ルイーゼ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン
表示
ルイーゼ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン Luise von Sachsen-Hildburghausen | |
---|---|
ナッサウ公妃 | |
| |
在位 | 1816年 - 1825年 |
出生 |
1794年1月28日 神聖ローマ帝国 ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公領、ヒルトブルクハウゼン |
死去 |
1825年4月6日(31歳没) ナッサウ公国、ビープリッヒ |
結婚 | 1813年6月24日 ヴァイルブルク |
配偶者 | ヴィルヘルム |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ヴェッティン家エルンスト系 |
父親 | ザクセン=アルテンブルク公フリードリヒ |
母親 | シャルロッテ・ツー・メクレンブルク=シュトレーリッツ |
ルイーゼ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン(ドイツ語:Luise von Sachsen-Hildburghausen, 1794年1月28日 - 1825年4月6日)は、ナッサウ公ヴィルヘルムの妃。
生涯
[編集]生い立ち
[編集]ルイーゼはザクセン=アルテンブルク公フリードリヒとシャルロッテ・ツー・メクレンブルク=シュトレーリッツの娘である[1]。ルイーゼと姉テレーゼはともに美しかったことで知られ、詩人フリードリヒ・リュッケルトは姉妹に作品『Mit drei Moosrosen(3本のモスローズ)』を捧げている。
結婚
[編集]1813年6月24日にヴァイルブルクにおいてナッサウ公ヴィルヘルムと結婚した[1]。結婚を記念して、サミュエル・ルヤを含むヴァイルブルクの市民警備隊は「Cantate am Feste der Heimführung des Erbprinzen Wilhelm von Nassau mit der Prinzessin Louise von Sachsen-Hildburghausen(ナッサウ公ヴィルヘルムとルイーゼ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼンの帰還を祝うカンタータ)」を作曲した。
結婚生活は不幸なものであったという。夫ヴィルヘルムは、政治において独裁的であっただけでなく、家族に対しても思いやりがなく、ルイーゼや子供たちを悩ませた。
死去
[編集]ルイーゼは、末娘マリーの誕生直後に1825年に死去した。ルイーゼの死後、夫ヴィルヘルムはルイーゼの姉シャルロッテの娘パウリーネ・フォン・ヴュルテンベルクと結婚した。ヴィースバーデンのルイーゼン広場とルイーゼン通りは、ルイーゼにちなんで名付けられた。
子女
[編集]ナッサウ公ヴィルヘルムとの間に8子が生まれた[2]。
- アウグステ・ルイーゼ・フリーデリケ・マクシミリアーネ・ヴィルヘルミーネ(1814年)
- テレーゼ・ヴィルヘルミーネ・フリーデリケ・イザベラ・シャルロッテ(1815年 - 1871年) - オルデンブルク公子ペーターの妃
- アドルフ・ヴィルヘルム・カール・アウグスト・フリードリヒ(1817年 - 1905年) - ナッサウ公、のちルクセンブルク大公
- ヴィルヘルム・カール・ハインリヒ・フリードリヒ(1819年 - 1823年)
- モーリッツ・ヴィルヘルム・アウグスト・カール・ハインリヒ(1820年 - 1850年)
- マリー・ヴィルヘルミーネ・ルイーゼ・フリーデリケ・ヘンリエッテ(1822年 - 1824年)
- ヴィルヘルム・カール・アウグスト・フリードリヒ(1823年 - 1828年)
- マリー・ヴィルヘルミーネ・フリーデリケ・エリーザベト(1825年 - 1902年) - ヴィート侯ヘルマンの妃
脚注
[編集]- ^ a b “Princess Louise of Saxe-Hildburghausen”. memim.com. 2022年3月31日閲覧。
- ^ “Princess Louise, of Saxe-Hildburghausen b. 28 Jan 1794 Hildburghausen, Saxe-Hildburghausen, Holy Roman Empire d. 6 Apr 1825 Biebrich, Duchy of Nassau: Shetland Family History”. www.bayanne.info. 2022年3月31日閲覧。
参考文献
[編集]- Heinrich Ferdinand Schoeppl: Die Herzoge von Sachsen-Altenburg. Bozen 1917, Neudruck Altenburg 1992.
- Dr. Rudolf Armin Human: Chronik der Stadt Hildburghausen. Hildburghausen 1886.