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ギーラーン共和国の建国を報じる6月27日付『ロースタ』。
見出しにロシア語で「赤色イラン」、下段にペルシア語で「ミールザー・クーチェク万歳」とある。

イラン・ソビエト社会主義共和国(イラン・ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこく、ペルシア語: جمهوری شوروی سوسیالیستی ایران‎)、通称ギーラーン共和国(ギーラーンきょうわこく、جمهوری گیلان)は、1920年から翌1921年まで、イラン北部のギーラーン州に存在した社会主義国家である。

当初の政権は、1920年6月に赤軍の庇護のもと、イラン共産党ペルシア語版民族主義的なジャンギャリー運動ペルシア語版の連立により発足した。しかし、ほどなく左派のクーデターにより連立は崩れ、政権は強固な共産革命路線へと移った。ところが、時を同じくしてモスクワボリシェヴィキ党中央は、東方の情勢安定化のためにテヘラン政府との融和を模索するようになった。党中央から切り捨てられる形となったイラン共産党は、なおも革命路線の堅持を掲げて政権の再統一を図った。だが、1921年11月、テヘラン政府軍による掃討作戦によってギーラーン政権は壊滅した。