生存権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。133.206.56.32 (会話) による 2021年2月3日 (水) 02:12個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎定義)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

定義

  • 日本においては生存権とは、日本国憲法第25条に規定される「国民が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」である。社会権の一種。
  • 諸外国の法律上、英語: right to lifeフランス語: droit à la vieドイツ語: Recht auf Lebenと呼ばれる権利は、日本におけるそれとは異なる。「Right to life」とは、人らしく生活する権利ではなく、「生命に対する権利」「生存そのものに対する権利」を意味する。人工中絶や、死刑制度の是非などに関連して議論される。また人間が対象であるとも限らず、動物保護問題にも関係する。

国際条約

国際条約における生存権に関する規定は世界人権宣言前文、国際人権規約A規約)第9条及び第11条、欧州連合基本権憲章第34条などにみられる[1]

国際人権規約

国際人権規約(A規約)は1966年に国連総会で採択された[1]

国際人権規約(A規約)第11条[1]
第1項
この規約の締約国は、自己及びその家族のための相当な食糧、衣類及び住居を内容とする相当な生活水準についての並びに生活条件の不断の改善についてのすべての者の権利を認める。締約国は、この権利の実現を確保するために適当な措置をとり、このためには、自由な合意に基づく国際協力が極めて重要であることを認める。

欧州連合基本権憲章

欧州連合基本権憲章は2000年に採択された[1]

欧州連合基本権憲章第34条[1]
第3項
社会からの排斥及び貧困と闘うために、連合は、共同体法ならびに国内の法令および慣行が定める規則に従い、十分な資力を持たないすべての人に品性ある生活を確保するように、社会扶助および住宅支援に対する権利を認め、尊重する。

日本

大日本帝国憲法(明治憲法)

大日本帝国憲法(明治憲法)にはこの種の社会権規定は存在せず、生存配慮はもっぱら行政政策に委ねられていた[2]。なお、法概念としては生存権は明治憲法下でアントン・メンガーの生存権理論が導入されている[3]

日本国憲法

日本国憲法は生存権について第25条に規定を置いている。

日本国憲法第25条
第1項
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
第2項
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

生存権保障は、GHQ草案にはなかったが、社会政策学者出身の衆議院議員森戸辰男による発案で、第25条として盛り込んだ[4]

体系的位置

日本国憲法制定当時の憲法学説はドイツのゲオルグ・イェリネックの公権論の影響を受けて、憲法25条で保障する権利について「受益権」や「国務要求権」として分類していた[5]。しかし、その後、学説では、憲法25条から憲法28条までの権利を「社会権」などの表現で一括して捉え、伝統的な自由権と区別するとともに他方で受益権や国務請求権とも区別されるようになった[5]

憲法25条の法的性格

憲法第25条の法的性格について、従来の学説には、プログラム規定説、抽象的権利説、具体的権利説がみられる。

  • プログラム規定説
    • プログラム規定説とは、憲法25条の規定は裁判上請求できる具体的権利を国民に与えたものではなく、国に対してそれを立法によって具体化する政治的・道徳的義務を課したものであるとする学説である[6]
    • プログラム規定説の論拠としては、1.日本国憲法が予定する経済体制は資本主義体制であり個人による生活維持がまず期待されており社会主義体制における権利の性格とは根本的に異なるものであること、2.国への請求を具体的に認めるためには憲法第17条のように憲法上その趣旨が明確にされていなければならないが憲法は生存権保障の方法や手続などについて具体的な規定を有していないこと、3.生存権の具体的実現には予算を必ず伴うが予算配分は国の財政政策の問題として政府の裁量に委ねられていることなどが挙げられている[7]
    • プログラム規定の考え方はヴァイマル憲法下のドイツの理論の下に形成されたものである[7]。しかし、憲法25条についてのプログラム規定説は、自由権的側面については国に対してのみならず私人間においても裁判規範としての法的効力を認めており、請求権的側面についても憲法第25条が下位にある法律の解釈上の基準となることを認めている[7][8]。したがって、文字通りのプログラム規定ではなく、このような用語を使用することは議論を混乱させ問題点を不明瞭にさせるもので適当でないという指摘がある[9]
  • 抽象的権利説
    • 抽象的権利説とは、法的権利性を否定するプログラム規定説を批判し、国民は国に対して健康で文化的な最低限度の生活を営むため、立法その他国政の上で必要な措置を講ずるよう求める抽象的権利を有するとする学説である[7][10]
    • 抽象的権利説では、憲法第25条を具体化する法律が存在しているときにはその法律に基づく訴訟において憲法第25条違反を主張することができるとしつつ、立法または行政権の不作為の違憲性を憲法第25条を根拠に争うことまでは認められないとする[11]
    • 抽象的権利説については、生存権を具体化する法律が存在していて、その行政処分の合憲性を争う場合を念頭において形成された理論であるため、併給制限のように法律の合憲性そのものを争いうるか明確でないという批判がある[12]。また、立法不作為の違憲性を憲法第25条を根拠に争うことまでは認められないとしている点についても、国家賠償請求訴訟などでは立法不作為を争いうるとされており妥当でないという批判がある[12]
  • 具体的権利説
    • 具体的権利説とは、憲法第25条を具体化する法律が存在しない場合でも、国の不作為に対しては違憲確認訴訟を提起できるとする学説である[11][13][14]
    • 具体的権利説の見解は生存権の権利性に大きく寄与したが、具体的権利説による立法不作為違憲訴訟について多数説はむしろ批判的とされる[12]。その理由としては、立法の不作為がどの程度に至れば違憲となるかという問題や提訴権者の範囲の問題があるほか、特定の内容の立法を議会に直接義務づけることは日本国憲法第41条との関係で立法権侵害となるおそれがあり、違憲の確認にとどまるとすればどのような法的意味をもつのかといった問題点が指摘されている[15]

憲法第25条の法的性格について、プログラム規定説、抽象的権利説、具体的権利説という従来の学説の分類はもはや維持できなくなってきているとされ、いかなる訴訟類型にいかなる違憲審査基準を適用して裁判規範性を認めるかという議論の必要性が論じられている[16]

憲法25条に関する判例

  • 食管法違反事件
    • 食糧管理法違反事件で、最高裁は憲法第25条第1項について「すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るよう国政を運営すべきことを国家の責務として宣言したものである。」としつつ、「国家は、国民一般に対して概括的にかかる責務を負担しこれを国政上の任務としたのであるけれども、個々の国民に対して具体的、現実的にかかる義務を有するのではない。言い換えれば、この規定により直接に個々の国民は、国家に対して具体的、現実的にかかる権利を有するものではない。」と判示し(最大判昭和23・9・29刑集第2巻10号1235頁)、生存権の請求権的側面について具体的権利性を否定した[17]
    • この事案については闇米の購入や運搬に対する国家の刑罰権の介入の排除を求めたもので、生存権の自由権的効果のみを問題にすれば足り生存権の法的性格を問題とするのに適切ではなかったという指摘やそもそも憲法第25条ではなく経済活動の自由の問題として処理すべき事案であったという指摘がある[17]
  • 朝日訴訟
    • 朝日訴訟で最高裁は、生活保護の処分に関する裁決の取消訴訟は被保護者の死亡により当然終了するとした上で、「念のため」と前置きをして、食管法違反事件判決と同じく憲法第25条第1項について「直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではない」としつつ「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあっても、直ちに違法の問題を生ずることはない。ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、法律によって与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない。」と判示し(最大判昭和42・5・24民集第21巻5号1043頁)、行政庁の広い裁量権を認めつつ憲法第25条の裁判規範としての効力を認めた[18][19]
  • 堀木訴訟
    • 堀木訴訟で最高裁は、食管法違反事件判決と同じく生存権について具体的権利性を否定した上で[19]、「健康で文化的な最低限度の生活」については「その具体的内容は、その時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定されるべきものであるとともに、右規定を現実の立法として具体化するに当たっては、国の財政事情を無視することができず、また、多方面にわたる複雑多様な、しかも高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするものである。」とし、「憲法二五条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄であるといわなければならない。」と判示した(最判昭和57・7・7民集第36巻7号1235頁)。この判決では、立法権の広い裁量権を認めつつ憲法第25条の裁判規範としての効力を認め、その違憲審査基準として著しく合理性を欠き、明らかに裁量の逸脱・濫用にあたる場合には違憲になるとする明白の原則を採用している[8]

生存権の具体化

憲法第25条に定める生存権の具体化として次のような立法がある。

脚注

  1. ^ a b c d e 厚生労働省「諸外国憲法における生存権の規定について」 2020年4月15日閲覧
  2. ^ 芦部信喜『憲法学III人権各論(1)増補版』有斐閣、2000年、478頁。ISBN 4-641-12887-1 
  3. ^ 樋口ら、139頁
  4. ^ 神田憲行、法律監修:梅田総合法律事務所・加藤清和弁護士(大阪弁護士会所属) (2016年3月30日). “GHQでなく日本人が魂入れた憲法25条・生存権「600円では暮らせない」生存権問うた朝日裁判”. 日経ビジネス (日経BP). http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/120100058/022300002/ 2016年4月6日閲覧。 
  5. ^ a b 樋口ら、140頁
  6. ^ 樋口ら、142-143頁
  7. ^ a b c d 樋口ら、143頁
  8. ^ a b 樋口ら、150頁
  9. ^ 樋口ら、150-151頁
  10. ^ 橋本公亘『憲法原論』有斐閣、1959年、238-239頁。 
  11. ^ a b 樋口ら、144頁
  12. ^ a b c 樋口ら、151頁
  13. ^ 大須賀明「社会権の法理」『公法研究』第34巻、有斐閣、1972年、119頁。 
  14. ^ 大須賀明『生存権論』日本評論社、1984年、71頁。 
  15. ^ 樋口ら、151-152頁
  16. ^ 樋口ら、152頁
  17. ^ a b 樋口ら、147頁
  18. ^ 樋口ら、148頁
  19. ^ a b 樋口ら、149頁

参考文献

  • 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集(2)憲法II』青林書院、1997年。ISBN 4-417-01040-4 

関連項目