ブリキ

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ブリキ錻力鉄葉当て字、オランダ語: blik)は、鉄鋼(鋼板)をスズ(純スズ)で表面処理した表面処理鋼板[1]缶詰など、常に水分と接触する部材に用いられるほか、かつては玩具の主要な材料でもあった。「錻」の字は日本で作られた国字

特性

イオン化傾向を比較すると、スズより腐食しにくいため、全面を覆うことで鉄の腐食を防ぐことができる。しかし、一部でも鉄が露出すると錫が鉄の腐食を促進するので、その箇所から鉄の腐食が広がるのが欠点である。

なお、鉄板に亜鉛をメッキしたものはトタンと呼ばれる。亜鉛そのものは鉄より錆びやすいが、鉄が露出した場合、亜鉛が先に腐食して鉄の腐食を遅らせることから全体として耐食性に優れている。

製造

ブリキの製造法には熱せき法や電気メッキ法(フェロスタン法やハロゲン法など)がある[1]。古くは溶融スズ中に直接鋼板を浸せきする熱せき法で製造されていたが、第二次世界大戦後に電気メッキ法が導入され、特にフェノールスルホン酸スズを電解液とするフェロスタン法が主流になったため熱せきブリキは次第に姿を消した[1]

語源

語源はオランダ語の「blik」と呼ばれる、日本語で「板金・鈑金」(英語:sheet metal)を表す言葉が語源と考えられるが、以下の異説もある。

  1. オランダ語のBlikje(金属缶)から来たという説。
  2. 明治時代、レンガを鋼板で保護しているものを見た日本人が、鋼板のことを尋ねるつもりでそれは何かと質問したところ、"brick"(レンガを意味する英語)という答えが返ってきたことから誤って付いた名である、とする説。しかしブリキについては江戸時代より知られており、この説は疑わしい。

主な用途

  • 缶製品
    • 缶詰(容器) - 缶詰は、開発当初からブリキを素材として使用されてきた。第二次世界大戦中にスズの入手難に直面したアメリカ合衆国が、電気メッキ法を考案してスズの使用量を画期的に減少させるといった進歩も見られた。戦後は、浸せきクロム酸処理をした鋼板が開発されるなど、ブリキ以外の素材も使用されるようになった[2]
    • 缶飲料(容器) - 以前は飲料缶にもブリキ缶が使われていた。現在はスズを含まないティンフリースチールが主流。
    • バケツ - プラスチック製の物に比べて重いが、耐久性に優れるため、業務用や防災バケツはブリキ製が多い[独自研究?]
    • [独自研究?]

ブリキの玩具

ブリキの玩具

日本国内ではブリキの板をロボット自動車鉄道車両電車など)・船舶航空機など乗り物のような形に成形・塗装した玩具を「ブリキのおもちゃ」と呼び、懐古趣味的に愛好する人々がいる。昭和初期~中期の生活史を懐かしむ文脈に、ブリキのおもちゃは現れる。19世紀から20世紀初頭にかけてドイツのメーカーが主戦場を築き上げたが、日本におけるブリキの玩具の登場は明治5-6年頃とされる。このころ石油ランプの普及により大量の石油缶の空缶が廃棄されていたがこれに玩具業者が注目、再利用して玩具を製造したという。明治7-8年頃ブリキ板が輸入されるようになったが、高価なため古ブリキによる玩具の製造は日清戦争のころまでつづけられた[3]

第一次世界大戦後、日本のメーカーが台頭して重要な輸出品になった。全盛期は戦後1950年代1960年代(昭和20~30年代)で、その郷愁を意欲的に追求するために金銭と労力を投入してでもブリキのおもちゃを蒐集する愛好家も存在し、彼らの中で稀少価値の高い品が高値で売買されている。

戦後の復興期においてブリキ製玩具の輸出は外貨獲得に貢献した。当時の玩具に錆びやすいブリキが使用されていた理由はコスト面だけでなく、主力産業へ優先して供給すべき伸銅製品の使用が玩具には制限されていた事も一因と思われる。なお、玩具ではなく教材として販売する場合は伸銅の使用は認められていた。

アサヒ玩具(後にママレンジシリーズを発売後ブリキ玩具から撤退)・バンダイ(後発だが赤箱シリーズの発売により台頭し、後に米国3大メーカーの一社TONKAと提携JAPAN TONKAを発売の後、キャラクター玩具中心となる)・イチコー(最後までブリキにこだわり、子供服のMIKIHOUSEとのコラボでも活躍)・増田屋コーポレーション(ラジコン=ラジオコントロールを1955年に世界に先駆けて玩具に応用、商標を保有)等が有名。

ブリキの玩具は資本投下も少なく、金型の製造以外は高度な技術や熟練した工程も少ない。そのため発展途上国が工業化・近代化を促す第一歩として最適な産業と言えよう。戦後日本の輸出を支えたのはの洋食器とブリキ玩具とも言われている。その後高度成長期において人件費の高騰によりプラスチックなど主に石油を原料とした作業工程も少なく、人件費のかからないものがブリキにかわり玩具の主流となっていった。昨今一部の蒐集家によりブリキの玩具は過去のものというイメージが強いが現在でも日本を始めとしてマニア向けの復刻版だけでなく、少数ではあるが幼児用の商品が生産されている。ただ、人件費の安い海外製のものも多くなっており、それらはST(玩具安全基準)を満たしていないものもあるので幼児に与えるには注意が必要と思われる。

ブリキ製品は大別して塗装印刷の2種類に分けられる。ブリキの板をプレス加工した後、さびないように下地に塗装を掛け、もう一度塗装をかける。玩具などでは大体0.25mm~0.4mmが中心で欧米では鋭利で触ると危険なプレスの切断面をジャブ付けと言われる厚地の皮膜で覆うことが多く、そのため比較的厚めである。日本製のものは切断面をもう一度プレスで工程をかけ、折り曲げて安全にする手法をとっており、そのため薄目のものが多い。また塗装も下地をかけてからもう一度塗装するなどの気配りをしている。印刷されたブリキ板をプレス加工し、組み立てるものは印刷のデザインが加工されて出来上がったものを想定したものとなるため高度な技術が必要となる。何回ものテストを繰り返して初めて想定した製品となりうる。印刷は主にスクリーン印刷が使用される。

昔の製品には白色顔料に鉛化合物が含まれていた為に経年変化により黄色味を帯びている。占領下の日本で生産された事を示す"occupied japan"の表示のある物は高値で取引されている。

脚注

  1. ^ a b c 前田重義、「鉄鋼の表面処理」『色材協会誌』 56巻 9号 1983年 p.615-625, doi:10.4011/shikizai1937.56.615
  2. ^ 製罐技術の変遷”. 日本製罐協会. 2019年4月21日閲覧。
  3. ^ 上 笙一郎/編『日本<子どもの歴史>叢書 ; 18 ; 日本金属玩具史』久山社、1997年、73-75頁

関連項目