宇井木辺出夫氏の私論がガイドラインにあったとしても、本文中に記載がないことを導入部に書けないと言っていた宇井木辺出夫氏本人が、編集で導入部にしかない記述を出典も付けないで長々と載せていたので、全く話にならない状態でした。それを”長い”と批判されると、「きちんと説明する必要があり、それにはそれなりの文字数が必要になることもあると思います。」と言ってるのですが、要約は? (消していけない)出典注を削除するほど冒頭部を簡潔にしようとしたのは? と、矛盾がボロボロとでてきます。

この一件は笑い話ではなく、宇井木辺出夫氏のルール悪用に対する考え方、行動を端的に表しています。要するに、その場その場で議論に有利になりそうならばどんな方便や屁理屈も使うということでしょう。極めて不誠実であると言わざる得ませんが、この宇井木辺出夫氏の編集姿勢を皆さんはどうお考えでしょうか?

「信頼できる情報源」かどうかを常識的感覚で判断すると主張したが、それが非常識だった[編集]

宇井木辺出夫氏は、金鯱叢書の編者の1人に徳川義崇氏の名前が載っていることが不満で書誌情報を削除をしようとしています。

「名義を冠しているだけ」の場合についても、よくご検討いただきたいです。通常の学会誌などであれば、en:Academic authorshipについて学会が判断している、と推測できますが、『金鯱叢書』は徳川美術館の機関紙であり、尾張徳川家の当主はそのスポンサーです。自主的にAuthorshipについて適切な判断ができているとの判断は成り立ちにくく、むしろ名義を冠していると推測するほうが自然だと思います。「そうだという明確な証拠」はなかなか見つからないと思いますが、WP:RSに規定されている「常識的感覚」により編集者が「信頼できる情報源」に基づく情報かを判断すべきことだと思います。

— --宇井木辺出夫(会話) 2016年12月23日 (金) 20:22 (UTC)

しかしISBN(日本図書コード)のような独立した二次資料の情報よりも信頼できる個人の感覚などあるでしょうか? そもそも、これは書誌情報の掲示に過ぎず、金鯱叢書を出典とするという話ではないので、信頼できる情報源かどうか吟味するとしたら、出典元である日本図書コードの信頼性が問題になります。ISBNと喧嘩しようという人を初めて見ましたが、書籍が書かれた裏事情とか考慮する必要も無いのですから、所詮、難癖であり、意味のない妨害編集であるように思われます。tail furryさんや伊佐坂安物さんらが主張されたように、どう考えても宇井木辺出夫氏の独自研究の域を出ないことは、「そうだという明確な証拠」と自身が明言しているように明きかなのです。にもかかわらず、3度も4度も差し戻しで削除した宇井木辺出夫氏の行為は弁解しうるものではないと考えますが、皆さんはどうお思いでしょうか?

自分に対する批判は何でも個人攻撃という扱いにする[編集]

ここまで読んだだけでも、宇井木辺出夫氏が無茶苦茶な編集行動をしてきていることは、皆さんにも理解できたのではないかと思いますが、他の利用者がそれを指摘する行為は、宇井木辺出夫氏にとっては個人攻撃になるらしいです。これも、ウィキペディアでの個人攻撃の定義が平易な日本語とは異なることを誤解した結果でしょう。言動を見る限り、宇井木辺出夫氏はウィキペディアの中立的な観点の定義(意味)についても同じように理解していません。

確かに、日常会話で使う意味と、ウィキペディア用語とで、意味が違うのに戸惑うのはわからんでもないですが、宇井木辺出夫氏は初心者というわけではなく、散々他の利用者を攻撃してきたわけですから、分かりませんが通用する時期はとうに過ぎているように思います。

ノート:徳川義崇を読んで頂ければわかりますが、すべての批判は、宇井木辺出夫氏が実際に行った編集行動や、実際にノートや会話で残している発言に対してです。宇井木辺出夫氏個人の内面などに対するものでありません。すべて根拠があります。繰り返し不当な差し戻し(リバート)するようなことがなければ、スタイルマニュアルに違反しているのに自分は従っていると嘘をつかなければ、出典を剥がさなければ、出典付き記述を削除しなければ、批判などしません。

ところが、言うに事欠いて、肩書き(名詞)の並び方を変えただけで意味が変わるとか、「。」「、」だけで句読点以外の意味があるとか、無茶苦茶な日本語の文法を言われても困るのです。日本図書コードの情報にある編者名を疑ったり、独自研究で「むしろ名義を冠していると推測するほうが自然だ」とか不可解な発言をすれば、常識を疑われて当然です。

『金鯱叢書』について、宇井木辺出夫氏は、tail furryさんが『「記事を削除させないために」付け足したもので「貴方の編集は、「何が何でも、削除は阻止してやる。でも削除が阻止さえされれば、あとは加筆する気なんて全然ないんだよ」という編集であるように感じました。中身のない記事を書いて何が楽しいのか、理解に苦しみます。』という暴言も吐いている。これは、後述する宇井木辺出夫氏がコメント改竄をした大和屋敷さんの発言よりも、遙かに攻撃的で、言ってないこと、見えないことに言及している点で、むしろこちらの方が宇井木辺出夫氏によるtail furryさんへの個人攻撃であると断定できます。露骨な二重基準を同じページの上と下とで示すというのはどういうことでしょう。

間違っていることは間違っているとはっきり伝える必要があります無理が通れば道理引っ込む、では、正常な議論にはなりません。ウィキペディアのスタイルマニュアル・ガイドライン・方針、日本語の文法、一般レベルの社会の常識にも従って貰わないと、ネット上であってもコミュニティは成り立ちません。宇井木辺出夫氏は厳しく批判されてしかるべきと思いますが、皆さんはどうお考えでしょうか?

スタイルマニュアルへの無理解[編集]

冒頭部・導入部に強いこだわりがあるのは別に悪いことではありませんが、読解のミス(または独特の曲解)で、スタイルマニュアルの指示に従わないのであれば、結果的には悪いことです。

宇井木辺出夫氏によるスタイルマニュアルの読解の間違いについては、ノート:徳川義崇で細かく解説しましたので、ここでは省略させてもらいますが、結果、宇井木辺出夫氏はガイドライン違反であり、間違ってるにもかかわらず他の編集者を批判するという例が度々みられます。

宇井木辺出夫氏はそれによって方々で揉め事を起こしており、相手の利用者から度々指摘されているのにもかかわらず納得しません。投稿ブロックの方針にある「利用者の行動のルールを、複数の別の利用者からたびたび説明されても理解しようとしない利用者は、コミュニティを消耗させる利用者として、理解できると思われるまでの期間ブロックされます。」の条文の通りにことをやっているのではないでしょうか? 5回も改善無き取り消しをするなどの行動をみると、各種方針の熟読期間が必要なケースではないでしょうか。皆さんはどう思われますでしょうか。

方針・ガイドラインにも何も基づかない強引な主張[編集]

「嫌だから使わない」自分の意見に反するものは荒しだと豪語[編集]

徳川義親の記事には400近い脚注があって、未整理でしたので、私が脚注を注釈と出典に分ける編集をしたところ、『両者を区分してnestするスタイルを「できない」「知らない」わけでなく、「読みづらいし、編集しづらくて嫌だから使わないようにしている」だけです』と言ってリバートしました。自分基準で「記事の品質が維持・改善されているとは言いがたい」と思うものは、Wikipedia:荒らしなんだと、暴言を吐きました。そもそもこれは不正な差し戻し(宇井木辺出夫氏はこれを2回も行った)であり、到底、納得できるものではありません。

宇井木辺出夫氏は「視点の移動回数が増えて読みづらくなる」「脚注の総数が増えてしま」うスマホで見づらくな」るの3点を理由として主張しますが、これらはガイドラインのどこにも書いてないような、一個人の私論にすぎません。(視点の移動回数が増えるは、そもそも間違いで、こういことは起こらないことを私が説明する必要がでてしまいました。)

注釈と出典との混在(約400個)を分ける編集についてコメント依頼をしたところ、誰1人として、宇井木辺出夫氏に賛同しませんでした。

いつまでも納得しない[編集]

徳川義親の記事で、注釈と出典を分離した後も宇井木辺出夫氏は未だに納得していません。概要節をもうけることについても、何週間も断続的に言いがかりをつけてきて、納得した様子はありません。

これは宇井木辺出夫氏の編集姿勢の特徴の1つで、いつまでも納得しない姿勢を堅持します。

出典付き記述の削除[編集]

宇井木辺出夫氏は、徳川義崇の記事の削除依頼を出した関係から「トクさん」の特筆性に執着していたからか、ミュージアムキャラクターアワードに難癖を付けて、それが存在すらしないような編集にして、出典付き記述の削除をしました。当然、宇井木辺出夫氏の議論なき出典付き記述の削除は、明白な違反行動です。

宇井木辺出夫氏はどうもトクさんがミュージアムキャラクターアワー2015で1位になったことが気に入らないようで、『「中立的な観点」を持って執筆された記事とは思えません。「美術館のキャラクターの中でランキングって、なんか狭い世界の話だな。本当に話題になっているのかな。」とか、考えたりしませんか?』という、ダイレクトに中立的な観点に違反する独自研究を述べるなど、敵意を示しています。意固地になっているところもあると思いますが、個人の感情を編集に持ち込むということはあってはなりません。皆さんはどう思われますでしょうか。

被依頼者のその他の問題行動[編集]

宇井木辺出夫氏の問題行動は、私が関わったもの以外にも多岐・多記事に渡っており、その中には私が把握できないものもあると思われますので、お気づきの方がいらっしゃれば、新たに節を足して、書いてください。

コメントの改竄(コメントアウト化)[編集]

ノート:スマラン慰安所事件で、大和屋敷さんのコメントを同意なく、コメントアウトして他の利用者から隠していますが、これはコメントの改竄であり、投稿ブロックを実施すべき場合に書かれている違反行為です。赤字がコメントアウトされた部分です。

  • 改名主旨に反対ですので反対意見として計算してください。宇井木辺出夫さんはガイドラインを適当にひっぱってこられてるだけでちゃんとお読みになっておられないのではないでしょうか。宇井木辺出夫氏の改名提案に賛同することはWikipedia:記事名の付け方に違反する編集に加担することになりますのでとても賛成できません。あらためて別の主旨で改名提案なさる場合には改めて検討させて頂きます。

--大和屋敷(会話) 2015年10月26日 (月) 19:44 (UTC)

宇井木辺出夫氏は、この後、Wikipedia:コメント依頼/大和屋敷 20160520で大和屋敷さんの発言を「個人攻撃を受け、会話ページで警告した」と言ってますが、大和屋敷さんの発言内容はまさに私が指摘したことと同じです。実際に間違っているわけですから、ガイドラインを理解していないという批判はまさに正しい指摘で、到底、個人攻撃ではありません。また大和屋敷さんへのコメント依頼でも賛同者は1人も現れておらず、結論は取り下げに近い形で終了しています。

同じコメント依頼で、JapaneseAさんも、発言内容が個人攻撃に該当しない点、コメントの改竄である点を批判していますが、宇井木辺出夫氏は、「他人のコメントを同意を得ずにノートに移すのは問題なしとする一方で、取り消し線を「改竄」として非難するというのは随分一方的な編集だなと感じたので、コメント依頼をしようと思いましたが、既に立項されていたWikipedia:コメント依頼/JapaneseA 20160612を読んだところ、あまり気にしても仕方なさそうだと思いましたので、他の方のコメントを待ちたいと思います。」と言っています。

・・・ルールも何もないという感じですが、 そもそも<del>...</del>は使われていません。なぜここで宇井木辺出夫氏がすぐばれる嘘を付いたのか理解に苦しむところですが、コメントアウトは発言者の同意や自発的行動なしに、安易にやるものではありません。JapaneseAさんに対するコメント依頼をするという脅迫もしており、宇井木辺出夫氏の議論参加者に対する態度は非常に悪く、そういう態度のありかたこそが個人攻撃が禁止する内容であることを理解していません。

しかも内容が赤字で示したように、ノートでの議論内容への批判であって、個人の内面の誹謗というようなものでもないのです。誰が見てもウィキペディアの個人攻撃にはあたらず、第三者からみると、都合の悪い事実を隠蔽したようにしか見えず、他者の署名付きコメントを軽視して扱う傾向が顕著です。大和屋敷さんの発言に感情的な部分はなく、宇井木辺出夫氏の過剰反応というのが妥当です。宇井木辺出夫氏自身の前述の発言、この発言など様々なものと比しても、大和屋敷さんの発言が個人攻撃に該当しないのは明らかです。むしろそれが成立するなら、宇井木辺出夫氏の後の発言がJapaneseAさんを決めつける個人攻撃でしょう。宇井木辺出夫氏のtail furryさんへの発言も個人攻撃でしょう。自分を棚に上げることが甚だしいと言わざる得ません。

このように宇井木辺出夫氏についてはウィキペディアのルールに関する無知が問題の原因になっている例が多く散見されます

依頼者・Quark Logoのコメント[編集]

返信 (宇井木辺出夫氏宛) - 宇井木辺出夫氏自身がIP:240f:7a:c86b:1:a996:4ee1:5dd1:da9d会話 / 投稿記録 / 記録 / WhoisとIP:240f:7a:c86b:1:4815:bc6f:dca0:9a9e会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisを使って[11][12]のような編集をしています。善意で解釈してもクールダウン期間が必要なほど極端に冷静さを欠いているとなるし、平素から宇井木辺出夫氏は密かにIPでも投稿しているのではないかとの疑念が生じる疑わしい行動でもあります。自分がやっているから他人もやっているだろうと思っているのではないのでしょうか。普通、こんな間違いを連発しません。

結局のところ、宇井木辺出夫氏はあらゆる機会、あらゆる手段を使って、他の利用者を攻撃しているだけで、この本コメント依頼で指摘されているのような自らの行動を内省する気はさらさらないのだなと思わざる得ません。

宇井木辺出夫氏のすべての行動がルール悪用の延長線上にあると思わざる得ませんから、内省する気がないなら、第三者に裁定を委ねるしかないように思われます。--Quark Logo会話2016年12月26日 (月) 21:59 (UTC)[返信]

返信 (皆様宛)
皆様から意見を集約すると、6名(IPユーザー2名含む)がブロックやむなし、全員が宇井木辺出夫氏に批判的のようです。
被依頼者・宇井木辺出夫氏の方からはノートでもここでも特に反論してきておらず、合意なき移動強行など被害を広げるような行動を続けておられるようです。コメント依頼から約1週間後が年明けになりますから、年明けまで待ってコメント依頼を締め切らせていただきたいと思います。まだ発言されてない方はお早めにお願いします。
そして宇井木辺出夫氏については、投稿ブロックの方針にある不適切な行動が「悪戯・荒らし・破壊行為」「過剰な差し戻し」「存命人物に関する不適切な編集」「内容の無差別な除去」「コミュニティを消耗させる利用者」の5点も該当していると考えられます。--Quark Logo会話2016年12月27日 (火) 16:08 (UTC)[返信]

宇井木辺出夫さんのコメント[編集]

コメントをされている中に、Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック/ソックパペット#ログインユーザーにおいて「ブロック破り(というか正体)」の可能性を指摘されている利用者:Husa会話 / 投稿記録 / 記録さんがいらっしゃるので、せっかくお集まりいただいた各位におかれましては、まずHusaさんがWikipedia:多重アカウント#副アカウントの不適切な使用(多重アカウント使用が禁止される行為)をしているかどうか、についてご判断・ご意見いただけないでしょうか。先にそちらの問題を解決しないと、議論らしい議論ができないと思っております。--宇井木辺出夫会話2016年12月26日 (月) 15:17 (UTC)[返信]

第三者様のコメント[編集]

  • コメント 被依頼者の方針無理解は、今日始まったことでもなく、被依頼者会話ページでも多々指摘されているところです。都度、方針文書・ガイドラインをよく読み理解するよう、私を含む他利用者から被依頼者は求められていますが、ここまでの行動は、それら他利用者からの働きかけを否定するものでしかありません。ここまで無理解や曲解が著しいと、本人の能力不足で理解できないのではなく、理解する意思がないと見られても致し方ないでしょう。被依頼者が提出したコメント依頼でも書きましたが、これまでの事例から、被依頼者にとって「個人攻撃」とは、「Wikipedia:個人攻撃はしない」の趣旨に沿ったものではなく、「被依頼者の非を指摘する行為」、被依頼者にとって「荒らし」とは「Wikipedia:荒らし」で示されたものではなく、「被依頼者に都合の悪い(被依頼者の意に沿わない)編集行為」を指すものと判断できます。もはや、被依頼者に対し長期の投稿ブロックの実施を検討すべき時期が来たと私は考えます。--森藍亭会話2016年12月24日 (土) 12:12 (UTC)[返信]
    • コメント 被依頼者によりコメントが行われました[13]。「Wikipedia:コメント依頼/Quark Logo」で、「コメント依頼の趣旨から外れている」と他利用者を批難する[14]一方、当該コメントで本コメント依頼とは全く関係のない話題を持ち出すとは、言動が矛盾していますね。「Wikipedia:コメント依頼/Quark Logo」でも指摘しましたが、これらのコメントは、被依頼者に対する批判をかわすための「論理のすり替え」であると判断します。--森藍亭会話2016年12月26日 (月) 16:40 (UTC)[返信]
  • コメント 以前より方針無理解が著しい方だと思っていました。自身を批判されたら「個人攻撃だ」と言い出して、コメント依頼提出にブロック依頼[15]荒らし呼ばわり、根拠の薄いソックパペット呼ばわり[16]。「不適切な批判」を「個人攻撃」だと言うのであればともかく、「適切な批判」を「個人攻撃」では、どうしようもありません。私は暴言を理由とした長期ブロックには反対のスタンスですが、被依頼者の発言は「暴言」というレベルを超えて「意趣返し」と判断されても仕方ないものでしょう。なお、私に対しての発言は脅迫(正確には恫喝ですね)でも個人攻撃でもない、単なる「不適切な批判」と判断しています。--JapaneseA会話2016年12月24日 (土) 12:22 (UTC)[返信]
  • コメント すでに、Wikipedia:コメント依頼/Quark Logoが宇井木辺出夫氏に関するコメント依頼のような役割を果たしており、そちらでコメント済みの件については、上記依頼文で言い尽くされているということもあり割愛します。第三者のコメントについては、すでに、Wikipedia:コメント依頼/Quark Logoで的確な指摘が相次いでいると考えておりますが、こちらのコメント依頼は、宇井木辺出夫氏がどのようにコメントされるか、という点において興味深いものがあると考えます。これだけ詳細でありますと、初見の第三者にとっては読解に時間がかかるとは思いますが、宇井木辺出夫氏にとっては自身の行動を省みる大きな助けとなるものと考えます。これでも宇井木辺出夫氏がなんら改善の意志を見せないようであれば、次の段階に移行するしかないと考えます。 --Husa会話2016年12月24日 (土) 12:26 (UTC)[返信]
  • コメント ご本人がルール、ルールと仰っている割には一番ルールを無視して傍若無人に振る舞い、非難や指摘は個人攻撃であるとし一顧だにせず逆に指摘者への攻撃材料とする困った方です。ここまでの傍若無人な振る舞いをみれば、最早ルールを順守するという気概に欠けた問題利用者とみなす他なく、ご本人の適用する「個人的ルール」によって記事が破壊され続けることを考えるのであれば、これまでの行為の総括と反省、およびルールを順守いただけるという決意を述べられるまではご参加をご遠慮いただくほかないでしょう。--220.220.117.12 2016年12月24日 (土) 12:42 (UTC)[返信]
  • コメント 被依頼者の行動は「方針文書の趣旨を理解できていないため都合の良いところだけ持ってくる」系の行動様式ですかね、この類の行動をしてしまう方々は大抵は根本的なところで話が通じないので最終的にはブロックされる場合が多いようです。もう少し各種方針文書を丁寧に読み、その趣旨を理解できるよう努めて頂くほかなく、各人がある程度共通して理解しているラインに行きつけない方は残念ながらwikipediaで活動するには向いていないとしか言えません。
あとこの依頼について、相手の行動が悪い話を聞かないこの行動が悪いコメント改竄だルールに無知だルールを悪用の確信犯だ、そこまで揃えて問題の解決に各種方針の熟読期間が必要と考えているなら出すべきはコメント依頼ではなくブロック依頼です。この「相手の誤りを正す」ためではなく「敵」に「勝つ」ための方策ともとれるコメント依頼は好ましくないでしょう。--202.224.70.151 2016年12月24日 (土) 15:14 (UTC)[返信]
自己の編集の意にそぐわない他者の編集を「荒らし」呼ばわりすることは、Wikipedia:荒らしの定義を熟読しての発言とは思えません。また、宇井木辺出夫さんは他者の会話ページにて「お知らせ」・「お願い」をもって、ルールのご説明・ご教示をして回っているのですが、逆に紹介したルールによりご自分のご編集・ご発言の問題点が指摘されており、本末転倒なお話は少なくありません。そして、徳川義親徳川義崇Category‐ノート:BC級戦犯、そしてノート:後藤新平では再構築されたつぎはぎだらけのご自分のルールをもって議論を構築していると考えざるを得ません。--湖紫陽会話) 2016年12月25日 (日) 11:50 (UTC) 編集・追記 --湖紫陽会話2016年12月26日 (月) 02:00 (UTC)[返信]
  • コメント 追記 Quark Logoさんによってあげられた、被依頼者の問題である「悪戯・荒らし・破壊行為」「過剰な差し戻し」「存命人物に関する不適切な編集」「内容の無差別な除去」「コミュニティを消耗させる利用者」について、徳川義崇については、1点目、2点目、4点目に該当するものと判断し保護依頼を提出し、現在「2017年1月7日まで編集保護」となっています。
また、「姫街道」を「姫街道 (曖昧さ回避)‎」への移動及び削除及び移動依頼については、議論に対する誤解があったとしても、コメント依頼が提出されている現状では、なおさら慎重に議論を進め・他者の意見を確認した上で行うべき作業です。それを無視している、あるいは怠っていると言わざるを得ません。加えて、現在、削除依頼が提出されている「トクさん (キャラクター)」についても、議論における合意形成を求めず、記事の分割・新規立項されたものになります。
これら、「徳川義崇」における議論を無視した編集作業、「姫街道」における一連の移動及び削除行為、「トクさん (キャラクター)」における新規立項は5点目「コミュニティを消耗させる利用者」と判断できるものと言えます。--湖紫陽会話2016年12月28日 (水) 02:05 (UTC)[返信]
  • コメント 宇井木辺出夫氏のコメントに対して。Husa氏のソックパペット疑惑を解決しないと「議論らしい議論ができない」とのことですが、それは「Husa氏がソックパペットだった場合、その論点は考慮に値しない」ということでしょうか。もしそうである場合、人身攻撃であり、誤りであると言えます。Husa氏がソックパペットかどうかはその論点が正しいかとは関係ありませんし、Husa氏以外の利用者も似た主張をした者がいます。それとも、ここまでコメントした利用者全員がソックパペットである、と主張なさるつもりでしょうか。--ネイ会話2016年12月27日 (火) 11:29 (UTC)[返信]

投稿ブロック依頼の提出[編集]

複数の方からご指摘のあった問題点が改善される見込みはなく、被依頼者の言動は悪化の一途をたどっていると見られるため、Wikipedia:投稿ブロック依頼/宇井木辺出夫を提出いたしました。--市井の人会話2016年12月29日 (木) 01:03 (UTC)[返信]

まとめ[編集]

宇井木辺出夫氏から、具体的な返答はいただけませんでしたが、皆さんからのコメントを多くいただき、趣旨は理解できたものと期待します。すでに被依頼者に対してブロック依頼が出ており、皆さんからコメントも出尽くしたと思われますので、このコメント依頼は終了させていただきます。コメントを頂いた方々には大変ありがとうございました。

終了 今回のコメント依頼はこれで終了とさせていただきます。--Quark Logo会話2017年1月1日 (日) 04:21 (UTC)[返信]