巴川 (静岡県)
巴川 | |
---|---|
水系 | 二級水系 巴川 |
種別 | 二級河川 |
延長 | 17.98 km |
平均流量 | -- m³/s |
流域面積 | 104.8 km² |
水源 | 文珠岳 |
水源の標高 | 1,041 m |
河口・合流先 | 清水港 |
流域 | 静岡県静岡市 |
巴川(ともえがわ)は、静岡市葵区、駿河区、清水区を流域とする二級河川。二級水系巴川の本流である。
概要
静岡県静岡市葵区北の麻機地区に源を発し、清水区市街地を貫流して清水港に注ぐ。二級河川としての起点は静岡県静岡市葵区北字才光寺1464番地。それより上流側は普通河川の「才光寺沢川」。全長は17.98 km。
流域面積の約3割は標高10 m以下の低平地で構成され、河床縦断勾配が1/250 - 3,500程度ととても緩やかなため、水はけが悪く、周辺の土地では氾濫や内水たん水が起こり易い地形をなしている[1]。
明治39年(1906年)から大正3年(1914年)にかけ、巴川水害予防組合・土地改良区によって巴川改修工事がおこなわれ、長尾川合流部から稚児橋までの河道が直線化された[2]。旧河道は月型に残り貯木場や養魚池として利用されたが、現在は一部を除いて埋め立てられている。
この節の加筆が望まれています。 |
沿革
- 有史以前 - 巴川流域は深い入り江だった(古麻機湾)。
- 近世以前 - 天然の良港だった清水港と巴川河口部は江尻湊と呼ばれ、駿府城のある静岡平野までの水運として活用されていた。
- 1570年(永禄13年) - 駿河侵攻を果たした武田氏によって巴川沿いに江尻城が築城される。
- 1611年(慶長16年) - 初めて橋が架けられる(稚児橋)。
- 1971年(昭和46年)4月1日 - 二級河川に指定。
- 1973年(昭和48年) - 灯籠流しが中止となる。川の汚染がひどくなることを理由にしたもの[3]。
- 1974年(昭和49年)7月7日 - 七夕豪雨発生。死者27名、全壊・流出家屋数32戸、床上浸水11,981戸、床下浸水14,143戸(安倍川も含む)[4]。
- 1999年(平成11年)5月 - 大谷川放水路が完成。大谷川、小鹿沢川等が分流された。
- 2003年(平成15年)7月 - 平成15年7月豪雨。806戸、主要幹線道路が浸水[4]。
- 2004年(平成16年)6月 - 平成16年6月豪雨。383戸、主要幹線道路が浸水[4]。
- 2009年(平成21年)4月1日 - 特定都市河川浸水被害対策法に定める「特定都市河川流域」に指定された。
- 2014年(平成26年)10月6日 - 台風18号により、1,000棟以上の家屋が浸水。翌年7月、「巴川流域における浸水被害軽減に向けた行動計画」が策定された。[5]
支流
二級河川
静岡県が管理している河川[6]
準用二級河川
静岡市が管理している河川[7]
関連項目
出典
- ^ “巴川流域水害対策計画”. 静岡市. 2020年5月8日閲覧。
- ^ “巴川地区自然再生事業全体構想”. www.env.go.jp. 環境省. 2020年5月8日閲覧。
- ^ 「風情かゴミか 灯ろう流し」『朝日新聞』昭和44年(1974年)6月24日夕刊、3版、11面
- ^ a b c 巴川水系 -- しずおか河川ナビゲーション ‐ 静岡県
- ^ “第11回巴川流域総合治水対策”. doboku.pref.shizuoka.jp. 2020年5月8日閲覧。
- ^ 静岡市内を流れる河川オープンデータ 静岡県静岡土木事務所河川改良課 2011年3月15日
- ^ 静岡市の管理する河川の一覧について 静岡市建設局 土木部 河川課 巴川総合治水対策係 2019年4月1日
外部リンク