ノート:山縣有朋

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なぜ、山県有朋ではなく山縣有朋と表記するのでしょうか[編集]

過去の履歴を見てみると、「戸籍名だから」とて、山県有朋から山縣有朋へ、項目の表記を変更しています[1]。これは、戦後の近代史研究における慣例とは別のやり方です。いまの時代、人名辞典や歴史辞典では、「常用漢字があるものは常用漢字で表記し、常用漢字以外の文字は正字体で表記する」というのが通例です。

ウイキペディアだけが、そして、ウイキペディアのなかで、「山縣有朋」の項目だけが、戸籍名に準拠するからとて、常用漢字体がある場合でも正字での表記としています。これでよいのでしょうか?。

山県の場合、子孫の方が財団を1999年に作り「財団法人山縣有朋記念館」と表記したため、存命人物が「わたくしは山縣です」と言ってきたような形になっているという特殊事情があるのは確かですが。遺族から史料の提供を受けた資料集は『山縣有朋関係文書』とし、論文集は『山県有朋と近代日本』と区別したりしています。

この件について、皆様、どのようにお考えか伺いたいです。--rshiba 2009年8月31日 (月) 15:41 (UTC)

三郎有稔?有稔?どっち?[編集]

父親の名前が、題名に挙げた2通り出てくるのですが、「三郎有稔」で統一するわけにはいかないのでしょうか?

山口県萩市ホームページ 山県有朋

上記のHPでは、「三郎有稔」となっております。--210.146.149.76 2015年8月13日 (木) 05:19 (UTC)


ご報告ですが、「三郎有稔」で統一いたしました(参照)。--222.228.8.3 2015年8月21日 (金) 05:53 (UTC)

要出典の参考に[編集]

評価節の「周囲の評価」で

「山縣は面倒見が良く、一度世話したものは死ぬまで面倒を見る。結果、山縣には私党ができる。一方、伊藤はそのような事はしない。信奉者が増えるだけで是が非でも伊藤の為に働こうとする者はいなかった。しかし伊藤はそれを持って自己の誇りとしていた」

が「要出典」タグが貼られています。これにつきまして、出典そのものではありませんが、参考になるかと思われるサイトをみつけましたのでそのリンクおよびそこに挙げられていた資料の名前を記しておきます。

サイト : 萩LOVE 山縣有朋
資料の名前 : 『松下村塾 吉田松陰と塾生たち』(編集 : 萩博物館 発行者 : 松下村塾開塾150年記念志出版委員会)

--210.146.149.76 2015年8月13日 (木) 05:50 (UTC)

薨去[編集]

山県は従一位に叙せらているので、「薨去」で正しかったようです。失礼いたしました。4th protocol会話) 2019年2月10日 (日) 12:43 (UTC)