安藤忠一郎
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安藤 忠一郎(あんどう ちゅういちろう、1887年〈明治20年〉11月9日 - 1954年〈昭和29年〉1月11日)は大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
秋田県出身。秋田中学校を経て、1909年(明治42年)5月、陸軍士官学校卒業(士候21期)。同年12月、陸軍歩兵少尉任官。
歩兵第32連隊留守隊長などを経て、1939年(昭和14年)10月、第106師団隷下の歩兵第147連隊長に着任し、日中戦争に出征した。その後、熊本連隊区司令官等を歴任し、1941年(昭和16年)3月、陸軍少将に昇進。1942年(昭和17年)3月、第9独立守備隊長に補せられ、1944年(昭和19年)7月、独立混成第60旅団長に転じた。同職で宮古島にて終戦を迎える。
栄典
- 位階
- 1910年(明治43年)2月21日 - 正八位[1]
- 1913年(大正2年)4月21日 - 従七位[2]
- 1918年(大正7年)5月20日 - 正七位[3]
- 1923年(大正12年)7月31日 - 従六位[4]
- 1928年(昭和3年)9月1日 - 正六位[5]
- 勲章等
脚注
参考文献
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年、43頁。ISBN 978-4-8295-0273-0。
- 秋高百年史編纂委員会『秋高百年史』秋田県立秋田高等学校同窓会、1973年、70頁。