ノート:山縣有朋
この「山縣有朋」には下記のような選考・審査があります。有用なアイデアが残されているかもしれません。この記事を編集される方は一度ご参照下さい。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2018年10月11日 | 良質な記事の選考 | 不通過 |
2. | 2019年5月14日 | 良質な記事の選考 | 不通過 |
- 2008年末までの議論:2008-12-18T00:45:02の版
なぜ、山県有朋ではなく山縣有朋と表記するのでしょうか
[編集]過去の履歴を見てみると、「戸籍名だから」とて、山県有朋から山縣有朋へ、項目の表記を変更しています[1]。これは、戦後の近代史研究における慣例とは別のやり方です。いまの時代、人名辞典や歴史辞典では、「常用漢字があるものは常用漢字で表記し、常用漢字以外の文字は正字体で表記する」というのが通例です。
ウイキペディアだけが、そして、ウイキペディアのなかで、「山縣有朋」の項目だけが、戸籍名に準拠するからとて、常用漢字体がある場合でも正字での表記としています。これでよいのでしょうか?。
山県の場合、子孫の方が財団を1999年に作り「財団法人山縣有朋記念館」と表記したため、存命人物が「わたくしは山縣です」と言ってきたような形になっているという特殊事情があるのは確かですが。遺族から史料の提供を受けた資料集は『山縣有朋関係文書』とし、論文集は『山県有朋と近代日本』と区別したりしています。
この件について、皆様、どのようにお考えか伺いたいです。--rshiba 2009年8月31日 (月) 15:41 (UTC)
- 正字による記事名に関する議論がWikipedia‐ノート:記事名の付け方/過去ログ10#日本の歴史人物名の漢字表記にあります。--miya(会話) 2014年2月18日 (火) 07:01 (UTC)
三郎有稔?有稔?どっち?
[編集]父親の名前が、題名に挙げた2通り出てくるのですが、「三郎有稔」で統一するわけにはいかないのでしょうか?
上記のHPでは、「三郎有稔」となっております。--210.146.149.76 2015年8月13日 (木) 05:19 (UTC)
ご報告ですが、「三郎有稔」で統一いたしました(参照)。--222.228.8.3 2015年8月21日 (金) 05:53 (UTC)
要出典の参考に
[編集]評価節の「周囲の評価」で
- 「山縣は面倒見が良く、一度世話したものは死ぬまで面倒を見る。結果、山縣には私党ができる。一方、伊藤はそのような事はしない。信奉者が増えるだけで是が非でも伊藤の為に働こうとする者はいなかった。しかし伊藤はそれを持って自己の誇りとしていた」
が「要出典」タグが貼られています。これにつきまして、出典そのものではありませんが、参考になるかと思われるサイトをみつけましたのでそのリンクおよびそこに挙げられていた資料の名前を記しておきます。
- サイト : 萩LOVE 山縣有朋
- 資料の名前 : 『松下村塾 吉田松陰と塾生たち』(編集 : 萩博物館 発行者 : 松下村塾開塾150年記念志出版委員会)
--210.146.149.76 2015年8月13日 (木) 05:50 (UTC)
薨去
[編集]山県は従一位に叙せらているので、「薨去」で正しかったようです。失礼いたしました。4th protocol(会話) 2019年2月10日 (日) 12:43 (UTC)
冒頭定義の武士
[編集]利用者‐会話:坂牧源太の方でも議論中だったのですが、明治以降に特筆性がある主要な活動期がある人物の記事について最初の定義づけである第一文の冒頭定義に武士という定義を付ける坂牧源太氏の編集について除去すべきと考えます。当記事の人物も特筆性があるといえる主要な活動が明治以降の政治家や軍人としての経歴であり、主要といえない経歴が冒頭定義、それも主要な経歴を差し置く形で真っ先に来ることは理解を分かりにくくし、可読性を損なう恐れがあります。若年期に武士(というか当記事の人物は足軽ですが)であることは概要においても本文においても記述されていることであり、それでは不十分なのでしょうか。--Tronbone77(会話) 2021年9月15日 (水) 00:57 (UTC) 編集--Tronbone77(会話) 2021年9月15日 (水) 01:05 (UTC)
坂牧源太氏がこの記事以外も広範囲に編集してしまっておられるようなのでプロジェクト‐ノート:日本史#明治期以降に特筆性のある経歴のある人物の冒頭定義の武士についての方で議論を起こしたいと思いますので参加よろしくお願いいたします。--Tronbone77(会話) 2021年9月15日 (水) 01:33 (UTC)
直近の利用者:坂牧源太(会話 / 投稿記録 / 記録)氏の冒頭定義に武士を加える編集に付き差し戻しを提案します。冒頭定義で武士と定義することの問題点の議論についてはプロジェクト‐ノート:日本史の方をご参照いただけると幸いですが、そもそも当該編集を行ったIP:2400:4051:85A0:2F10:0:0:0:0/64(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)=利用者:坂牧源太(会話 / 投稿記録 / 記録)氏は合意形成を放棄して一方的に冒頭部に武士を加える編集を行うことで投稿ブロックが繰り返されている人物であるため、合意形成があるまで彼の編集はひとまず削除されるべきと考えます。--Tronbone77(会話) 2021年9月15日 (水) 04:59 (UTC)
- 差し戻しました。再び合意形成前に同じ編集を行わないようお願いします--Tronbone77(会話) 2021年9月22日 (水) 00:27 (UTC)
タオルで体を拭き…
[編集]「私生活」の節に「午前6時の起床後はタオルで体を拭き」とありますが、乾布摩擦のことでしょうか?タオルで体を拭いただけだとわざわざ記すようなことでもないと思うのですが原典ではどうなっていたのでしょう。朝風呂で濡れた体を拭いただけなのか健康法としてタオルでなのか。ただ、乾布摩擦の記事によると「太平洋戦争前に園や小学校に導入されたのが始まり」とあるので明治時代の山縣さんには関係ないかな--代言人(話/歴) 2021年9月23日 (木) 22:48 (UTC)