アルミン・ジョルダン

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アルミン・ジョルダン
生誕 (1932-04-09) 1932年4月9日
出身地 スイスの旗 スイス ルツェルン
死没 (2006-09-20) 2006年9月20日(74歳没)
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者
共同作業者 スイス・ロマンド管弦楽団

アルミン・ジョルダンArmin Jordan, 1932年4月9日 ルツェルン - 2006年9月20日 チューリッヒ)は、スイス指揮者。名前は、出身地であるスイスのドイツ語圏では通常「ヨルダン」と発音されるが、フランス語圏スイスのスイス・ロマンド管弦楽団(後述)の指揮者として有名になったため、フランス語読みの「ジョルダン」が定着したものと思われる。指揮者のフィリップ・ジョルダンは息子。

経歴

1932年、ルツェルン生まれ。国内各地(ビール、ゾロトゥルン、ザンクト・ガレン、チューリッヒ、バーゼルジュネーヴローザンヌ)でさまざまな演奏団体を指揮した後、1985年から1997年までスイス・ロマンド管弦楽団の首席指揮者を務めた。

オネゲルシェックマルタンといったスイス人作曲家の作品や、ドビュッシーラヴェルといったフランス音楽を得意とした。一方、現代で最も深遠なリヒャルト・ワーグナー解釈をする指揮者としても知られており、とりわけ『パルジファル』が知られている。また近年は、マーラーツェムリンスキーなど世紀末ウィーンの音楽にも取り組み、すぐれた成果を挙げていた。

2001年に、メトロポリタン歌劇場でワーグナーの『指環四部作』を指揮中に肺炎を患ってから活動が停滞しがちになっていたが、2006年にバーゼルの歌劇場でプロコフィエフのオペラ『三つのオレンジへの恋』を指揮しているときに倒れ、その5日後にチューリッヒで死去した。74歳没。

脚注

先代
バーゼル歌劇場音楽監督バーゼル交響楽団音楽監督
1971年–1989年
次代
先代
ジャン=ピエール・ヴァレーズ
パリ室内管弦楽団音楽監督
 
次代
ジョン・ネルソン