IMSAI 8080

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
IMSAI 8080
IMSAI 8080-IMG 1477.jpg
製造元 IMSアソシエイツ
(後にIMSAIマニュファクチャリングに改称)
発売日 1975年12月(44年前) (1975-12[1]
販売終了日 1978年 (1978)
OS CP/M, IMDOS
BASIC, FORTRAN
CPU Intel 8080/8085A @ 2 MHz/3 MHz
メモリ 256/4KB on a 4K board (SRAM), 16K, 32K, 64K DRAM
ストレージ オプションでデータレコーダまたは514"・8" フロッピードライブ
ハードドライブ[2]
ウェブサイト www.imsai.net
IMSAI 8080のフロントパネル
IMSAI 8080
フロッピーディスクユニット

IMSAI 8080は、1975年12月に発売された、Intel 8080(後に8085)とS-100バスを使用した、初期のマイクロコンピュータである[1]。それ以前に発売されたMITS社のAltair 8800との完全互換性を有するマイクロコンピュータであり、世界初のマイクロコンピュータの互換機であると考えられている。IMSアソシエイツ社(後にIMSAIマニュファクチャリングに改称)が開発・製造・販売を行った。1975年から1978年にかけて、合計で17,000~20,000台が生産された。

概要[編集]

組立てキットで完成品もあったコンピュータで、CPUはAltairと同じ2MHz駆動の8080でありながら、基板の設計や筐体の組み付け、デザインはより洗練され、電源の容量にも余裕があり、フロントパネルのスイッチ類にもAltairより視認しやすく信頼性の高いものが使われている。

また、内部のS-100バススロットも最大で22基搭載しており、メモリカード(当時のメモリは高価であり、ホビイストや学生などの経済的に余裕のない個人ユーザーは、8KBや16KB単位で増設することが多かった)やSIO(シリアルポート)、PIO(パラレルポート)、FDD、CMT(テープ)、ビデオカード等の増設にも耐えたこと、またこれらのペリフェラル類が最初からオプションとして揃っていることなど、CP/M環境を組み立てるコアとしてはAltairよりも評価が高く、Altairの欠点を潰した「Altairの本来あるべき姿」といった評価もあった。

歴史[編集]

1972年5月、ウィリアム・ミラードは、自宅を事務所として、「IMSアソシエイツ」の社名でコンピュータに関する個人事業を開始した。1973年には会社組織とした。ミラードはすぐに事業資金を調達し、いくつかの契約を獲得したが、その全てがソフトウェアの契約だった。

1974年、IMSは、ゼネラルモーターズの自動車販売店向けに1台で仕事を完結できる「ワークステーション・システム」を求めていた顧客からの連絡を受けた。IMSは、端末、小型コンピュータ、プリンタ、特殊なソフトウェアを含むシステムを計画した。このワークステーションは、ハードディスクドライブに共通のアクセス権を持ち、小型コンピュータで制御されることになっていた。結局、この製品開発は中止された。

ミラードとチーフエンジニアのジョー・キリアンは、マイクロプロセッサに着目した。インテルが発表した8080は、IMSアソシエイツが最初に導入した4004と比較すると「本物のコンピュータ」のように見えた。IMSAI 8080は、既存のAltair 8800のS-100バスを使って本格的に開発が進められ、1975年10月には『ポピュラーエレクトロニクス』誌に広告が掲載され、好評を博した[3]

IMSは1975年12月16日に最初のIMSAI 8080キットを出荷したが、その後、組み立て済み製品の販売へと移行した[4]。コンサルティング会社ではなく製造会社になったことから、1976年に、IMSAIマニュファクチャリングに社名を変更した。

1977年、IMSAIのマーケティングディレクター・セイモア・I・ルービンスタイン英語版は、CP/Mバージョン1.3をIMSAI 8080で実行する権利のために、ゲイリー・キルドールに25,000ドルを支払った[5][6][7][8]。他のメーカーもそれに続き、CP/Mは最終的に8ビットマイクロコンピュータにおける事実上の標準のOSとなった。

1979年10月までにIMSAI社は倒産した。「IMSAI」の商標は、IMSアソシエイツの初期の従業員だったトッド・フィッシャーとナンシー・フライタスによって取得され、フィッシャー・フライタス社の一部門としてIMSAIの名前でコンピュータの製造が続けられた。初期のIMSAIシステムのサポートは、同社によって継続されている[9]

VDPシリーズ[編集]

1977-1979年のIMSAI VDP-40。Intel 8085、32KB/64kb RAM、2x FDD 80/160kb、S100バス。2KBモニタROM、2KBビデオROM

1977年半ば、IMSAIはIntel 8085をベースにしたVDPシリーズを発表した。1978年1月の製品説明によると、32Kまたは64Kのメモリを搭載し、9インチ(VDP4xレンジ)または12インチ(VDP8xレンジ)のビデオディスプレイを搭載し、どちらかを選択できた。例えば、VDP-40は、5-1/4インチのディスクドライブが2基、9インチ40桁表示のディスプレイ、2K ROMモニターを1つの筐体内に搭載していた。内蔵キーボードは、8035マイクロプロセッサとメインボードへのシリアルインターフェースを備えていた。VIO-Cビデオボードには、2KファームウェアROM、256文字の2Kキャラクタジェネレータリードオンリーメモリ(ROM)、2Kリフレッシュメモリが搭載されていた。

1978年1月に、VDP80/1050は10,920ドル、VDP-40/64は7,466ドルで発売された。

大衆文化におけるIMSAI 8080[編集]

1983年の映画『ウォー・ゲーム』で主人公が使用したハッキング・ツールは、IMSAI 8080に音響カプラモデムを接続していた[10]。ただし、原作ではAltair 8800だった。

アーネスト・クラインによる2011年の小説"Ready Player One"(邦題『ゲームウォーズ』)では、終盤の重要なアイテムとしてIMSAI 8080が登場する。

関連項目[編集]

関連文献[編集]

  • THE HISTORY OF IMSAI: The Path to Excellence, produced 1978
  • Fire in the Valley: The Making of the Personal Computer (2nd ed.). New York, USA: McGraw-Hill. (2000). ISBN 0-07-135892-7. https://archive.org/details/fireinvalleymaki00frei_0 

脚注[編集]

  1. ^ a b THE HISTORY OF IMSAI- The Path to Excellence, IMSAI of Fischer-Freitas Company (original text 1978)
  2. ^ Press Release: IMSAI Announces Hard Disk
  3. ^ IMS Associates, Inc. (October 1975). “IMASI and Altair Owners”. Popular Electronics (Ziff Davis) 8 (4): 110.  Advertisement: IMSAI 8080 computer with 1K of RAM. $439 kit, $621 assembled.
  4. ^ Littman, Jonathan (1987). Once Upon a Time in ComputerLand: The Amazing, Billion-Dollar Tale of Bill Millard. Los Angeles: Price Stern Sloan. pp. 18. ISBN 0-89586-502-5  "Later that day, December 16 [1975], United Parcel Service picked up the first shipment of 50 IMS computer kits for delivery to customers."
  5. ^ Hard Drive: Bill Gates and the Making of the Microsoft Empire. New York: HarperBusiness. (1993). ISBN 0-88730-629-2. https://archive.org/details/harddrivebillgat00wall 
  6. ^ The History of CP/M, The Evolution of an Industry: One Person's Viewpoint”. Dr. Dobb's Journal. pp. 6–7 (1980年1月). 2013年6月3日閲覧。 “[…] The first commercial licensing of CP/M took place in 1975 with contracts between Digital Systems and Omron of America for use in their intelligent terminal, and with Lawrence Livermore Laboratories where CP/M was used to monitor programs in the Octopus network. Little attention was paid to CP/M for about a year. In my spare time, I worked to improve overall facilities […] By this time, CP/M had been adapted for four different controllers. […] In 1976, Glenn Ewing approached me with a problem: Imsai, Incorporated, for whom Glenn consulted, had shipped a large number of disk subsystems with a promise that an operating system would follow. I was somewhat reluctant to adapt CP/M to yet another controller, and thus the notion of a separated Basic I/O System (BIOS) evolved. In principle, the hardware dependent portions of CP/M were concentrated in the BIOS, thus allowing Glenn, or anyone else, to adapt CP/M to the Imsai equipment. Imsai was subsequently licensed to distribute CP/M version 1.3, which eventually evolved into an operating system called IMDOS. […]”
  7. ^ In His Own Words: Gary Kildall”. Remarkable People. Computer History Museum (2016年8月2日). 2020年5月22日閲覧。
  8. ^ Computer Connections: People, Places, and Events in the Evolution of the Personal Computer Industry”. Kildall Family (2016年8月2日). 2020年5月22日閲覧。
  9. ^ Company: IMS Associates, Inc. (IMSAI)”. Computerhistory.org. 2008年10月27日閲覧。
  10. ^ The "Wargames IMSAI"”. imsai.net. 2017年12月28日閲覧。

外部リンク[編集]