寺田護

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寺田 護
(てらだ まもる)
居住 日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
研究分野 生物学
薬学
研究機関 大阪大学
神戸女子薬科大学
静岡薬科大学
浜松医科大学
出身校 静岡薬科大学薬学部卒業
静岡薬科大学大学院
薬学研究科修了
プロジェクト:人物伝
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寺田 護(てらだ まもる)は、日本生物学者寄生虫学衛生動物学)。学位薬学博士静岡薬科大学1971年)。浜松医科大学名誉教授

概要

生い立ち

静岡薬科大学の薬学部にて薬学を学び、1966年に卒業した。その後、静岡薬科大学の大学院に進学し、薬学研究科にて薬理学を専門に研究した。1971年博士課程を修了し、薬学博士号を取得した。論文名は 「豚回虫の生存に及ぼす酸素圧の影響 」[1]。 大学時代はサッカー部に属し、ボールに対する執念には素晴らしいものがあり、ヘッディングを得意とし、相手選手と空中で衝突するのはしょっちゅうで、相手をよく倒したが、自らも生傷が絶えなかった。頭部打撃は相当なもので、もしサッカーをやっていなければ、研究者としてさらに優れた業績を挙げたであろう。

研究者として

大学院修了とともに、大阪大学の蛋白質研究所にて共同研究員を務めた。また、同時に神戸女子薬科大学の薬学部にて助手として勤務した。こうして3年ほど近畿地方で過ごしたのちに、再び静岡県に戻った。母校である静岡薬科大学に勤務し、薬学部の助手や講師などを務めた。1979年に浜松医科大学に転じ、それ以来、医学部にて助教授や教授を務めた。

研究

寺田は薬学部や薬学研究科で学び、薬学博士号も持つ薬学者であるが、研究としては寄生虫学の業績がよく知られている。元来、寄生虫学は生物学の一派と看做されることが多いが、多分に学際的な要素が含まれていることもあり、寺田は薬理学的な見地から寄生虫学に取り組んでいた。

博士課程修了時の学位論文は、「豚回虫の生存に及ぼす酸素圧の影響」[2]と題されていた。酸素圧による豚回虫の駆除について調査した論文であり、このころから既に寄生虫に関する研究に取り組み始めていた。その後も研究を続けており、寄生虫に関する著書も複数著している。日本臨床寄生虫学会が編む学術書など専門的な書籍への寄稿も行っているが[3]、寄生虫学に関する入門書的な単著も著している[4]

略歴

  • 1966年 静岡薬科大学薬学部卒業。
  • 1971年 静岡薬科大学大学院薬学研究科修了。
  • 1971年 大阪大学蛋白質研究所共同研究員。
  • 1971年 神戸女子薬科大学薬学部助手。
  • 1973年 静岡薬科大学薬学部助手。
  • 1977年 静岡薬科大学薬学部講師。
  • 1979年 浜松医科大学医学部助教授。
  • 1996年 浜松医科大学医学部医学科寄生虫学講座教授。

著作

単著

  • 寺田護著『読むワクチン――寄生虫学コンパクト講義』南山堂、1995年ISBN 4525175117
  • 寺田護著『Parasitic Infections and Human Migration in Southeast Asia――東南アジアにおける人の移動に伴う寄生虫症の動態に関する研究』2000年

寄稿

  • 林栄一・寺田護稿「豚回虫と生物進化、特にエネルギー代謝を中心とする考察」静岡薬科大学編『静岡薬科大学開学二十周年記念論文集』静岡薬科大学、1973年
  • 林栄一・寺田護稿「新生体生理物質L-アスコルビン酸硫酸エステル」静岡薬科大学編『静岡薬科大学開学25周年記念論文集』静岡薬科大学、1978年
  • 寺田護ほか稿「旋尾線虫幼虫移行症の5例」日本臨床寄生虫学会編『症例からわかる臨床寄生虫病学』日本臨床寄生虫学会、2004年ISBN 487151322X
  • 寺田護ほか稿「大複殖門条虫症の12例」日本臨床寄生虫学会編『症例からわかる臨床寄生虫病学』日本臨床寄生虫学会、2004年。ISBN 487151322X

論文

脚注

  1. ^ 博士論文書誌データベース
  2. ^ 静岡薬科大学博士学位論文』1頁。
  3. ^ 日本臨床寄生虫学会編『症例からわかる臨床寄生虫病学』日本臨床寄生虫学会、2004年
  4. ^ 寺田護著『読むワクチン――寄生虫学コンパクト講義』南山堂、1995年

関連項目