馬士英
馬 士英(ば しえい、1596年 - 1647年)は明末期の政治家。字は沖然、号は瑶草。明史巻308に伝がある(奸臣伝に収録されている)。
略歴
1619年(万暦47年)の進士。地方官を歴任し崇禎年間に贈賄の罪で失脚し南京に寓居するが後に復活し鳳陽総督を務めた。人脈としては阮大鋮と交友があり、魏忠賢ら宦官勢力に近い人物だった。李自成軍の北京攻略で崇禎帝が自殺すると、南京で福王朱由崧を擁立して皇帝とした(南明)。福王擁立に際して異論を抑えた功績で重く用いられ、内閣大学士に就任し、政務に無関心な弘光帝に代わって政治を掌握し、朝廷は賞罰乱れ大いに混乱した。1645年に清軍が南京を落とすと逃亡するが、捕らえられ処刑された。
参考文献
- 京都大学文学部東洋史研究室「改訂増補 東洋史辞典」1967年「馬士英」